けいりんのおもいで

2025年のゴールデンウィーク直前に航空各社で持っているマイルを確認したところ、ANAに2026年4月が有効期限のマイルが6万マイルもあった。2026年末までと考えると7万マイルを超える。その時点ではJALでGWのメキシコを予約済み、夏休みのウズベキスタンはアシアナ航空で予約済みだったので、当面はANAのマイルを使う機会がなかった。

マイルを利用した行先の検討を始めたが、長期休暇を取る時間的な余裕はなかったので、アジア域内の国際線にせざるを得ない。自ずと家族旅行の計画になってしまう。

正月のピークには無料航空券を使えないだろうから、現実的なスケジュールは秋くらいになるだろう。まずは乾季である香港が頭に浮かんだが、行けそうなタイミングは全てキャンセル待ちだった。母親を連れて深夜便利用での東南アジアは厳しく、近距離のソウルではマイルを使いきれない。しかも同行人数が増えるので、キャンセル待ちのように、タイミングを天に任せるようなことは出来ない。そこで比較的空席が多い、中国本土へ行くことにした。

どこに行きたいか母親に聞いてみたところ、中国本土内陸部の絶景地ばかりだった。四川省での胃腸ダメージから回復していない時期だったので、簡単に調べただけで全て却下した。

カレンダーと特典航空券の空席を眺めていると、11月の火曜日が祝日であり、その前後に広東省広州へのフライトに空席があった。広州の近くでは桂林が有名で、内陸部の絶景地にも引けを取らないだろう。それに広東省は広東料理の本場であり、四川省のような激辛とは無縁だ。と思う。しかも香港と同じく乾季である。筈である。

この時点でメキシコ旅行の出発前日だった。ずるずると特典航空券の予約を引き伸ばしても意味がないので、桂林についてのリサーチは全くしないまま、広州便の無料航空券を予約する事にした。ダラスへ向かうJALの機内WiFiでANA無料航空券を取る悪行に及んでチケット確保、あとの諸々は先延ばしすることで対応した。

メキシコから戻ってリサーチを開始した。桂林に行ったら船旅をすれば良いだろうと簡単に考えていたが、ほぼ一日かかるらしい。一方で日の出の絶景スポットを見付けたが、桂林市内からだと相当に遠い。限られた日数で繋ぎ合わせるのは困難そうだった。色々と探してみたところ、絶景中の絶景ポイントは限られているようだったので、日の出絶景スポットに近い田舎町で泊まることにした。その町にはヒルトンホテルがある。自分だけなら泊まらないだろうが、家族となら許容されるだろう。

この話を中国に詳しい友人にしたところ、相当なダメ出しを食らった。そもそも桂林は広東省ではなく、広西チワン族自治区に属しているとのこと。そして広東とは似て非なる文化圏で、料理は広西料理という独自路線らしい。想定から随分と外れてきた。

そんな広西チワン族自治区で田舎町といえば、本格的な田舎のようだ。それでもホテルはヒルトンじゃないかと反論したものの、中国の田舎にあるヒルトンを甘くみるなとのこと。うーむ。

結局のところ、友人を信じるか、ヒルトンを信じるかである。以前の中国旅行でも随分と助けてもらっており、ヒルトンよりも友人を信じるべきだろう。しかし日程的に他の選択肢はないので、ヒルトンに賭けてみることにした。

定刻より少し早く広州空港に着くと、快晴だった。東京と違って暖かい。地下鉄移動は時間がかかるので、ピックアップを依頼しておいたドライバーと合流し、広州南駅へ向かった。

飛行機遅延の可能性も考慮して列車を予約しておいたので、駅で買い物がてら時間つぶし。事前に調べてもらった限りでは、例の田舎町の食堂は、概ね21時頃には閉まるらしい。ヒルトンも例外ではない可能性が高そうなので、駅のレストランで腹を満たし、コンビニで食料品を買い込んでから17:57発の列車に乗った。田舎町への少々のリスクヘッジである。

列車が広州市街を出る頃には、あたりは暗くなっていた。徐々に人工的な明かりが見えなくなってくる。高速鉄道なので、人里離れた地に線路を敷いているのだろう。と思う。

桂林駅の一つ手前、陽朔という駅に辿り着いた。陽朔駅と言っても、広州から桂林まで最短ルートで線路を敷設し、陽朔市街の近くで簡単に土地を確保できた場所に駅を作っただけだろう。端的にいえば、タクシー数台のほかには、絶望しかないような駅だ。英語でいうところの”Middle of Nowhere”である。それでも手配しておいてもらったドライバーと合流できた。これもまた、田舎町への少々のスクヘッジである。

