げいびけいのおもいで

今年の2月11日、建国記念日は火曜日だった。月曜を休みにすれば4連休になる。今年も雪景色を見に行きたいと思った。

正月休みに台湾へ行ったので、丸4日間も移動満載の旅行に行く財力はなかった。よくよく探したところ、奥入瀬の冬季バスツアーが週末と祝日の昼間に運行されていた。この他に夜間のライトアップのツアーもある。日曜日の往路と火曜の復路に昼間のバスツアーを利用すれば、夜間も含めて4回の奥入瀬撮影のチャンスがある。2泊3日にしては効率的なプランと思われた。

全ての手配を終えたところ、僕がサラリーマンであることが判明した。日曜と祝日の間の月曜日に、出社する必要が発生してしまったのだ。やむを得ず予定をキャンセルし、2月末に別の旅行を計画した。一方で2月中に済ませるべき用事があったので、そちらは予定が空いてしまった9日と11日に片付けることにした。

その2月9日は馬車馬のように用事を片付けたところ、深夜には全て終了した。結果、2月11日がフリーになった。家でゴロゴロしていても良いのだが、せっかくだから雪景色を見に行きたい。

東北の天気予報を見ると、南部では午後から晴れの予報になっていた。数年前に樹氷を見に山形県の蔵王へ行ったが、極めて美しい夕景を見ることができた。調べてみると蔵王の日没は17時頃であり、日帰りでも最終の新幹線に間に合うことが判明した。ほとんど予定を作り、念の為に蔵王ロープウェイの営業時間を調べたところ、なんと樹氷のライトアップが毎日開催ではなかった。ライトアップが開催されない日はロープウェイの運行が日没前に終わってしまうのだが、祝日なのに2月11日にはライトアップが開催されないらしい。あやうく無駄に行くところだったが、なんとか回避できた。

もう既に悩む時間はなかったのだが、前日午後になって改めて天気予報を見たところ、山形県、宮城県、岩手県は午後から晴れの予報が続いていた。せっかくの晴れなので、どこかに行きたい。

会社から戻りながら地図を眺めていると、一ノ関にある猊鼻渓に興味があったことを思い出した。紅葉で有名な場所だが、雪景色も綺麗だろう。昼前の新幹線に乗れば、晴れるであろう午後には到着できる。一ノ関からは大船渡線に乗る必要があるが、ローカル線なのでスケジュールが難しい。ただし沿線を走る東磐交通というバスがあり、1日3往復しか運行されていないのだが、それと組み合わせると旅程が綺麗に成立した。

さらに調べたところ、一ノ関は餅料理で有名らしい。そして駅前に良さそうな居酒屋も発見した。東京からの出発を早めて一ノ関で餅を食べてから猊鼻渓へ行き、帰りも遅い新幹線に乗ることにした。こうすると居酒屋で2時間半ほど取れる算段である。以前に新山口駅前で素晴らしい居酒屋に遭遇したのだが、かなりスケジュール的にタイトで、後ろ髪をひかれる思いで帰京したことがあった。そうはいっても2時間半あれば十分だろう。すべての手配が終わったのは22時過ぎだった。予報は良好のままである。

東京駅から東北新幹線に乗車、埼玉県に入っても富士山が見える快晴だが、郡山あたりから天候が怪しくなった。それでも午前中の天気が悪いのは想定の範囲内である。一ノ関で新幹線を降りると青空がのぞいていた。駅から徒歩で餅レストランに向かった。

美味しい餅と雑煮を食べて店を出ると、想定外の吹雪である。天気予報を見ると、晴れになる時間が14時に変わっていた。それでも雨雲レーダーを見る限りでは15分ほどで雪は止むらしい。一ノ関駅に戻って大船渡線を待った。

店を出てから約20分後の発車時刻になっても雪は降り続けていた。改めてレーダーを見ると、雪が止むのは更に30分後らしい。結局、雪は止まないまま猊鼻渓に到着した。

猊鼻渓は船で片道30分、終点で20分ほど散歩して、また船で戻るルートになっている。乗船券を購入し、14時出航の船に乗った。風が強いし、雪も降っている。つまりは吹雪である。完全に想定外だ。正午過ぎに一ノ関の店を出てから2時間近いが、いまだに雪が止んでいない。午後から晴れるのではなかったのだろうか。

この日は吹雪だったが、豪雪地帯ではないらしく、猊鼻渓の雪景色を見られたと思えばプラスである。多分。散策中、新雪がフカフカして気持ちいい。

観光ガイドには興味がないので、集団から離れて撮影していた。帰りの船に乗る時間になると、渓谷に光が差し込んできた。舞い降りる雪に光が反射し、渓谷の暗い岩場をバックに煌めいている。これを写真にする技術力はないが、なんとも美しい。

猊鼻渓は左右に雄大な岩場が広がっているので、復路も行きと同じ側に乗船するよう指示される。ここから先は50%のチャンスをモノにしたのだが、最も大きい岩場を望む側が帰路だった。そして今や想定外となった青空が一瞬だけ出た時に、その岩場を通過することができた。極めて満足して下船した。

