はりすこしゅうのおもいで

メキシコといえば、コロナビールとテキーラの国である。コロナビールには大して興味ないが、蒸留酒好きとしては、テキーラの中心的な産地であるハリスコ州のテキーラ村に行ってみたいと思っていた。色々と調べてみると、テキーラ蒸留所内にホテルがあるらしい。蒸留所に泊まり、テキーラ村に滞在してみたい。

そう思って数年たったが、テキーラ村はハードルが高い。スペイン語ができないし、メキシコは治安の心配が多い。しかも行き先が田舎の街である。例えば獺祭は世界展開しているが、日本語が話せない外国人が個人旅行で岩国市周東町まで行くのはハードルが高いのではないか。

テキーラ村へのハードルは徐々に解決する必要がある。まずはメキシコに行くところから始めようと思い、昨年はグアナファトを目指した。近隣のレオン空港から前払い制のタクシーでグアナファトへ行き、旧市街を散歩をするだけの予定である。もっとも計画中に欲が出て、ホテルでタクシーをチャーターしてテキーラ蒸留所に行ったのだが。多少の不都合はあったが、結果的に悪くない旅だった。

この旅でテキーラ村に少し近付いた気がした。高いハードルだが、徐々に越えればいい。

今年に入り、スペイン語を始めた。ハバナで野菜市場に行くのが目標だったが、その先にはメキシコのテキーラ村があった。しかし僕のスペイン語は動詞の活用で壁にぶつかり、単語力もなかったので実用面でも大して役に立たず、帰国後には挫折してしまった。ハバナで役に立たなかったスペイン語が、追加の努力なくメキシコで役に立つとは思えない。語学的なハードルはクリアできなかった。やはりテキーラ村はハードルが高いままなのだろうか。

旅行ばかりしているが、これでも僕の本業は普通のサラリーマンである。かなり無理筋で日程調整をした結果、9月に6.5日間の夏休み第2弾を取れることになった。既に5日間の予定で弾丸スペイン旅行を予約していたが、休みを延ばしたのでテキーラ村が再浮上してきた。あまり深く考えないまま蒸留所ホテルを確認すると空室があり、航空券も高くなかった。半日ほどの検討期間で、テキーラ村へ行くことに決めた。いわゆる物の弾みである。

グアナファトに行った後、テキーラ村のハードルは少し下がっていたが、メキシコに親近感を抱くようになった程度である。逆の言い方をすると、僕にはスペイン語を挫折する程度の熱意しかない。

そしてテキーラ村には空港がない。空港があるグアダラハラからテキーラ村に移動する必要があり、その方法は分かっていない。空港からタクシーで行けるような場所なのだろうか。目の前を見ずにスタートを切ってしまったが、熱意も空港もなく、ハードルはかなり高そうだ。

航空券を購入した後で調べたところ、グアダラハラからテキーラ村への移動にはバスがあるらしい。しかしバスに乗るにはバスターミナルに行く必要があり、しかもグアダラハラには複数のバスターミナルがあるようだ。一方、テキーラ村に着いた後、蒸留所までの移動方法も分からない。そもそもグアダラハラからテキーラ村まではハリスコ州内の中距離バスなのだが、大きいスーツケースを持って乗れるのだろうか。

他に良い手段はないかと思ってホテルに連絡してみるが、何度メールを出しても返事は来ない。昨年のグアナファトのホテルもメールの返事が来なかったので、メールの返信がないのがメキシカンなのだろう。諦めた気分になれるのも、昨年の予行演習の賜物だ。しかし諦めただけでは何も解決しないのも現実である。

結局、テキーラ村への移動方法については決まらないまま旅立った。気分的にテキーラ村に少し近付いた気がしていたが、やはり幻想だったのではないだろうか。

夕刻、グアダラハラの空港に着き、タクシーでグアダラハラ市内のホテルに向かった。到着が夕方だったので、観光を兼ねてグアダラハラに宿泊することにしたのだ。タクシーの中から街を見ると、デパートの入口にはショットガンを肩に下げたガードマンが立っているし、ATM前の現金輸送車には臨戦態勢でショットガンを持ったガードマンが2~3人付いている。やはり治安には問題ありそうだ。大きいスーツケースを持っているし、バスでテキーラ村に行くのは止めよう。

Google Mapで調べると、グアダラハラからテキーラ村への移動は1時間半程度らしい。グアダラハラのホテルでタクシーを頼むのも良いかと思ったが、行き先が村の外れの蒸留所であり、ちゃん説明できるか心もとない。思い起こせば、グアナファトでチャーターしたタクシーも道に迷ったのだった。