ホテル所在地は興坪という町だが、着いてみると、そこまで田舎でもない。荷物を置いて外に出ると、数軒だが食堂も遅い時刻まで営業しているし、コンビニも2軒ある。ガラガラだったが、土産物店も僅かに営業していた。しかも、この町にはヒルトンだけでなく、メルキュールもあった。

どちらを信じるか問題からすると、ここに結論があるように思えた。田舎のヒルトンを甘く見てはいけないのだろうが、国際ブランドのチェーンホテルが2軒ある町は、そもそも田舎町ではないのだろう。

たしゅけんとのおもいで

ウズベキスタンの首都はタシュケントだが、サマルカンドブハラと比べると、観光的には見劣りしてしまう感は否めない都市である。一般的には空港と鉄道の乗り継ぎの為に滞在する旅行者が多いのではないだろうか。

そんなタシュケントには「ホテル・ウズベキスタン」というホテルがある。妻の会社にスタンの国に詳しい人がいて、味わい深いソ連様式の建物らしいので、見に行くべきとの事。

ソビエト的な味わい深さが、快適さと両立しないのは容易に想像できた。しかし、わざわざホテルを見に行く位なら、そこ泊まってしまえば良いのではないかと思い始めた。いくらなんでも、ブルガリアにある味わい深い修道院よりは快適だろう。

タシュケントには入国日と出国前夜に宿泊する予定だった。どちらも鉄道利用の前後だったので、タシュケント中央駅に近く、評判の良い中級ホテルに2回分の予約を入れていた。このうち出国前夜をホテル・ウズベキスタンに変更しようと思ったのだ。

味わい深いソビエト建築であれば、巨大なホテルに違いない。すぐに空室が見付かるかと思ったが、予約は困難だった。味わい深さを求める旅行者が多いのか、実は快適さとの両立を成し得ているのか、団体旅行向けにダンピングしているのかは分からないが、何度か探しても空室が出ない。

出発一週間前に1室だけ予約サイトに空きが出たが、1泊2.5万円ほどだった。ウズベキスタンのホテル料金としては高値だし、そもそもホテル・ウズベキスタンの通常料金から倍以上である。さすがに見送らざるを得ない。公式サイトでは予約できなかったので、そもそも空室自体が予約サイト上の誤りだった可能性も高いのだが。

結局、ホテル・ウズベキスタンでの宿泊は挫折した。

ブハラからタシュケントまでの戻りは高速鉄道が取れず、6時間近く客車特急列車に乗り続けていた。帰りともなるとシルクロードの感慨は薄れ、ひたすら寝ていた。

タシュケント駅の手前で目を覚まし、iPhoneを操作したところ無反応だった。列車にはWiFiがないので、どうやら睡眠中に砂漠の真ん中で電話回線の電波を探し求め続けていたらしい。いつの間にかバッテリー残量が無くなっていた。モバイルバッテリーを持っていないので、列車内で機内モードにしておけば良かったと後悔しても遅い。

ウズベキスタンでiPhoneが使えないという事は、配車アプリで車を呼べないという事である。地図アプリも使えないので地下鉄も実質的に使えず、残るはタクシーの客引きとの交渉しかない。

災い転じて福となったのが、このタイミングだった。ホテル・ウズベキスタンの予約が取れなかったので、入国日に滞在した、駅近のホテルに戻るだけで済んだのである。行きはタクシーを使って駅まで行ったのだが、スーツケースを持っていたとしても歩けない距離ではない。

ウズベキスタンはイスラム圏とはいえ、ビールとウオッカとワインを作っていると聞いていた。蒸留酒が好きなので、ブドウを使った蒸留酒であるブランデーも作っている可能性が大だと期待していた。そのためにガラス瓶の梱包材まで持って行ったのだ。

事前に調べたところ、サマルカンドにワイナリーがあると読んだので、そこにブランデーがあるかもしれないと期待していた。しかしサマルカンドでは撮影に時間を取られてしまい、ワイナリーを訪問する時間はなかった。しかも、いくら飲酒に寛容な文化と言っても、基本はイスラム教文化であり、サマルカンドとブハラでは酒屋を見付けられなかった。