土産物屋で時間をつぶしてから一ノ関に戻ったが、帰りのバス道中も吹雪である。

居酒屋は極めて美味しかった。特に三陸の魚がおいしい。体が冷えきっていたので熱燗を飲んでから、地元の酒を冷酒で頂いた。ゆっくり時間をかけて4合か5合。お茶漬けをシメに頼んだが、この店の味噌汁をどうしても飲みたくなって注文。酔っ払って判断力が低下していると思われたのか、汁物2杯で本当に良いか確認されたものの、そのままお願いした。お茶漬けも味噌汁も美味しかったが、新幹線の時間が迫っていた。ちょっと残してしまい、慌ただしく店を出た。2時間半で足りないとは想定外だった。ギリギリで新幹線に駆け込んだ。

仙台で新幹線を乗り換える必要があり、そこまでは必死で起きていたが、仙台から大宮まで30秒、大宮から東京まで10秒で戻れた。家に帰って入浴中に目を閉じると、漆黒の中に吹雪が舞っていた。ずいぶん想定外が多かったが、急な思い付きでも東北の冬を満喫できた1日だった。

旅のしおり:猊鼻渓

記載の時刻等は訪問時のダイヤです。

東京 0908 > (こまち11) 仙台 1039 – 1050 (やまびこ53) > 一ノ関 1123

昼食:三彩館ふじせい

一ノ関 1246 (JR) > 猊鼻渓 1318

猊鼻渓

猊鼻渓口1550 (バス) > 一ノ関駅前 1632

夕食:酒肴庵 喜の川

一ノ関 2022 (やばびこ68) >> 仙台 2053 – 2131 (こまち48) > 東京 2304

ふぁんりゃおのおおもいで

昨年の台湾旅行から戻り、次回の台湾訪問に向けて色々と調べていたところ、台湾南部のローカル線に太平洋を望む絶景路線があって、旧型客車を復元した観光列車が運行されていることを発見した。「藍皮解憂号」という、ちょっと気が晴れそうな列車名である。おぼろげな記憶ながら、この列車が台湾国鉄の現役の定期列車だった時代に記事を読んだ事があったのだが、起点となる枋寮のアクセスが良くなくて見送ったまま忘れていた。

逆説的だが、台湾旅行の難しさは、日本からの近さにあるのではないかと思っている。疲労を無視して深夜便を活用すると、3泊あれば東南アジアに行けるし、4泊なら北米やヨーロッパも可能だと思っている。それなりに長期の休みが取れると台湾は計画から外れがちになるが、今回は航空料金の影響で台湾滞在の日程を長く取れるので、ちょうどいいタイミングだろう。

観光列車は週末には混むと想定して、当初は平日に予約を入れておいた。太平洋を望む絶景路線に乗るのであれば、天気の良い日に限る。日本出発前に予報を確認したところ、どの予報を見ても、乗車日の台湾南部は雨の予報だった。

雨では解憂は難しいだろう。出発前日まで週間予報を見ていたが、予報は変わらない。一方、どの予報会社を見ても、日本への帰国前日は晴れの予報だった。この日に今回の旅行の全てを賭けることにした。諸々の迷惑を顧みず、お金で無理にでも解決することにして、ホテルの予約を変更し、列車の予約を入れなおすことにした。

ついに藍皮解憂号に乗る日になった。枋寮は予報通りの快晴である。

ちょっと早めに受付へ行くと、相当な人の群れに驚いた。どうやら台湾の現地バスツアーに組み込まれているらしい。チケットを引き換え、グッズを購入し、駅で列車を待っていると、改札口に行列が出来はじめた。どの程度の混雑か分からないが、鉄道車両の構造上、海側の席は半分しかない。僕も列に並ぶことにした。

この列車は台湾国鉄の南廻線を、台湾南西部の枋寮から台湾東海岸の台東まで往復する。南廻線といっても、完全に台湾島の南端まで廻るわけではなく、山間部をトンネルでショートカットして東海岸に出る。

川端康成は「長いトンネルを抜けると雪国であった」と書いたが、残念ながら僕はノーベル賞作家ではないし、台湾は雪国でもない。

長いトンネルを抜けると雲翳であった。台湾を縦断するように山脈があって、ここを境に天気が変わるらしい。快晴だった西海岸で海の写真を撮らなかったのが悔やまれる。なかなか解憂には至らないまま、台東に到着した。

藍皮解憂号は一日一往復で運行されているが、復路を西海岸での日没時間帯にあわせているせいか、往復利用するとタイトなスケジュールである。台東では駅を見る時間しかなかった。東京都台東区に20年以上住んでいたので、ちょっと残念だ。

