たしゅけんとのおもいで

ウズベキスタンの首都はタシュケントだが、サマルカンドブハラと比べると、観光的には見劣りしてしまう感は否めない都市である。一般的には空港と鉄道の乗り継ぎの為に滞在する旅行者が多いのではないだろうか。

そんなタシュケントには「ホテル・ウズベキスタン」というホテルがある。妻の会社にスタンの国に詳しい人がいて、味わい深いソ連様式の建物らしいので、見に行くべきとの事。

ソビエト的な味わい深さが、快適さと両立しないのは容易に想像できた。しかし、わざわざホテルを見に行く位なら、そこ泊まってしまえば良いのではないかと思い始めた。いくらなんでも、ブルガリアにある味わい深い修道院よりは快適だろう。

タシュケントには入国日と出国前夜に宿泊する予定だった。どちらも鉄道利用の前後だったので、タシュケント中央駅に近く、評判の良い中級ホテルに2回分の予約を入れていた。このうち出国前夜をホテル・ウズベキスタンに変更しようと思ったのだ。

味わい深いソビエト建築であれば、巨大なホテルに違いない。すぐに空室が見付かるかと思ったが、予約は困難だった。味わい深さを求める旅行者が多いのか、実は快適さとの両立を成し得ているのか、団体旅行向けにダンピングしているのかは分からないが、何度か探しても空室が出ない。

出発一週間前に1室だけ予約サイトに空きが出たが、1泊2.5万円ほどだった。ウズベキスタンのホテル料金としては高値だし、そもそもホテル・ウズベキスタンの通常料金から倍以上である。さすがに見送らざるを得ない。公式サイトでは予約できなかったので、そもそも空室自体が予約サイト上の誤りだった可能性も高いのだが。

結局、ホテル・ウズベキスタンでの宿泊は挫折した。

ブハラからタシュケントまでの戻りは高速鉄道が取れず、6時間近く客車特急列車に乗り続けていた。帰りともなるとシルクロードの感慨は薄れ、ひたすら寝ていた。

タシュケント駅の手前で目を覚まし、iPhoneを操作したところ無反応だった。列車にはWiFiがないので、どうやら睡眠中に砂漠の真ん中で電話回線の電波を探し求め続けていたらしい。いつの間にかバッテリー残量が無くなっていた。モバイルバッテリーを持っていないので、列車内で機内モードにしておけば良かったと後悔しても遅い。

ウズベキスタンでiPhoneが使えないという事は、配車アプリで車を呼べないという事である。地図アプリも使えないので地下鉄も実質的に使えず、残るはタクシーの客引きとの交渉しかない。

災い転じて福となったのが、このタイミングだった。ホテル・ウズベキスタンの予約が取れなかったので、入国日に滞在した、駅近のホテルに戻るだけで済んだのである。行きはタクシーを使って駅まで行ったのだが、スーツケースを持っていたとしても歩けない距離ではない。

ウズベキスタンはイスラム圏とはいえ、ビールとウオッカとワインを作っていると聞いていた。蒸留酒が好きなので、ブドウを使った蒸留酒であるブランデーも作っている可能性が大だと期待していた。そのためにガラス瓶の梱包材まで持って行ったのだ。

事前に調べたところ、サマルカンドにワイナリーがあると読んだので、そこにブランデーがあるかもしれないと期待していた。しかしサマルカンドでは撮影に時間を取られてしまい、ワイナリーを訪問する時間はなかった。しかも、いくら飲酒に寛容な文化と言っても、基本はイスラム教文化であり、サマルカンドとブハラでは酒屋を見付けられなかった。

荷造りを考えると、割れ物である酒瓶はホテルのチェックアウト前に買っておきたい。ウズベキスタン到着日にビールを買った酒屋が、駅から徒歩でホテルに向かう途中にあった。そしてビールを買いに行った時に、ブランデーを売っているのを確認していた。しかも24時間営業であることも確認済みである。僕の人生は抜かりが多いが、こういう時は抜かりないのだ。

その酒屋へ行ったところ、防犯上からか、深夜は店のドア越しに頼むスタイルらしい。そもそもキリル文字のラベルは読めないし、iPhoneが動かないので翻訳アプリも使えない。こうなると数字で書いてある、熟成年数か値段しか比較材料がない。最も熟成年数が高いブランデーを指差して購入した。