荷造りを考えると、割れ物である酒瓶はホテルのチェックアウト前に買っておきたい。ウズベキスタン到着日にビールを買った酒屋が、駅から徒歩でホテルに向かう途中にあった。そしてビールを買いに行った時に、ブランデーを売っているのを確認していた。しかも24時間営業であることも確認済みである。僕の人生は抜かりが多いが、こういう時は抜かりないのだ。

その酒屋へ行ったところ、防犯上からか、深夜は店のドア越しに頼むスタイルらしい。そもそもキリル文字のラベルは読めないし、iPhoneが動かないので翻訳アプリも使えない。こうなると数字で書いてある、熟成年数か値段しか比較材料がない。最も熟成年数が高いブランデーを指差して購入した。

帰国して知り合いのバーで開栓したところ、とても美味しかった。ただし、それがウクライナ産だったのは気にしないことにするしかない。こんな時代に、どういう物流体制なのか分からないが、期せずしてウクライナ支援をしたと思えば良い。

タシュケントは必ずしも思い通りにはいかなかった街だが、思い通りに行った街でもある。終わり良ければ全て良し、だろう。

そして、やはり僕の人生には抜かりが多い事が分かった。

ぶはらのおもいで

アシアナ航空が大韓航空と合併する前に行きたかったウズベキスタンだが、サマルカンドだけ行ったのでは勿体ない。調べてみたところ、ブハラという別の古都があった。日本に例えると、サマルカンドを京都とすれば、ブハラは奈良らしい。他にも行ってみたい都市はあったが、撮影に時間を取りたかったので、この2都市に旅行先を絞ることにした。

レギスタン広場に着いた時にシルクロードの旅が終わったとの感慨を抱いたが、まだ先はあったのだ。

サマルカンド~ブハラ間は高速鉄道の予約を取っていた。高速鉄道も、普通の客車特急も、走る線路自体は同じなので、高速鉄道のメリットは車両が新しいことと、乗車時間が多少短いことだけである。

ブハラでは美味しそうなレストランを予約しておいたのだが、そこはホテルのレストランだった。当初は別のホテルに泊まる予定にしていたのだが、結局そのホテルへ宿泊予約を変更することにした。

このホテルは駅からの無料ピックアップサービスを提供しており、これが大変に助かった。ブハラ旧市街の広場周辺は自動車の進入が制限されている挙句、ホテルは路地を入ったところにあり、いきなり広場の外でタクシーを降ろされたとしても到着は困難そうだからである。

そこまで念入りな交通対策をとっているブハラだが、サマルカンドと比べると街の規模は小さいし、観光客も少ない。慌ただしさもなく、ゆっくり過ごせる街だった。

サマルカンドでは壮大で美しい建築物を精力的に撮影しており、極めて満足していた。旅行に限らないのかもしれないが、極めて満足というのは諸刃の剣である。論語の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と似たようなものだろう。

端的に言うと、ブハラに着いた頃には歴史的建築物を見飽きてしまっていたのだ。以前に蒸留所めぐりでスコットランドへ行って、4か所目には飽きていたのに近い感覚だろう。ただし蒸留所には試飲とショップがある分、飽きたと言っても、やるべきことは有る。

ブハラはスコットランドの田舎と同じくらいアクセス困難なので、飽きたからと言って、部屋でゴロゴロしているわけにはいかない。幸いにもウズベキスタンは飲酒に寛容な文化なので、屋外の日陰の席でビールを飲んで、ゆっくり観光スポットを巡ってみる事にした。

ブハラも世界遺産だらけだが、ボロハウズ・モスクが特に気に入った。「地味」といっても、1712年に王族が自分の城の前に作らせたモスクだから程度問題なのだろうが、サマルカンドで見てきた歴史的建築物と比較すると、相当に大人しい佇まいである。

モスク前の広場にはザクロジュースの屋台が出ており、僕はベンチに座ってモスクを眺めていた。夜はライトアップもしているので、こうなると何度も通ってしまうのは僕の性格から止むを得ない。

最後の夜、三脚を持って夜景を撮りに行ったところ、モスクの前に大量の絨毯が置いてあった。そういえば翌日は金曜日である。ウズベキスタンの歴史的建築物、とくに元がメドレセと呼ばれる神学校だった所は、いまや実質的に商業施設と化している場所も多いが、ここは現役のモスクである。