折り返し列車の乗車時刻になった。帰路も天気がイマイチである。

列車は途中駅で1時間ほど止まり、ウォーキングツアーとして原住民族の村を訪問した。この1時間の間に天気が劇的に回復した。まさに奇跡である。

乗客が再び列車に戻ると、晴天のまま、太平洋が間近で見えるビュースポットの徐行区間に到着した。

復路は乗客が少なく、中間の1両が無人での運行だった。観光列車全体がツアー会社による貸し切り運転であり、その車両単体が回送として施錠されているわけではなかった。無人の車内に立ち入ることができ、旧型客車の車窓に広がる青い太平洋を撮影できた。まさに解憂列車である。

夕刻、東海岸では山側に日が沈むが、トンネルを抜けると西海岸である。つまり山の奥に沈む太陽を眺めたのち、トンネルを抜けると、海に落ちる夕日を楽しめる。美しい光景を堪能できた。そして茜色の空を眺めながら枋寮に戻った。

日程的には出発直前に無理をし、当日ですらヤキモキさせられたが、まさに終わり良ければ全て良し。この正月休みで完全に解憂に成功した。昨年の僕はボロボロだったが、2025年は明るい兆しが見えた気がした。

かおしゅんのおもいで

今回の旅行では、鹿港への移動日を1日とっていたのだが、晴天を求めて枋寮で延泊する事にしたので、予定が空いてしまった。枋寮はマンゴーと漁業で有名らしい。漁港が好きな僕としては枋寮漁港を見に行くべきなのだろうが、予報によると、3日目も枋寮は小雨だった。多少なりとも西に行くのが良いようで、高雄は曇り程度らしい。今回は高雄へ行く予定をしていなかったが、予定変更を奇貨として、高雄を訪問する事にした。

僕は計画性の権化なので、行き当たりばったりの旅をしないようにしている。前夜に慌てて高雄について調べ始めた。一般的な観光ガイドに出てくるような、博物館や高層ビルには興味がない。色々と探し求めた結果、野菜市場、製糖工場跡、そして灯台を見に行く事にした。

長閑な田舎町の良い所なのかもしれないが、枋寮のホテルの朝食は8時からである。しかも朝食がセールスポイントらしく、かなり豪勢な朝食が出てくるのだ。あまりに多過ぎて食事時間が台湾国鉄のスケジュールとは合わないし、そもそも朝食を食べるタイプでもない。この日からはフルーツとパンだけに変えてもらった。コスト的には見合わないが、時間的には万全の体制で高雄に向かった。

高雄駅で特急を降り、まずはタクシーで野菜市場へ向かった。アジアのゴチャゴチャ市場と思いきや、かなり整然としている。市場内を何周かして撮影を終了。Uberでタクシーを呼んでランチの店へ向かった。旅の拠点を枋寮にしたため、移動時間が長くて十分な夕食時間が取れず、今回の旅行では最高級のレストランである。

優雅な昼食を終えると、地下鉄に乗って製糖工場跡へ向かった。地下鉄で行けるくらいなので近隣にあると思いきや、意外に遠かった。日本統治時代に作られて稼働を休止した工場を見学できるのだが、かなり巨大である。当時の機械類が残っていて迫力があるが、観光地というよりも廃墟に近い。むしろ僕には好ましいのだが。

最後が旗後灯台 (高雄灯台) である。地下鉄で市内に戻り、フェリーに乗船して向かう。こちらも日本統治時代に作られたものらしいが、手が入っていて美しい状態を維持している。天気が悪いながらも、夕暮れになれば、写真的には気にならない。

こちらは製糖工場とは比較にならないほどの観光地である。平日だったにも関わらず、なかなか人が画角から外れるタイミングを取りにくく、結構な長居をしてしまった。夜景まで堪能して再びフェリーで街に戻った。

帰りの電車まで時間があったので、パイナップルケーキを買いにベーカリーへ行くことにした。色々な受賞歴のある有名店らしいのだが、アクセスがイマイチ良くない。

フェリーを降りるとタクシースタンドがあって、ちょうど1台止まっていた。Uberでタクシーを呼べば無難なのだろうが、鹿港での悪夢が蘇った。この手の乗車場でのタクシーは、行き先の指示や料金など、当たり外れの差が激しい。もっとも台湾のタクシーは概ね問題ないと分かっているし、いまやアプリで会話もできる。何とかなるだろうと思って乗車。

ちょっと日本語のできる、演歌好きのドライバーだった。アプリ経由で会話しつつ、演歌を聞きながら高雄の街を走る。しかもベーカリーで買い物が終わるまで待っていてくれるとのこと。ありがたい。結果的に余裕をもって高雄駅に戻ることができた。

微妙に時間があったのでGoogle Mapで探してみると、排骨弁当の店があった。駅以外で排骨弁当を買うのは初めてである。付け合わせを選べるようなのだが、よく分からないでいると、先客に注文方法を教えてもらった。先程から助けられてばかりである。

高雄駅の広場には飲食禁止と表記があったものの、弁当を食べている人が数人いた。他人がやっていれば、何とかなるだろうと思うのが日本人の性である。帰りの列車に乗る前に夕食を済ませることができた。

降ってわいたような一日だったが、幸いにも高雄では雨は降らずに済んだ。高雄で地元の人に助けてもらい、今日も終わり良ければ全て良しである。