けいりんのおもいで

2025年のゴールデンウィーク直前に航空各社で持っているマイルを確認したところ、ANAに2026年4月が有効期限のマイルが6万マイルもあった。2026年末までと考えると7万マイルを超える。その時点ではJALでGWのメキシコを予約済み、夏休みのウズベキスタンはアシアナ航空で予約済みだったので、当面はANAのマイルを使う機会がなかった。

マイルを利用した行先の検討を始めたが、長期休暇を取る時間的な余裕はなかったので、アジア域内の国際線にせざるを得ない。自ずと家族旅行の計画になってしまう。

正月のピークには無料航空券を使えないだろうから、現実的なスケジュールは秋くらいになるだろう。まずは乾季である香港が頭に浮かんだが、行けそうなタイミングは全てキャンセル待ちだった。母親を連れて深夜便利用での東南アジアは厳しく、近距離のソウルではマイルを使いきれない。しかも同行人数が増えるので、キャンセル待ちのように、タイミングを天に任せるようなことは出来ない。そこで比較的空席が多い、中国本土へ行くことにした。

どこに行きたいか母親に聞いてみたところ、中国本土内陸部の絶景地ばかりだった。四川省での胃腸ダメージから回復していない時期だったので、簡単に調べただけで全て却下した。

カレンダーと特典航空券の空席を眺めていると、11月の火曜日が祝日であり、その前後に広東省広州へのフライトに空席があった。広州の近くでは桂林が有名で、内陸部の絶景地にも引けを取らないだろう。それに広東省は広東料理の本場であり、四川省のような激辛とは無縁だ。と思う。しかも香港と同じく乾季である。筈である。

この時点でメキシコ旅行の出発前日だった。ずるずると特典航空券の予約を引き伸ばしても意味がないので、桂林についてのリサーチは全くしないまま、広州便の無料航空券を予約する事にした。ダラスへ向かうJALの機内WiFiでANA無料航空券を取る悪行に及んでチケット確保、あとの諸々は先延ばしすることで対応した。

メキシコから戻ってリサーチを開始した。桂林に行ったら船旅をすれば良いだろうと簡単に考えていたが、ほぼ一日かかるらしい。一方で日の出の絶景スポットを見付けたが、桂林市内からだと相当に遠い。限られた日数で繋ぎ合わせるのは困難そうだった。色々と探してみたところ、絶景中の絶景ポイントは限られているようだったので、日の出絶景スポットに近い田舎町で泊まることにした。その町にはヒルトンホテルがある。自分だけなら泊まらないだろうが、家族となら許容されるだろう。

この話を中国に詳しい友人にしたところ、相当なダメ出しを食らった。そもそも桂林は広東省ではなく、広西チワン族自治区に属しているとのこと。そして広東とは似て非なる文化圏で、料理は広西料理という独自路線らしい。想定から随分と外れてきた。

そんな広西チワン族自治区で田舎町といえば、本格的な田舎のようだ。それでもホテルはヒルトンじゃないかと反論したものの、中国の田舎にあるヒルトンを甘くみるなとのこと。うーむ。

結局のところ、友人を信じるか、ヒルトンを信じるかである。以前の中国旅行でも随分と助けてもらっており、ヒルトンよりも友人を信じるべきだろう。しかし日程的に他の選択肢はないので、ヒルトンに賭けてみることにした。

定刻より少し早く広州空港に着くと、快晴だった。東京と違って暖かい。地下鉄移動は時間がかかるので、ピックアップを依頼しておいたドライバーと合流し、広州南駅へ向かった。

飛行機遅延の可能性も考慮して列車を予約しておいたので、駅で買い物がてら時間つぶし。事前に調べてもらった限りでは、例の田舎町の食堂は、概ね21時頃には閉まるらしい。ヒルトンも例外ではない可能性が高そうなので、駅のレストランで腹を満たし、コンビニで食料品を買い込んでから17:57発の列車に乗った。田舎町への少々のリスクヘッジである。

列車が広州市街を出る頃には、あたりは暗くなっていた。徐々に人工的な明かりが見えなくなってくる。高速鉄道なので、人里離れた地に線路を敷いているのだろう。と思う。

桂林駅の一つ手前、陽朔という駅に辿り着いた。陽朔駅と言っても、広州から桂林まで最短ルートで線路を敷設し、陽朔市街の近くで簡単に土地を確保できた場所に駅を作っただけだろう。端的にいえば、タクシー数台のほかには、絶望しかないような駅だ。英語でいうところのMiddle of Nowhereである。それでも手配しておいてもらったドライバーと合流できた。これもまた、田舎町への少々のスクヘッジである。