結局、自分でUberを呼ぶことにした。目的地をピンポイントで指定できるので、行き先を説明する必要がない。料金は明朗会計であり、ボッタクリにあうこともない。しかもカードで支払える。アプリで調べると、グアダラハラに車は潤沢にいるし、テキーラ村までの料金も表示され、配車の問題はなさそうだ。

Uber最大のネックは安全の問題である。以前、メキシコでは流しのタクシーには乗らず、信頼できる所でマトモなタクシーを呼んでもらえと言われた。メキシコでUberに乗るリスクはどうだろうか。見知らぬ人の車に乗るという点では流しのタクシーと大差ないだろうが、GPSで管理された乗車の記録は残るので、犯罪抑止効果はあるかもしれない。「信頼できる所で呼んでもらったマトモなタクシー」のマトモ度合いにもよるが、アナログな信用をベースにリスクを回避するか、デジタルなテクノロジーをベースにリスクを回避するかの違いである。どっちがマシかは乗ってみないと分からなそうだ。

以前にアメリカでUberに乗った時には、ドライバーがピックアップ場所の確認に電話をかけてきた。電話に対応できるだけのスペイン語力はない。待ち合わせの電話もネックになりそうだ。

考えれば考えるほど不確定な要素が多い。やはりテキーラ村はハードルが高い。無事に辿り着けるだろうか。

ホテルをチェックアウトした後、アプリで車を呼んだ。ホテル前で車を待ち、手を振って車に合図した。これでピックアップ場所確認の電話は回避できた。全く英語では意思疎通できないまま、荷物を積んでもらって出発進行。一抹の不安は残るが、とりあえず座っていれば問題なさそうである。

ところが50メートルくらいで車が止まってしまった。ドライバーがスペイン語で何か真剣に話してくる。喋らなくてもいいシステムじゃないのか。

アプリの地図を見せてしきりに何か言っている。想定外の事態だ。しばらく不毛なやり取りをしていると、たぶん遠すぎるという事らしい。片道1.5時間といえば、往復3時間のルートである。ドライバーも想定外だったのだろう。

やっぱりテキーラ村は相当ハードルが高い。暗澹たる気持ちで荷物を引きずってホテルに戻り、再びUberで車を呼んだ。次でダメならタクシーだろうか。

同じ車が来たらどうするんだと思ったが、そうはならず、すぐに別の車がきた。多少なりとも学習したので、テキーラ村に行ってくれるかを乗車前に英語で聞いてみた。なんとなくOKと言われたような気がしたが、本当に意思確認できていたか定かではない。

走り出してしばらくは、やっぱり降りろと言われるかと不安に思っていた。それでも降ろされることなく、1時間半後、無事にテキーラ村に着いた。しかも村の外れの蒸留所まで迷わずに直行である。

数年かけて挑んだテキーラ村のハードルは、低いような、やっぱり高いような、微妙な高さだった。ある程度の準備ができていれば、人生なんとかなるのだろう。ハードルを気にせずに走り出すことも、たまには必要である。

ぐあだらはらのおもいで

テキーラ村への起点はハリスコ州のグアダラハラという街である。メキシコ第二の都市だが、見に行きたい場所が少ない街のようだ。時間がなければパスしても良いかと思っていたが、今回の旅行は日程に若干の余裕があり、テキーラ村へ行く前にグアダラハラに1日滞在することにした。

グアダラハラで有名なのはハリスコ州の州庁舎にあるイダルゴ神父の絵だ。地元ハリスコ州出身のオロスコという画家が描いた天井画である。1910年代からのメキシコ革命を受けて、メキシコ美術界にはメキシコ壁画運動というものがあった。らしい。全て後付けの知識である。

朝一番で州庁舎に行って天井画を見た。通りがかりの職員さんにガイドを呼んできてやると言われたのだが、美術品の説明を聞くようなタイプではないし、チップを払うのも面倒くさい。ついつい逃げ出してきてしまった。故にメキシコ壁画運動についての知識はないままである。聞いたとしても覚えていたかどうか怪しいものだが。

ハリスコ州庁舎から少し歩いたところに世界遺産のオスピシオ・カバーニャスという施設があり、ここにもオロスコの天井画や壁画がある。僕がメキシコを第二の故郷と呼ぶ以上、メキシコの歴史や文化にも造詣を深めなくてはならないが、壁画を見てもメキシコ革命に思いを致すことはできなかった。

ところでグアダラハラには大きな市場がある。リベルタ市場という、ラテンアメリカで最大の屋根付き市場とのことである。野菜市場好きとしては見逃せない場所だろう。オスピシオ・カバーニャスからも近い。