帰国して知り合いのバーで開栓したところ、とても美味しかった。ただし、それがウクライナ産だったのは気にしないことにするしかない。こんな時代に、どういう物流体制なのか分からないが、期せずしてウクライナ支援をしたと思えば良い。

タシュケントは必ずしも思い通りにはいかなかった街だが、思い通りに行った街でもある。終わり良ければ全て良し、だろう。

そして、やはり僕の人生には抜かりが多い事が分かった。

うずべきすたんのおもいで

米沢藩の上杉鷹山は「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」との家訓を残した。

ずっと前に旅行先を探していたところ、青い巨大なイスラム建築が立ち並ぶ広場を見付けた。調べてみると、サマルカンドのレギスタン広場だった。ウズベキスタンにある世界遺産の街である。ウズベキスタン首都のタシュケントまで行って、そこから鉄道に乗れば行けるらしい。

言葉にすると簡単だが、いわゆるスタンの国であり、諸々の手配を含め、訪問しにくそうな場所である。最大の問題は日程で、羽田からの深夜便を使いこなせるような場所にはなく、しかも日本とウズベキスタンには時差が4時間しかないので、時差のマジックも通用しない。往復の移動だけで少なくとも2日を潰しそうな塩梅である。

当時だとソウル経由かモスクワ経由が便利そうで、アシアナ航空がタシュケントまで週3〜4便あると頭の片隅に入れたまま、放置されていた。その後、COVID-19による渡航制限が始まり、記憶は更に埋もれてしまった。

つまるところ「成らぬは人のなさぬなりけり」である。

ある日、その記憶の片隅に辿り着いたきっかけは、アシアナ航空と大韓航空が合併するニュースだった。アシアナ航空ならStar AllianceなのでANAにマイルが貯まるが、合併後は僕にはマイルが扱いにくいSkyTeamになるらしい。動機としては不純かも知れないが、ウズベキスタンに行く頃合いなのかと思い始めた。

丁度その頃の金曜日、バーで隣にいた客がウズベキスタンを絶賛していた。たぶん酔っ払っていた、その客の友達よりも熱心に話に耳を傾けていたと思う。たまたま店を出たのが同じタイミングだったので、僕にしては珍しく声をかけてみたところ、イスラム圏とは言え旧ソビエト連邦なので酒には寛容で、ビールだけではなく、ウォッカとワインも作っているらしい。蒸溜所がある国でワインを作っているのなら、果実系の蒸留酒であるブランデーも期待できるかもしれない。

ここまでくれば「成らぬは人のなさぬなりけり」に甘んじてはいけない。いまこそ「なせば成る」と信じる時である。そして、その週末にアシアナ航空の予約を入れた。

ホテルは予約サイトを見て決めたが、面倒くさそうなのは鉄道のチケット確保である。調べてみたところ、ウズベキスタン国鉄のチケットはネットで購入可能らしい。しかも座席番号の指定まで可能なようなので、1人がけ席のある一等車を狙う事にした。

ただし色々なサイトに早めの事前予約が必要だと書いてあるわりに、発売開始日がイマイチ良く分からない。45日前と書いてあるサイトが多かったように思ったが、50日くらい前に念の為に見てみたところ、既に発売開始になっていた。3区間を予約する必要があったのだが、一等車残り1席が1区間、一等車は満席で二等車残り数席しかないのが1区間、夜行便のような時間帯しかないのが1区間と、列車チケットの確保は完全に出遅れてしまった。しかもWebサイトではカード決済できず、ビビってアプリを入れたら決済できた。

購入後、冷静になってアプリを見直してみたところ、直近の列車には空きがあったので、列車によって発売日が異なるのかも知れないと思い始めた。数日おきに見ていたところ、いつの間にか下級種別の列車チケットが発売されていた。結局、チケットの発売開始日は分からないままだったが、ほぼ希望通りのスケジュールで繋がった。

あとは行くだけとならなかったのが、今回の旅である。出発直前にホテル予約サイトから予約確認書を印刷しようとしたところ、どうも挙動がおかしい。よくよく調べてみたところ、サマルカンドで予約したホテルが、予約サイトから消えていた。念の為にホテルへ直接メールを出したが、返事が来ない。かなり怪しいので、別のホテルを取り直した。出発数日前のことであり、あまり選択肢がなかった。

こうなると疑心暗鬼にしかならない。他の予約済ホテルにも些細な用事で連絡を入れ、自分の存在をアピールした。そしてタシュケント空港到着時にSIMカードを買おうと思っていたのだが、これまた念の為、eSIMを日本で購入してから行った。