ホテル所在地は興坪という町だが、着いてみると、そこまで田舎でもない。荷物を置いて外に出ると、数軒だが食堂も遅い時刻まで営業しているし、コンビニも2軒ある。ガラガラだったが、土産物店も僅かに営業していた。しかも、この町にはヒルトンだけでなく、メルキュールもあった。

どちらを信じるか問題からすると、ここに結論があるように思えた。田舎のヒルトンを甘く見てはいけないのだろうが、国際ブランドのチェーンホテルが2軒ある町は、そもそも田舎町ではないのだろう。

たしゅけんとのおもいで

ウズベキスタンの首都はタシュケントだが、サマルカンドブハラと比べると、観光的には見劣りしてしまう感は否めない都市である。一般的には空港と鉄道の乗り継ぎの為に滞在する旅行者が多いのではないだろうか。

そんなタシュケントには「ホテル・ウズベキスタン」というホテルがある。妻の会社にスタンの国に詳しい人がいて、味わい深いソ連様式の建物らしいので、見に行くべきとの事。

ソビエト的な味わい深さが、快適さと両立しないのは容易に想像できた。しかし、わざわざホテルを見に行く位なら、そこ泊まってしまえば良いのではないかと思い始めた。いくらなんでも、ブルガリアにある味わい深い修道院よりは快適だろう。

タシュケントには入国日と出国前夜に宿泊する予定だった。どちらも鉄道利用の前後だったので、タシュケント中央駅に近く、評判の良い中級ホテルに2回分の予約を入れていた。このうち出国前夜をホテル・ウズベキスタンに変更しようと思ったのだ。

味わい深いソビエト建築であれば、巨大なホテルに違いない。すぐに空室が見付かるかと思ったが、予約は困難だった。味わい深さを求める旅行者が多いのか、実は快適さとの両立を成し得ているのか、団体旅行向けにダンピングしているのかは分からないが、何度か探しても空室が出ない。

出発一週間前に1室だけ予約サイトに空きが出たが、1泊2.5万円ほどだった。ウズベキスタンのホテル料金としては高値だし、そもそもホテル・ウズベキスタンの通常料金から倍以上である。さすがに見送らざるを得ない。公式サイトでは予約できなかったので、そもそも空室自体が予約サイト上の誤りだった可能性も高いのだが。

結局、ホテル・ウズベキスタンでの宿泊は挫折した。

ブハラからタシュケントまでの戻りは高速鉄道が取れず、6時間近く客車特急列車に乗り続けていた。帰りともなるとシルクロードの感慨は薄れ、ひたすら寝ていた。

タシュケント駅の手前で目を覚まし、iPhoneを操作したところ無反応だった。列車にはWiFiがないので、どうやら睡眠中に砂漠の真ん中で電話回線の電波を探し求め続けていたらしい。いつの間にかバッテリー残量が無くなっていた。モバイルバッテリーを持っていないので、列車内で機内モードにしておけば良かったと後悔しても遅い。

ウズベキスタンでiPhoneが使えないという事は、配車アプリで車を呼べないという事である。地図アプリも使えないので地下鉄も実質的に使えず、残るはタクシーの客引きとの交渉しかない。

災い転じて福となったのが、このタイミングだった。ホテル・ウズベキスタンの予約が取れなかったので、入国日に滞在した、駅近のホテルに戻るだけで済んだのである。行きはタクシーを使って駅まで行ったのだが、スーツケースを持っていたとしても歩けない距離ではない。

ウズベキスタンはイスラム圏とはいえ、ビールとウオッカとワインを作っていると聞いていた。蒸留酒が好きなので、ブドウを使った蒸留酒であるブランデーも作っている可能性が大だと期待していた。そのためにガラス瓶の梱包材まで持って行ったのだ。

事前に調べたところ、サマルカンドにワイナリーがあると読んだので、そこにブランデーがあるかもしれないと期待していた。しかしサマルカンドでは撮影に時間を取られてしまい、ワイナリーを訪問する時間はなかった。しかも、いくら飲酒に寛容な文化と言っても、基本はイスラム教文化であり、サマルカンドとブハラでは酒屋を見付けられなかった。

荷造りを考えると、割れ物である酒瓶はホテルのチェックアウト前に買っておきたい。ウズベキスタン到着日にビールを買った酒屋が、駅から徒歩でホテルに向かう途中にあった。そしてビールを買いに行った時に、ブランデーを売っているのを確認していた。しかも24時間営業であることも確認済みである。僕の人生は抜かりが多いが、こういう時は抜かりないのだ。

