うぃーんのおもいで

数年前、1枚の写真を見た。オーストリアの国立図書館である。なんとも美しい図書館だった。一度、行ってみたいと思っていた。

しかし、どうも僕にはオーストリアは微妙だ。他人の王宮の見物には大して興味がないし、クラシック音楽好きというタイプでもない。ヨーロッパのアルプスというと、マッターホルンがあるスイスをイメージしがちである。中欧というと、ウニクムという薬草酒があるハンガリーをイメージしがちである。これという決め手を欠き、美しい国立図書館には行けないまま、ずるずると人生が過ぎていった。

ドブロブニクに行くにあたり、パリからウィーン経由で航空券を取った。なんとか美しい国立図書館に行けないものだろうか。

ウィーンの乗り継ぎは約4時間。一度、荷物を引き取り、オーストリア航空にチェックインしなければならない。そこまで考えると、かなり微妙な乗り継ぎ時間である。ウィーンからドブロブニク行きは1日1本しかない。人生、無駄なリスクを冒さず、おとなしく空港でザッハトルテを食べているべきであろう。

しかし、この機会を逃していいものだろうか。諦めきれずにパリの空港で寝ぼけながら調べたところ、ウイーン市街への片道をタクシーで飛ばすと何とか間に合いそうである。

ずるずると人生を過ごしていいものだろうか。人生の機会を逃すべきではないのかもしれない。

リスクをヘッジすべきだろうか。リスクを取るべきだろうか。人生は悩ましい。

ウィーンの空港は効率的にできており、パリからの到着後1時間ほどでオーストリア航空のチェックインまで終了。これなら行ける。後悔しないためにもリスクを取ろう。

足早に空港のタクシー乗り場へ向かい、ドイツ語で「国立図書館」と書いた紙を運転手に見せる。これだけ必死で空港から国立図書館に行くオッサンがいるだろうか。ダン・ブラウン原作の映画のシーンのようである。

死んだような土曜朝のウィーンの街を駆け抜け、国立図書館にたどり着いた。地味なエントランスで入場料を払い、階段をのぼると、そこに豪華な図書館ホールがあった。ついに来ることができた。

じっくり見たかったが、じっくりしすぎると飛行機に乗り遅れる恐れがある。とりあえず写真を撮り、図書館内をブラブラ歩く。

なんとなく満足したところで図書館を飛び出し、よく分からないまま歩いていると王宮の入口に着いた。そのまま地下鉄の駅と思われる方向に、人の流れに乗って歩いて行った。なんとか地下鉄の駅を見つけ出し、地下鉄とエアポートライナーを乗り継いで空港に戻った。

やりとげた満足感は大いにあったが、時間にハラハラしているばかりだった。豪華な図書館の記憶は遠くに消え去ってしまった。

親戚の家に避暑に来て、こんな図書館で夏休みの宿題ができたら、多少は宿題をやる気になるかも知れない。

これが唯一のオーストリア国立図書館の思い出である。

後悔したくないが故にリスクを取ったものの、表面的な満足感にとらわれるばかりで、大したものは得られていない。行動が目的化している僕の人生そのものである。

土曜朝のウィーンで自分自身の人生の縮図を見せつけられた。やっぱり僕にはオーストリアは微妙だ。

ばるかんはんとうのおもいで

急きょ夏休みの予定を変更し、無理に6.5日間の休みで旅立ったせいで、今年の夏も日程的に厳しい旅だった。

金曜夜に羽田発の深夜便で出発するのは慣れているし、休みのスタートだけに諦めもつく。しかし、帰国日は朝8時半に成田に到着し、午後から会社に行ったのだ。オッサンには過酷である。そのまま帰って眠れないのも、休みが終わるのも、会社に行くのも、全てイヤだ。

今回はクロアチアのドブロブニクが目的地だったのだが、旅行先で荷物を持って移動するのはキライなので、ついでに首都のザグレブへ行くのは諦めた。ドブロブニクのみ4泊、とはいえ実質3.5日間の滞在である。アドリア海とドブロブニク旧市街が見られれば、オッサンはハッピーになれる。街は混んでいるらしいので、朝晩は街を歩き、昼間は海でも見ながらビールを飲んでいればいいのだろうと思った。

実際にドブロブニクへ行ってみると、たいして大きな街ではなく、おびえるほどの混雑でもなく、しかも毎日きっちり晴れているので、街は最初の1日半で見つくしてしまった。残り2日、ビールを飲んで無駄に過ごすのもアリではあるが、次に来る機会があるか分からない地で、2日も無駄に過ごすのは勿体ない。

残りの2日は隣国に出かけようと思った。モンテネグロとボスニア・ヘルツェゴビナである。モンテネグロにはコトル、ボスニア・ヘルツェゴビナにはモスタルという、どちらも世界遺産の古い街がある。しかし、旧ユーゴスラビア消滅以来の複雑な国家関係ゆえか、国際路線バスは使いにくくできており、なかなかドブロブニクからは自力では行きづらい。便利なのは日帰りツアーで、モンテネグロに1日、ボスニア・ヘルツェゴビナに1日、合計2回の日帰りツアーに参加すればいい。

