ぶはらのおもいで

アシアナ航空が大韓航空と合併する前に行きたかったウズベキスタンだが、サマルカンドだけ行ったのでは勿体ない。調べてみたところ、ブハラという別の古都があった。日本に例えると、サマルカンドを京都とすれば、ブハラは奈良らしい。他にも行ってみたい都市はあったが、撮影に時間を取りたかったので、この2都市に旅行先を絞ることにした。

レギスタン広場に着いた時にシルクロードの旅が終わったと感慨を抱いたが、まだ先はあったのだ。

サマルカンド~ブハラ間は高速鉄道の予約を取っていた。もっとも高速鉄道も、普通の客車特急も走る線路は同じなので、高速鉄道のメリットは車両が新しいことと、乗車時間が多少短いことだけである。

ブハラでは美味しそうなレストランを予約しておいたのだが、そこはホテルのレストランだった。当初は別のホテルに泊まる予定にしていたのだが、結局そのホテルへ宿泊予約を変更することにした。

このホテルは宿泊者に駅からの無料ピックアップサービスを提供しており、これが大変に助かった。ブハラ旧市街の広場周辺は自動車の進入が制限されている挙句、ホテルは路地を入ったところにあり、いきなり広場の外でタクシーを降ろされたとしても到着は困難そうだからである。

そこまで念入りな交通対策をとっているブハラだが、サマルカンドと比べると街の規模は小さいし、観光客も少ない。慌ただしさもなく、ゆっくり過ごせる街だった。

サマルカンドでは壮大で美しい建築物を精力的に撮影しており、極めて満足していた。旅行に限らないのかもしれないが、極めて満足というのは諸刃の剣である。論語の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と似たようなものだろう。

端的に言うと、ブハラに着いた頃には歴史的建築物を見飽きてしまっていたのだ。以前に蒸留所めぐりでスコットランドへ行って、4か所目には飽きていたのに近い感覚だろう。ただし蒸留所には試飲とショップがある分、飽きたと言っても、やるべきことは有る。

ブハラはスコットランドの田舎と同じくらいアクセス困難なので、飽きたからと言って、部屋でゴロゴロしているわけにはいかない。幸いにもウズベキスタンは飲酒に寛容な文化なので、屋外の日陰の席でビールを飲んで、ゆっくり観光スポットを巡ってみる事にした。

ブハラも世界遺産だらけだが、ボロハウズ・モスクが特に気に入った。「地味」といっても、1712年に王族が自分の城の前に作らせたそうだから程度問題なのだろうが、サマルカンドで見てきた歴史的建築物と比較すると、相当に大人しい佇まいである。

モスク前の広場にはザクロジュースの屋台が出ており、僕はベンチに座ってモスクを眺めていた。夜はライトアップもしているので、こうなると何度も通ってしまうのは僕の性格から止むを得ない。

最後の夜、三脚を持って夜景を撮りに行ったところ、モスクの前に大量の絨毯が置いてあった。そういえば翌日は金曜日である。ウズベキスタンの歴史的建築物、とくに元がメドレセと呼ばれる神学校だった所は、いまや実質的に商業施設と化している場所も多いが、ここは現役のモスクである。

さすがに日の出の礼拝時間までには起きられないが、昼の礼拝が13:10頃と表示されていた。夕方の列車でタシュケントに戻る予定だったので、ちょうど良い時間だろう。

翌日、ホテルに荷物を預けてモスクへ向かった。前日まで僕がジュースを片手にボケッと座っていた広場には絨毯が敷かれており、日光を遮るためのテントも設置されていた。セキュリティ外側のベンチに座れた。隣には老人がいて、そこから祈っていた。礼拝が終わると、彼は僕の肩を軽く叩いて去っていった。

サマルカンドでは撮影に集中していたが、ブハラではゆっくりとした時間を楽しむことができた。諸刃の剣も使いようである。