壁画を眺めていてもメキシコ文化への理解は深まらないし、美術に興味があるフリをするのも難しい。早々にオスピシオ・カバーニャスを出て、リベルタ市場に向かった。

リベルタ市場は確かに大きかった。ただ、なんとなく落ち着かない。八百屋の隣に服屋があり、その横でスマホのケースを売っているような、何とも言えないゴチャゴチャ感である。そういえば以前に行ったグアナファトの市場も店舗配置としてはゴチャゴチャしており、これがメキシコの市場の流儀なのかもしれない。

市場の店を一通り見た後、遅めの昼食を食べに市場内の食堂に向かった。食堂エリアも相当なゴチャゴチャである。昼食時間を過ぎたせいか、店によって客の入りが様々だ。地元のメキシコ人は、このゴチャゴチャと飲食店がある中に、お気に入りの一軒があるのだろう。

前日の夜に食べたタコスで胃もたれを起こしており、この日はタコスを回避することにした。メキシコ料理についてはタコス以外の知識は無いに等しいので、他の客が何を食べているか覗いてみる。

繁盛している店が無難だろうか。衛生状態を考えると、火の通った物の方が良いのではないだろうか。胃腸の状態を考えると、辛い物は止めた方がいいのではないか。Yakimeshiと看板に書いた店もあったが、わざわざメキシコでチャーハンを食べなくてもいいだろう。

そんなことを考えながらブラブラと歩いていると、野菜が大量に入ったチキンスープを食べている爺さんがいた。緑がかった透明スープであり、辛くもなさそうだ。野菜スープならば胃もたれしないだろう。店も繁盛している。

食堂エリアを一周りした後、先程の店でチキンスープを食べることにした。あとで調べたところ、チキンスープはポソレと言うらしい。

爺さんの隣のカウンター席が空いていた。店の婆ちゃんに声をかけ、そこに座る。そうすると食事中の爺さんが食器を片付け、カウンターを拭いてくれる。爺さんに礼を言い、僕も自分でカウンターを拭く。拭き終わった絶妙のタイミングで婆ちゃんが注文を取りに来た。指さしでスープを頼むと、爺さんが笑って親指を上げた。

その後も爺さんとは会話はないが、食事中にも関わらず、フォークを取ってくれたり、ペーパーナプキンを渡してくれたりと、まめに僕をヘルプしてくれる。ありがたい。

汗をかきながらスープを食べ終わると、爺さんはタコスを2個注文し、1個を僕に奢ってくれた。昨夜の胃もたれが思い浮かぶが、断る術もなく食べる。食べ終わったところで、更にタコスを追加で頼んでくれた。1個目とは具が違うらしい。既に満腹なのだが、2個目も断る術なく食べる。完全に食べ過ぎである。爺さんは3個目のタコスも注文していたが、さすがに断った。我々を見て笑っている店の婆ちゃんに会計を頼み、爺さんと握手して帰った。

州庁舎の美術ガイドからも逃げ出すようなタイプなので、旅行中に地元の人と関わる機会は少ない。こういう出会いも、たまには良いのではないだろうか。素朴なポソレで心が温まった。しかし、どんなに良い出会いでも、やっぱりタコスはタコスであり、この晩も再び胃もたれを起こした。

めきしこのおもいで

8月の予定だった会社のプロジェクトを理由に、夏休み先行取得として5月にキューバに行った。しかし正式には夏休みは7月~9月にしか取れず、制度上は夏休みが残ってしまった。

確信犯だったので、キューバからの帰国後、虎視眈々と9月のカレンダーに目星をつけておいた。そういうのは人間としてどうかと思うが、実際、そんな程度のオッサンである。今年は9月に3連休が2回あった。2日間の夏休みを取ると、3連休とあわせて5日間の休みになる。言い訳は後から考えるとして、とりあえずスペインヘレス行きのチケットを取った。シェリー酒と生ハムの夏休みである。

しばらくすると会社のプロジェクトが少々延期になった。延期が分かった時には周囲から哀れまれるくらい別件で忙しかったので、同情されているうちにドサクサに紛れて3.5日間の夏休みを宣言した。そういうのは人間としてどうかと思うが、実際、そんな程度のオッサンである。いずれにしても合計6.5日になった。旅行先の1.5日の価値は数値化できなかったが、航空券のキャンセル料以上の価値があると思い、航空券を取り直した。僕の人生には無駄が多い。

日程変更と同時に行き先をメキシコに変更した。6.5日あれば、テキーラの産地であるテキーラ村に行ける。来年は会社的に長い休みが取れるか不透明な雲行きである。確実に休めるうちに、行きたい所へ行っておくべきだろう。