さすがに日の出の礼拝時間までには起きられないが、昼の礼拝が13:10頃と表示されていた。夕方の列車でタシュケントに戻る予定だったので、ちょうど良い時間だろう。

翌日、ホテルに荷物を預けてモスクへ向かった。前日まで僕がジュースを片手にボケッと座っていた広場には絨毯が敷かれており、日光を遮るためのテントも設置され、多数の人が参列していた。僕はセキュリティ外側のベンチに座れた。隣には老人がいて、そこから祈っていた。礼拝が終わると、彼は僕の肩を軽く叩いて去っていった。

サマルカンドでは撮影に集中していたが、ブハラではゆっくりとした時間を楽しむことができた。諸刃の剣も使いようである。

さまるかんどのおもいで

二度あることは三度ある。
三度目の正直。

日本語の格言は矛盾している。おそらく確率からすると五分五分だろうから、どちらかを信じるしかないのだろう。僕は「コップに水が半分もある」と言うよりも、「コップに水が半分しかない」と思うタイプなので、基本的には前者を信じてきた。

僕の旅行計画は過度に緻密で、休暇なのか取材旅行なのか分からないと言われるほどだが、目的地に着いてからの細かい計画は、緻密とは無縁の非効率さである。

写真撮影がメインの旅なので、僕の旅行は目的地での滞在時間を多く取る傾向にある。似たような旅行日数だと、結果的に他の旅行者よりも訪問地が少なくなりがちだ。そして入場料を払ってでも、より良い撮影条件を求めて、何度も同じ場所に行っている。実際、昨年のドブロブニクでは入場料35ユーロの城壁に3回も入った。日本円総額で約15,000円である。浪費も甚だしい。

今回のウズベキスタン旅行は移動も含めて9日間だったが、予定の組み方によっては、滞在国数レベルの違いを生むようだ。出発日に成田空港で団体旅行のカウンターを見たところ、7日間か8日間でウズベキスタンとトルクメニスタンを訪問するツアーがあった。緻密であることが、効率的とは限らない例だろう。

今回の旅のメインはサマルカンドだった。ここで3泊の予定である。サマルカンドまでの移動については緻密な計画を立てていたが、サマルカンド滞在中は特に予定を立てていなかった。まずはサマルカンド到着直後にメインとなるレギスタン広場を訪れ、それから撮影計画を考えることにした。

レギスタン広場は観光客が多くて撮影が難しい挙句、広場を囲むように、東側、北側、西側に巨大なモスク (厳密にはマドラサというイスラム神学校) の跡地が3つ並んでいる。好天に恵まれたので太陽光が強すぎて影が出てしまい、順光で撮影するためには午前と午後に分けてレギスタン広場を訪問する必要がありそうだ。夕景が綺麗らしいので撮影したいし、夜のライトアップは更に美しいらしい。

結果的に6回もレギスタン広場に行った。さすがにレギスタン広場の入場料はドブロブニクの城壁ほど高額ではないが、ウズベキスタンの物価を考えれば、高めの価格設定だと思われる。回数が倍なので、物価差を加味して総額を考えれば、ドブロブニク城壁3回と似たような浪費だろう。

どうしてもレギスタン広場で撮りたかったのが、広場にある3つのモスクをおさめた夜景である。この為に三脚を持って行ったのだが、実際の撮影は異様に難しかった。

基本的に僕は緻密な計画性を持っているので、何度でもレギスタン広場に行けるよう、徒歩圏内のホテルを取っておいた。ただし、そこから先の計画はザルすぎた。

初日の21時にライトアップを見に行ったところ、そこそこの人出だったので、入らずに挫折してしまった。2日目は22時過ぎに行ったが、レギスタン広場は24時閉場にも関わらず、入場券の販売が終わっていた。無料エリアに展望スペースがあるので、そこから撮影した。遠景としては悪くないが、有料エリアの施設が写り込んでしまい、Adobe LightroomでAI調整が必要だった。

そして3日目の夜である。もう後がないので念のため21時半に行ったが、例によって人出が多い。飽きるほど時間をつぶし、23:50になって、やっと無人の広場を手に入れた。まさに三度目の正直である。その数分後、呆れた警備員に後5分で閉まるぞと声をかけられた。滞在日程を長く取っておいて損はなかった。