その酒屋へ行ったところ、防犯上からか、深夜は店のドア越しに頼むスタイルらしい。そもそもキリル文字のラベルは読めないし、iPhoneが動かないので翻訳アプリも使えない。こうなると数字で書いてある、熟成年数か値段しか比較材料がない。最も熟成年数が高いブランデーを指差して購入した。

帰国して知り合いのバーで開栓したところ、とても美味しかった。ただし、それがウクライナ産だったのは気にしないことにするしかない。こんな時代に、どういう物流体制なのか分からないが、期せずしてウクライナ支援をしたと思えば良い。

タシュケントは必ずしも思い通りにはいかなかった街だが、思い通りに行った街でもある。終わり良ければ全て良し、だろう。

そして、やはり僕の人生には抜かりが多い事が分かった。

ぶはらのおもいで

アシアナ航空が大韓航空と合併する前に行きたかったウズベキスタンだが、サマルカンドだけ行ったのでは勿体ない。調べてみたところ、ブハラという別の古都があった。日本に例えると、サマルカンドを京都とすれば、ブハラは奈良らしい。他にも行ってみたい都市はあったが、撮影に時間を取りたかったので、この2都市に旅行先を絞ることにした。

レギスタン広場に着いた時にシルクロードの旅が終わったとの感慨を抱いたが、まだ先はあったのだ。

サマルカンド~ブハラ間は高速鉄道の予約を取っていた。高速鉄道も、普通の客車特急も、走る線路自体は同じなので、高速鉄道のメリットは車両が新しいことと、乗車時間が多少短いことだけである。

ブハラでは美味しそうなレストランを予約しておいたのだが、そこはホテルのレストランだった。当初は別のホテルに泊まる予定にしていたのだが、結局そのホテルへ宿泊予約を変更することにした。

このホテルは駅からの無料ピックアップサービスを提供しており、これが大変に助かった。ブハラ旧市街の広場周辺は自動車の進入が制限されている挙句、ホテルは路地を入ったところにあり、いきなり広場の外でタクシーを降ろされたとしても到着は困難そうだからである。

そこまで念入りな交通対策をとっているブハラだが、サマルカンドと比べると街の規模は小さいし、観光客も少ない。慌ただしさもなく、ゆっくり過ごせる街だった。

サマルカンドでは壮大で美しい建築物を精力的に撮影しており、極めて満足していた。旅行に限らないのかもしれないが、極めて満足というのは諸刃の剣である。論語の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と似たようなものだろう。

端的に言うと、ブハラに着いた頃には歴史的建築物を見飽きてしまっていたのだ。以前に蒸留所めぐりでスコットランドへ行って、4か所目には飽きていたのに近い感覚だろう。ただし蒸留所には試飲とショップがある分、飽きたと言っても、やるべきことは有る。

ブハラはスコットランドの田舎と同じくらいアクセス困難なので、飽きたからと言って、部屋でゴロゴロしているわけにはいかない。幸いにもウズベキスタンは飲酒に寛容な文化なので、屋外の日陰の席でビールを飲んで、ゆっくり観光スポットを巡ってみる事にした。

ブハラも世界遺産だらけだが、ボロハウズ・モスクが特に気に入った。「地味」といっても、1712年に王族が自分の城の前に作らせたモスクだから程度問題なのだろうが、サマルカンドで見てきた歴史的建築物と比較すると、相当に大人しい佇まいである。

モスク前の広場にはザクロジュースの屋台が出ており、僕はベンチに座ってモスクを眺めていた。夜はライトアップもしているので、こうなると何度も通ってしまうのは僕の性格から止むを得ない。

最後の夜、三脚を持って夜景を撮りに行ったところ、モスクの前に大量の絨毯が置いてあった。そういえば翌日は金曜日である。ウズベキスタンの歴史的建築物、とくに元がメドレセと呼ばれる神学校だった所は、いまや実質的に商業施設と化している場所も多いが、ここは現役のモスクである。

さすがに日の出の礼拝時間までには起きられないが、昼の礼拝が13:10頃と表示されていた。夕方の列車でタシュケントに戻る予定だったので、ちょうど良い時間だろう。

翌日、ホテルに荷物を預けてモスクへ向かった。前日まで僕がジュースを片手にボケッと座っていた広場には絨毯が敷かれており、日光を遮るためのテントも設置され、多数の人が参列していた。僕はセキュリティ外側のベンチに座れた。隣には老人がいて、そこから祈っていた。礼拝が終わると、彼は僕の肩を軽く叩いて去っていった。

サマルカンドでは撮影に集中していたが、ブハラではゆっくりとした時間を楽しむことができた。諸刃の剣も使いようである。