しかし、社会性のない性格をしており、ツアーというのは苦手である。知らない人と会話しなければならないし、自由行動を制限されるし、そもそも観光らしい観光というのがキライなのである。ハードボイルドなオッサンは黙って公共交通機関に乗っていたい。

参加すべきか否か、からりと晴れたアドリア海の空の下でグチグチ悩む。なんとヤヤコシイ性格をしているのだろうか。しばし悩んだ後、悩んでも悩まなくても同じ結論に至り、ツアーを申し込んだ。

数年ぶりにツアーというものに参加したが、結果からすると悪くなかった。効率的に移動できるし、電車を乗り間違えることも、バスで乗り過ごすこともない。タクシーでぼったくられたくないために、意味もなく長距離を歩くこともしなくて済む。問題は自由時間が短いことだったが、地元ガイドのウォーキングツアーの後に自由行動というパターンの場合、ウォーキングツアーの途中、はぐれたマネのフリで脱出してしまった。はぐれオッサン。コトルもモスタルも混んでいたし、そもそも地元ガイドは人数を数えていないので、バレるわけはない。高校の遠足でも途中で家に帰ってバレなかったし、問題ないはずである。

とは言うものの、なんとなく顔は覚えられており、ウォーキングツアーを終えて事務所に戻る地元ガイドと旧市街で出会うと、かなり気恥ずかしい。

どぶろぶにくのおもいで

ドブロブニク旧市街は城壁で囲まれており、旧市街には三箇所の門から出入りする。自然とホテルに近い門から出入りすることになり、ピレ門という門を良く使った。ピレ門の外にはバスターミナルがあり、朝から深夜まで多くの人が行き来している。

このピレ門には爺さん楽隊がいた。暑い夏の盛りにもかかわらず、朝から晩まで、クロアチアの伝統音楽というのか、ピーヒャラドンドンやっている。上手いのか下手なのか判断基準がイマイチ分からないが、場所が良いせいか、人が良く集まっている。数曲ごとに集金に回っているが、大して収入は良くなさそうだ。そしてCDを販売していた。約18ドル。クロアチアの物価を考えると、かなり高い。

ドブロブニクには四泊した。一日に何度か門を出入りするので、その度に爺さんたちの前を通り、ピーヒャラドンドンを聞くことになった。暑いのに朝から晩まで演奏している。一日の労働時間からすると大して儲かってなさそうだが、大変そうである。

二日目の夕食後に爺さんたちの前を通り過ぎたとき、ふとCDが値下げされていることに気付いた。約15ドルに下がっているのである。これが爺さんたちのマーケティング戦略だろうか。金を持っていそうなクルーズ客やツアー客がいる日中には定価販売しており、酔っ払いが勢いで買ってしまいそうな夜には割引販売しているようである。あるいは日中がボッタクリで、夜間が定価とか。もう少し待っていたら「30分以内に注文の場合、もう1枚ついて同じ値段」とか言い出しそうである。

次の日の夕方、昼寝をしようとホテルに戻る途中、門の前では爺さんたちがダラリと昼寝していた。暑さの中での演奏は、かなり疲れるようである。いつの間にか頭に染み込んだピーヒャラドンドンが聞こえないのが寂しい。

そんなこんなで爺さんたちを見物し続けていたが、ついにドブロブニクを去る日がやってきた。最終の夜、ピレ門を通ると、その夜も爺さんたちがピーヒャラドンドン演奏していた。このピーヒャラドンドンも僕には今宵限りである。

青い海とオレンジ色の屋根を思い出しつつ、ホテルに戻って荷造りをしていると、ピーヒャラドンドンが脳裏をかすめる。シャツをしまいながらピーヒャラドンドン。洗濯物を丸めながらピーヒャラドンドン。薬草酒を梱包しながらピーヒャラドンドン。ピーヒャラドンドン。ピーヒャラドンドン。

このピーヒャラドンドンは、一生、中毒症状のように脳裏で鳴り続けるのだろうか。ある日、ピーヒャラドンドンを無性に聞きたくなって、ドブロブニクに戻ってくるのだろうか。

CDはクロアチアの物価と比べて高すぎると思ったが、いまなら夜価格である。爺さんたちの過酷な演奏に報いるべきである。東京でピーヒャラドンドン禁断症状になった時、すがるものが必要である。思い直して旧市街に戻った。

深夜のピレ門は静かだった。せっかく決心したのに、買い損なってしまったのか。慌てて門の奥を見ると、爺さんたちは帰ろうとしていた。片付けた演奏機材の中から、ギリギリでCDを購入した。

注文が遅すぎたせいか無料の二枚目はついてこなかったが、これでドブロブニクにも人生にも思い残すことはない。