同じ都市に4日もいると、食事が問題になる。初日の夜は肉を食べに行ったが、どうも僕は羊肉との相性が悪いらしい。早々に胃もたれが発生した。旅行者でも行ける程度のローカルレストランを探したのだが、限られた仕入れしかしていないであろう牛肉は、外国人観光客で取り合いだったと思われる。僕が撮影の合間に行くような時間帯には売り切れていた。

結局、メインで食べていたのは、プロフというウズベキスタン料理である。ピラフの原形と言う説もあるらしい。これだとコメを食べられるし、副菜で美味しいトマトも付いてくる。良い専門店を見つけることができたので、サマルカンド滞在中は通っていた。

最初は15時頃に行ったのだが、作ってから時間が経っているようで、かなり油が強かった。ホテルに戻って調べてみると、地元の人々は好みのプロフ屋の出来上がり時間を把握しているらしい。その店をGoogle Mapで調べたところ9時開店だったので、翌日は11時頃に行った。しかし店先でプロフを作っている最中だった。

この状況で9時開店はないだろう。Google Mapが間違っていたのだろうと思い、1時間ほどの待ちを覚悟した。しかし奥の方でチンと音がして、早々にプロフが出てきた。料理は十分すぎるほど熱いが、ただでさえ多い油が劣化しており、前日15時より明らかに状態は悪い。

さすがの僕も学ぶ。最終日は13時頃に行ったところ、出来立てを味わうことができた。メチャクチャうまい。プロフにも3度目の正直があった。やはり滞在日程は長く取っておいて損はない。

おそらく普通の旅行者の倍くらいサマルカンドに滞在したが、完全に満足することができた。期間が長ければ、良い方に転ぶ確率が上がるという数学的な問題だろう。

結局のところ格言をどう捉えるかは、結果次第である。

うずべきすたんのおもいで

米沢藩の上杉鷹山は「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」との家訓を残した。

ずっと前に旅行先を探していたところ、青い巨大なイスラム建築が立ち並ぶ広場を見付けた。調べてみると、サマルカンドのレギスタン広場だった。ウズベキスタンにある世界遺産の街である。ウズベキスタン首都のタシュケントまで行って、そこから鉄道に乗れば行けるらしい。

言葉にすると簡単だが、いわゆるスタンの国であり、諸々の手配を含め、訪問しにくそうな場所である。最大の問題は日程で、羽田からの深夜便を使いこなせるような場所にはなく、しかも日本とウズベキスタンには時差が4時間しかないので、時差のマジックも通用しない。往復の移動だけで少なくとも2日を潰しそうな塩梅である。

当時だとソウル経由かモスクワ経由が便利そうで、アシアナ航空がタシュケントまで週3〜4便あると頭の片隅に入れたまま、放置されていた。その後、COVID-19による渡航制限が始まり、記憶は更に埋もれてしまった。

つまるところ「成らぬは人のなさぬなりけり」である。

ある日、その記憶の片隅に辿り着いたきっかけは、アシアナ航空と大韓航空が合併するニュースだった。アシアナ航空ならStar AllianceなのでANAにマイルが貯まるが、合併後は僕にはマイルが扱いにくいSkyTeamになるらしい。動機としては不純かも知れないが、ウズベキスタンに行く頃合いなのかと思い始めた。

丁度その頃の金曜日、バーで隣にいた客がウズベキスタンを絶賛していた。たぶん酔っ払っていた、その客の友達よりも熱心に話に耳を傾けていたと思う。たまたま店を出たのが同じタイミングだったので、僕にしては珍しく声をかけてみたところ、イスラム圏とは言え旧ソビエト連邦なので酒には寛容で、ビールだけではなく、ウォッカとワインも作っているらしい。蒸溜所がある国でワインを作っているのなら、果実系の蒸留酒であるブランデーも期待できるかもしれない。

ここまでくれば「成らぬは人のなさぬなりけり」に甘んじてはいけない。いまこそ「なせば成る」と信じる時である。そして、その週末にアシアナ航空の予約を入れた。

ホテルは予約サイトを見て決めたが、面倒くさそうなのは鉄道のチケット確保である。調べてみたところ、ウズベキスタン国鉄のチケットはネットで購入可能らしい。しかも座席番号の指定まで可能なようなので、1人がけ席のある一等車を狙う事にした。

