さかたのおもいで

人付き合いはおろか、そもそも人間自体が苦手なので、友人と呼べる人は少ない。職場では皆無に近いが、バーには僅かながら存在している。

ある日、そんなバーで山形県酒田市に行かないかと誘われた。その店の元常連客が、酒田に住んでいるのだ。僕の唯一の条件は、夕陽が落ちる時間帯に、日本海に沿って走る特急「いなほ」に乗ることだったが、それは織り込み済みだったらしい。こうなると即決である。

その時点で既に少し酔っていたにも関わらず、別のバーに寄ってから帰宅したが、その夜のうちに酒田のホテルを予約した。そして数週間後、特急列車の指定券も発売当日に予約した。ここまでは完璧である。

そんな熱意は、熱しやすく冷めやすい。たまたま出発前日、中学生の頃から入ってみたかった居酒屋へ行く機会に恵まれた。早朝出発にもかかわらず、結果的に3軒も飲み歩き、ベロベロで帰宅した。こうなる予感は十分あったので、飲みに行く前に荷造りまで済ませていたのは、誇らしいのか、恥ずかしいのかは不明である。

翌朝は朝一番の上越新幹線である。前夜は何時に帰ったのか定かではない程だったので、仮眠程度で起床して、良く分からないまま東京駅から新幹線に乗った。新潟駅で特急列車に乗り換えるのだが、グリーン車の海側座席をとっておいた。海を見ながら、朝からビールでも飲もうと思っていたのだ。

しかし新潟駅に着いた時には二日酔いで弱り果てており、乗り換え時間にビールを買う心の余裕はなかった。ただし同じような事を考え、かつ計画的な行動が出来る人は多いらしく、いなほ1号のグリーン車には、新潟駅発車と同時にビールやらチューハイの缶が開く音が響き渡っていた。一方、その音を合図に、僕は深い眠りに落ちた。

特急列車は快晴の日本海に沿って走っていた筈だが、結局、ほとんど車窓は見ないまま酒田駅に到着した。オーシャンビューの高級ホテルで寝込んでいるようなものであり、ある意味、究極の贅沢なのだろう。

列車内で熟睡したおかげなのか、酒田駅へ着いた時には、完全に立ち直っていた。昼食は地元で有名な寿司屋さんを予約してもらっており、それまでに回復していたので、飲酒ですら差し障りなかった。旅の重要な目的の一つを果たしたと言えるだろう。

夕食は山奥の蕎麦屋さんに連れて行ってもらった。同行の友人達は、こちらがメインだったらしい。古い農家を改築したような、素晴らしい店だった。夕暮れ前に到着したところ、ヒグラシが鳴いており、徐々にセミに変わり、最後は蛙。風情のある座敷で酒と肴、最後に美味しい蕎麦を食した。ついつい蕎麦をおかわりし、なぜか酒田ラーメン店にも寄ってホテルに戻った。

そんな酒田には、写真家として有名な土門拳の美術館がある。御本人が酒田出身らしい。僕は写真系のブログをやっているので、その美術館を訪問して、何かしら学ぶべきなのだろう。

しかし土門拳写真美術館の訪問は、全力で回避する事にした。基本的に美術館の類いが苦手なのだが、それだけが理由ではない。

そもそも僕は有名な観光地で、それらしい写真を撮っているだけである。しかも土門拳らしいモノクロによる陰影表現とは対極的に、ビビットなカラー好きである。高名な写真家の作品を見たとしても、越えられない差に気が付くだけだろう。既に認識している事を、酒田まで来て実感する必要はない。

なにか逃げ道を探していたところ、庄内エリアには鳥海山の伏流水を水源とする滝が多くあることに気付いた。この旅行計画の原点であるバーの店主が、近隣の秋田県象潟の出身である。その象潟に見応えのある滝があったので、2日目、そこへ連れて行ってもらう事にした。

そしてメインのイベントとなる、帰りの特急いなほ14号の時間になった。文句ない天候である。帰りもグリーン車の海側に乗車した。酒田発が18:18で、当日の日没が19:00頃というベストなタイミングである。

前日朝の反省を活かし、この列車に向けて、前の晩から計画的に飲酒するようにしていた。例の酒田ラーメン店でもビールは飲まなかったし。

まずは酒田駅で地ビールを飲んでから、日本酒を持って特急に乗車した。日没を見ながら、列車内で日本酒3合ほど飲んだ。特急列車が新潟駅へ着いた時には、ほぼ酔っ払っていた。

この日は三連休の中日だったので、遅い時間の上り新幹線は空いているかと思いきや、新潟で大型イベントがあったらしく、若い女性で満席だった。グリーン車ですら満席に近いらしい。

それはさておき、今度こそ新潟駅での乗り継ぎ時間に越後ビールを購入できた。先程から酒臭い自分自身に引け目を感じていたのを言い訳にして、酔った勢いで隣席に客がいないグランクラスに変更。

行きの計画倒れを取り返すかのように、上越新幹線の新潟駅発車と同時にビール缶を開けた。長岡駅あたりで空缶を捨てに行った直後、気付くと新幹線は既に上野駅手前だった。人生初のグランクラス乗車だったのに、熟睡しているうちに旅が終わりかけていた。