他者に対しては疑心暗鬼になりやすいが、自らの失敗から学ばないので、出発前夜は懲りずに飲み過ぎていた。ほとんど記憶がないまま、自宅から成田経由でソウル仁川空港へ。仁川からの飛行機は期せずして北京上空へ達し、モンゴルとの国境線に沿うように西へ向かった。シルクロード感満載の飛行ルートだろう。

事前に調べた限りでは、タシュケント空港で飛行機を降りてからが最大の難関だった。ターミナル内には空港タクシーのカウンターがあるらしいが、かなり意味不明な価格設定との事。そして空港ビルを出ると、タクシーの客引きが凄いらしい。正解はアプリによる配車だが、彼らは空港内には入れないので、徒歩で空港の敷地外へ出るまでタクシーの勧誘を拒否し続ける必要がある模様。

しかし入国審査を終えて空港ターミナルから出たものの、なぜかタクシーの客引きがおらず、誰からも声をかけられない。群がるオッサン達を突き抜けて、猪突猛進で空港外の道路まで逃げようかと思っていたのだが、拍子抜けも甚だしい。

それよりもeSIMがLTEという一昔前の通信規格のせいか、LINEの送受信がおかしくなるほど回線速度が遅く、不安しかない。それでも配車アプリは使えて、タシュケント中央駅近くのホテルへ無事に到着した。

寝酒が必要だったが、旧ソ連なので酒には寛容といっても、どこでも酒を買えるわけではないらしい。近隣でビールを買える店を教えてもらい、酒屋まで外出した。

翌朝になっても疲労は抜けていない。これは流石に前々日の深酒が原因ではなく、出発2週間前にCOVID-19に感染したので、体力が戻っていないせいだろう。先行きに不安が残るが、なんとか気力で起きて、タシュケント中央駅へ向かった。

高速鉄道が取れなかったので、この日の列車は客車編成の特急である。一等車だが、ちょっと古めの座席だった。そんな座席を気にする余裕はなく、列車が発車するなり眠りに落ちた。2時間くらい寝たところで起きたら、荒涼とした原野の真ん中だった。これこそがシルクロードの景色なのだろう。車内で微睡みながら、シルクロードを更に進む。

列車は30分くらい遅れてサマルカンド駅に到着した。ここもタクシーの客引きだらけだと思ったが、わずか数人いる程度である。速攻で駅前広場へ逃げ、配車アプリを利用してホテルへ向かった。

チェックイン時間前だったが、部屋に入れてくれた。荷物を置いて、休む間もなく、レギスタン広場へ行くことにした。

乾季のせいもあって、快晴だった。青空の下、壮観なレギスタン広場を見て回った。「ティラ・コリ・マドラサ」の中にあるモスクが特に素晴らしい。レギスタン広場を一通り見たところで、一旦、ホテルへ戻ることにした。

レギスタン広場までの移動だけで1日半を費やしたが、ついに僕のシルクロードの旅が終わった。まさに「なせば成る」のである。

ウズベキスタンで上杉鷹山の教えに近付いた気がした。

旅のしおり:道央

記載の時刻等は訪問時のダイヤです。

1日目

羽田 0900 (JAL507) >> 新千歳 1030

新千歳空港 1106 (エアポート111) >> 小樽 1222

ルタオ

リタバー
伊勢鮨
Bar HATTA
BOTA

宿泊:ホテルノルド

1日目Tips
・寒いだけで雪の少ない11月の北海道は、まだスキーには早いせいか、直前にも関わらず土曜午前の羽田発・日曜夜の新千歳発でも特典航空券が取れた。
・リタバーで集合して、ニッカ水割りからスタート。スーパーニッカが意外に美味い。そしてBar HATTAとBOTAで昔のニッカを数杯ずつ。

2日目

小樽駅前 0900 (路線バス) >> 余市駅前十字街 0935

余市蒸溜所

余市 1231 (JR) >> 小樽 1255
小樽1319 (JR) >> 苗穂 1409

サッポロビール園

酒肴四季彩

札幌 1924 (エアポート194) >> 新千歳空港 2003

新千歳 2105 (JAL528) >> 羽田 2245

2日目Tips
・札幌市電に乗って、土曜日のバーテンダーが常連客から聞いてきた「酒肴四季彩」に行ってみた。おいしい地元の居酒屋といった風情の人気店。あまり聞いた事のない魚が多いので面白い。