5月のキューバからの帰り、半日ほどメキシコシティに滞在したので、今年2回目のメキシコである。メキシコは僕の第二の故郷らしい。メキシコシティのソカロ広場でメキシコ国旗を見上げていると、妙にメキシコに馴染んだ気分になった。年に2回もメキシコに行けば、自称メキシコ系日本人としてのアイデンティティを感じる事が出来るだろうか。

9月のある日、メキシコに向かって旅立った。午前中は真面目に仕事をこなし、成田に直行。そして17時発のANAメキシコシティー行きに乗った。そんなに需要がある路線ではないようで、比較的すいていた。たしかに遠くて地味な目的地である。乗っている分には快適だが、路線は維持できるのだろうか。自称メキシコ系日本人としては不安が残る。

メキシコシティで入国して国内線に乗り継ぎ、20時くらいにグアダラハラという街に着いた。メキシコシティに次ぐ、メキシコ第二の都市である。家を出てから27時間くらい経っているのではないだろうか。ヘロヘロだ。

メキシコで気になる事と言えば治安の悪さしかなく、ホテルは安全そうな所を選んでいるつもりだが、それでも怖いものは怖い。空港からタクシーでホテルに向かったが、車窓を見ていると、デパートの入口にいる警備員がショットガンを持っている。この国が本当に第二の故郷なのだろうか。先程のガラガラの飛行機と言い、生まれつつあった自称メキシコ系日本人としてのアイデンティティに若干の疑問が生じた。まだ着いたばかりなのに。

ヘロヘロで到着したせいか、ANA機内でウイスキーを飲み過ぎたせいか、20時過ぎなのに食欲がない。着いたばかりの街では方向感覚もない。メキシコでは水道水の飲用は厳禁であり、部屋に置いてある無料の水ボトルだけでは足りなそうなので、とりあえずコンビニを探しに街へ出た。

ちょっと歩くと、そこそこ流行っていそうな料理屋があり、テイクアウトでタコスを買った。それからコンビニでビールと水を買おうとしたが、営業中にも関わらず、ドアに鍵がかかっている。防犯上の理由なのだろう。ショットガンがなければ、閉じこもるしかないのか。ドアに付いている小さい窓から注文するみたいだが、第二の故郷なのに口頭で水とビールを頼む程度の語学力すらない。不毛なやり取りの後、店の人が諦めて店内に入れてくれた。

自称メキシコ系日本人としてのアイデンティティへの疑問が深まりつつ、部屋に戻ってタコスを食べ、ビールを飲んだ。気付いたら寝てしまっていた。

翌朝、起きると胃もたれが酷い。トウモロコシが体質的に苦手なのか、どうもトルティーヤの消化が悪いようだ。しかも未消化のトルティーヤが胃の中の水分を吸収してブクブク膨らんでいるのだろうか、満腹感も消えていない。どうにもゲンナリである。

メキシコに馴染んでいると思っていたが、実際のところ、大した語学力はなく、トルティーヤも苦手である。じつはメキシコに馴染んでいないのではないだろうか。もしかするとメキシコは第二の故郷ではないのかもしれない。

自称メキシコ系日本人としてのアイデンティティを確立しようと思ってメキシコに来たのに、むしろアイデンティティを失いかけている。危機的な状況を何とかしなくては。旅行中、メキシコのプラスの側面を見たい。

そう思いながらテキーラ村に移動し、テキーラ蒸留所を訪ねていると、帰国日が独立記念日だと教えてもらった。なんという偶然だろう。やっぱりメキシコと僕とは切っても切れない関係なのかもしれない。

独立記念日の前夜は村でイベントがあるらしい。夕方前から村の聖堂前の広場は盛り上がっていた。大道芸、移動式遊園地、そしてコンサート。どういうプログラムか分からないのが残念だが、感覚的には田舎の派手目な夏祭りだろうか。

夕食後に聖堂の前を通りかかると、なにやら広場中央で準備している。しばらく見ていると、花火だった。枠で作った塔に花火が取り付けられており、グルグル回る。音も鳴る。打ち上げ花火のような雄大さはないが、なんとも楽しい花火である。ビバ・メヒコ。

かなりの偶然の積み重ねで、田舎町とはいえ、独立記念日の花火を間近で見ることができた。こんなイベントに遭遇したおかげで、メキシコとの一体感を強く感じた。メキシコシティでは馴染んだ程度だったので、そこから大きな進展ではないだろうか。

メキシコ独立記念日の前夜、僕は自称メキシコ系日本人としてのアイデンティティを確立した。やっぱりメキシコは第二の故郷である。