今回の旅行では、楽しむべきところは十分に楽しめたものの、計画の実行性としては不完全だった。飲酒は元から予定の一部であり、問題ない。一番の問題は、睡眠以外の意味がないまま、列車に何度も余分な金を払ってしまった事だろう。

これこそが究極の贅沢なのだろうと思い込むしかない。

旅のしおり:酒田

記載の時刻等は訪問時のダイヤです。

1日目

東京 0608 (とき301) > 新潟 0810
新潟 0823 (いなほ1) > 酒田 1032

山居倉庫
・寿司屋 こい勢
関川しな織センター
・蕎麦屋 大松家

宿泊:若葉旅館 (が良いらしいが、禁煙室がなく挫折)

1日目Tips
・同行者のメインイベントは「大松」だったが、周囲の雰囲気もあわせて、完璧なくらい素晴らしかった。この店は銀座に支店があるらしいが、たぶん酒田の本店とは別世界だろう。

2日目

・漁港めぐり
元滝伏流水

昼食:まえさんzero

酒田 1818 (いなほ14) > 新潟 2023
新潟 2111 (とき88) > 上野 2238

2日目Tips
・いなほ14号は秋田始発で秋田〜酒田間も日本海沿いを走る。3月だと酒田の日没が17:30くらいなので、その時期に秋田から乗車するのも良いだろう。日本酒を持って特急に乗車し、鉛色の日本海冬景色を眺める。そして日没後の酒田で降りて、寿司屋へ行ってから、深夜の酒田ラーメン。たまりませんな。

とやまのおもいで

6月上旬にニュース記事を読んでいたところ、立山アルペンルートの室堂にある「みくりが池」の解氷が始まり、池がブルーになっているとのこと。その時は大して何も思わなかったが、数日後、妻が会社を休んで友達と鎌倉に出かけると聞いた。特に論理的な相関性は見い出せないが、それならば僕も会社を休むべきではないだろうか。

梅雨入り直前、木曜日~金曜日にかけて高気圧が日本列島を通過するタイミングがあった。会社の日程を見たところ、その金曜日は在宅勤務を予定しており、休んだところで影響は少なそうだった。この高気圧の影響は、富山県では木曜日の夕方がベストなようで、金曜日の午前中には東北の太平洋側に抜けてしまう模様。それでも低気圧も梅雨前線も離れた位置にあるので、気象条件としては悪くなさそうだった。

妻の行動と自分の予定には論理的な相関性はないが、それでも自分の行動だけを論理的に振り返ったところ、前月に会社を休んで群馬新潟に行っており、迷いが生じた。こういう時は自分で判断しないに限る。ダメ元で電話してみたところ、前日にも関わらず、富山市内にある寿司屋さんの予約が取れた。これは富山の神様が来いと言っているのだろう。後悔は先に立たないので、思い切って行くことにした。もはや理論の世界ではない。

東京駅から朝一番の北陸新幹線に乗車して、長野駅からバスで扇沢へ向かった。ライブカメラで見る室堂は快晴だった。脇目もふらず、扇沢から室堂を目指した。長野県方面を見下ろせる最後のポイントである大観峰でも、多少の雲はあったものの、概ね晴れていた。

そこから電気バスに乗り、立山をトンネルで潜り抜けて、本州の日本海側に入った。東京駅から4時間半かけて室堂に着いてみると、無情にも曇天だった。太陽は雲の中であり、みくりが池のブルーも、期待した程の色彩には見えない。

それでも立山連峰の稜線が見えているだけマシだろう。ベンチでカメラを取り出していると、グーグーと奇妙な音がした。奇声を発している観光客かと半ば呆れて見てみると、それは雷鳥だった。呆れるべきなのは僕自身である。

その後も散歩を続けたが、本当に特別天然記念物に指定されているのかと思う程、何羽も雷鳥を見ることができた。衣替えの時期なのか、毛色のパターンも複数あって面白い。

しばらくすると雲が薄くなり、日もさしてきた。みくりが池に急いで戻ると、太陽光にブルーの氷解水が映えていた。奇跡的な一瞬があって、池の波が止み、水面に立山が映った。

時間が許す限り絶景を堪能し、富山市へ向かった。

寿司屋さんは美味しく、ベロベロになる手前で富山駅に戻った。最後に押し寿司を購入して、新幹線ホームへ向かった。その日の全てが完璧ではないかと内心では自画自賛していたのだが、新幹線を乗り間違えてしまった。酔っ払っていたので、とりあえず来た列車に飛び乗ったら、一本前の新幹線だったのだ。

そういう時に限って、ほぼ全駅に止まる列車なのは必然と言うべきだろう。予約していた列車には途中駅で抜かれてしまい、帰宅が遅くなってしまった。それでも誤乗車した新幹線で座って帰れたので良しとすべきだろう。全てが完璧とはいかなかったが、大成功と言える一日だった。