ただし色々なサイトに早めの事前予約が必要だと書いてあるわりに、発売開始日がイマイチ良く分からない。45日前と書いてあるサイトが多かったように思ったが、50日くらい前に念の為に見てみたところ、既に発売開始になっていた。3区間を予約する必要があったのだが、一等車残り1席が1区間、一等車は満席で二等車残り数席しかないのが1区間、夜行便のような時間帯しかないのが1区間と、列車チケットの確保は完全に出遅れてしまった。しかもWebサイトではカード決済できず、ビビってアプリを入れたら決済できた。

購入後、冷静になってアプリを見直してみたところ、直近の列車には空きがあったので、列車によって発売日が異なるのかも知れないと思い始めた。数日おきに見ていたところ、いつの間にか下級種別の列車チケットが発売されていた。結局、チケットの発売開始日は分からないままだったが、ほぼ希望通りのスケジュールで繋がった。

あとは行くだけとならなかったのが、今回の旅である。出発直前にホテル予約サイトから予約確認書を印刷しようとしたところ、どうも挙動がおかしい。よくよく調べてみたところ、サマルカンドで予約したホテルが、予約サイトから消えていた。念の為にホテルへ直接メールを出したが、返事が来ない。かなり怪しいので、別のホテルを取り直した。出発数日前のことであり、あまり選択肢がなかった。

こうなると疑心暗鬼にしかならない。他の予約済ホテルにも些細な用事で連絡を入れ、自分の存在をアピールした。そしてタシュケント空港到着時にSIMカードを買おうと思っていたのだが、これまた念の為、eSIMを日本で購入してから行った。

他者に対しては疑心暗鬼になりやすいが、自らの失敗から学ばないので、出発前夜は懲りずに飲み過ぎていた。ほとんど記憶がないまま、自宅から成田経由でソウル仁川空港へ。仁川からの飛行機は期せずして北京上空へ達し、モンゴルとの国境線に沿うように西へ向かった。シルクロード感満載の飛行ルートだろう。

事前に調べた限りでは、タシュケント空港で飛行機を降りてからが最大の難関だった。ターミナル内には空港タクシーのカウンターがあるらしいが、かなり意味不明な価格設定との事。そして空港ビルを出ると、タクシーの客引きが凄いらしい。正解はアプリによる配車だが、彼らは空港内には入れないので、徒歩で空港の敷地外へ出るまでタクシーの勧誘を拒否し続ける必要がある模様。

しかし入国審査を終えて空港ターミナルから出たものの、なぜかタクシーの客引きがおらず、誰からも声をかけられない。群がるオッサン達を突き抜けて、猪突猛進で空港外の道路まで逃げようかと思っていたのだが、拍子抜けも甚だしい。

それよりもeSIMがLTEという一昔前の通信規格のせいか、LINEの送受信がおかしくなるほど回線速度が遅く、不安しかない。それでも配車アプリは使えて、タシュケント中央駅近くのホテルへ無事に到着した。

寝酒が必要だったが、旧ソ連なので酒には寛容といっても、どこでも酒を買えるわけではないらしい。近隣でビールを買える店を教えてもらい、酒屋まで外出した。

翌朝になっても疲労は抜けていない。これは流石に前々日の深酒が原因ではなく、出発2週間前にCOVID-19に感染したので、体力が戻っていないせいだろう。先行きに不安が残るが、なんとか気力で起きて、タシュケント中央駅へ向かった。

高速鉄道が取れなかったので、この日の列車は客車編成の特急である。一等車だが、ちょっと古めの座席だった。そんな座席を気にする余裕はなく、列車が発車するなり眠りに落ちた。2時間くらい寝たところで起きたら、荒涼とした原野の真ん中だった。これこそがシルクロードの景色なのだろう。車内で微睡みながら、シルクロードを更に進む。

列車は30分くらい遅れてサマルカンド駅に到着した。ここもタクシーの客引きだらけだと思ったが、わずか数人いる程度である。速攻で駅前広場へ逃げ、配車アプリを利用してホテルへ向かった。

チェックイン時間前だったが、部屋に入れてくれた。荷物を置いて、休む間もなく、レギスタン広場へ行くことにした。

乾季のせいもあって、快晴だった。青空の下、壮観なレギスタン広場を見て回った。「ティラ・コリ・マドラサ」の中にあるモスクが特に素晴らしい。レギスタン広場を一通り見たところで、一旦、ホテルへ戻ることにした。

レギスタン広場までの移動だけで1日半を費やしたが、ついに僕のシルクロードの旅が終わった。まさに「なせば成る」のである。

ウズベキスタンで上杉鷹山の教えに近付いた気がした。