結局のところ、条件が揃えば、悩まずに行動する方が賢明なのだろう。後悔は先には立たないのだから。

旅のしおり:立山アルペンルート

東京 0616 (かがやき501) > 長野 0736
長野駅東口 0750 (バス) > 扇沢 0925
扇沢 0930 (電気バス) > 黒部ダム 0946
黒部湖 1010 (ケーブルカー) > 黒部平 1015
黒部平 1030 (ロープウェイ) > 大観峰 1037
大観峰 1045 (電気バス) > 室堂 1055

・室堂

室堂 1420 (バス) > 美女平 1510
美女平 1540 (ケーブルカー) > 立山 1547
立山 1603 (電車)> 富山 1700

夕食:寿司栄掛尾店

富山 1940 (かがやき516・・・には乗れなかった) > 東京 2156

Tips
・室堂は富山県にあるので、富山周りの方が早く着くと思いきや、長野から信濃大町をまわった方が1時間くらい早く着けると判明。そもそも東京から信濃大町へは松本経由の大糸線で行く場所だと思い込んでいたが、いまや新幹線を活用して長野からバスで行く場所らしい。

えちごゆざわのおもいで

5月で二回目となる横川へ行った際、その週に谷川岳・一ノ倉沢までトレッキングするのは道路閉鎖により不可能だと教えられたが、既に金曜日の休みを取っていた。谷川岳ロープウェイだけでも行ってみようかと思ったが、それだけでは旅行として少し物足りない。しかもライブカメラを見たところ、5月ともなれば残雪が少なく、かなり想像と異なっていた。谷川岳の残雪を見ようと思った昨年の時点で、リサーチ不足だった可能性が高い。

会社の休みはキャンセルできるが、僕の気分は三連休であり、既に金曜日に出社する気力は失われていた。どこかに出かけようと思って地図を眺めていたところ、新潟県の清津峡トンネルに行ってみたかったことを思い出した。

上越の里山は新緑の時期だろう。まだ夏のピークシーズン前であり、平日ならば、そこまで混んでいないと思われた。

東京駅から上越新幹線に乗って越後湯沢へ向かった。人が最も少ないと思われる、開館直後の時間帯に行きたかったので、行きは越後湯沢駅からタクシーを利用した。そもそも1本目の下り新幹線と、1日に数往復しかない地元の路線バスは、10分差くらいで接続していない。関東から公共交通機関利用での日帰りは、かなり厳しい場所である。

青空の下、新緑が眩しい。渓谷の川沿いには野生の花が咲いていた。トンネルの最奥部には水を張ってあるのだが、青空と谷が水面に映えている。想定通りの人出で、ゆっくり撮影できた。

しかし谷には残雪があり、日陰となる隅の方の景色を少々ブロックしていた。時期的に少し早過ぎたのだろう。ゴールデンウィーク後1回目の横川訪問ではリサーチ不足で失敗したが、上越国境をこえて新潟県に来てもリサーチ不足ではないだろうか。

残雪といっても、枝葉が落ちており、もはや茶色い物体と化していた。最初は気にならなかったが、何枚も撮っているうちに気になってしまう。LightroomでRAWファイルを処理する時にAI補正するしかない。

さすがに帰りもタクシーというわけにはいかず、ゆっくりと時間調整して、路線バスで越後湯沢に戻った。乗客は他に3人だけ。全員が清津峡トンネル最寄りのバス停から乗ったので、往路は僕と同じ運命だったのだろう。

このまま自宅に戻っても良かったのだが、近隣の六日町にカタクリの群生地があるとのことで、花を見に行った。5月中旬くらいが見頃だと読んだ気がしたのだが、もはやカタクリは跡形もなかった。実際、その日は立ち入り規制のロープを地元の人が片付けていた。六日町駅から結構な距離を歩いたが、無意味に終わってしまった。結局のところリサーチ不足であり、失敗から学んでいないのは明白である。

猿も木から落ちる。木から落ちた猿は、その後で何かを学ぶに違いない。そうでなければ厳しい野生の世界で生きてはいけないだろう。

人類としての僕は、知的には猿より進化している筈だ。内容のレベルはともかくブログを書いているし、掛け算程度の算数も出来る。どちらも猿には到達不可能な能力である。

そうとは言うものの、木から落ちても、実は大して学んでいないように思われる。これでも猿より本質的に賢いと言えるのだろうか。

人類の一員としての尊厳に疑問を感じつつ、新幹線で上越名物の笹団子を食べながら帰った。その疑問への回答はどうあれ、新幹線に乗れるのも、笹団子を食べられるのも、人類の特権である。

人類で良かった。

旅のしおり:越後湯沢

記載の時刻等は訪問時のダイヤです。

東京 0608 (とき310) > 越後湯沢 0722
越後湯沢駅 (タクシー) > 清津峡トンネル

清津峡トンネル

清津峡入口 1212 (バス) > 越後湯沢駅前 1240

越後湯沢 1314 (JR) > 六日町 1336

飯綱山

六日町駅前 (バス) > 塩沢郵便局前

塩沢宿

塩沢 1631 (JR) > 越後湯沢 1649
越後湯沢 1708 (たにがわ86) > 上野 1814