あまくさのおもいで

バーテンダーというと、物静かに人の話を黙って聞いてくれそうなイメージがあるが、僕の知る限り真実ではない。むしろ逆ではないか。

先日、熊本の温泉に行く計画をバーで話したところ、何度も訂正したにもかかわらず、熊本市に行くという話に落ち着いてしまった。こちらは酔っ払っているので、そのうち訂正するのが面倒くさくなったのだ。

聞いてもいないのに教えてもらったところ、熊本市はいいところらしい。馬刺し、煮干しラーメン、お茶漬け。そして天草の寿司屋だそうである。

計画としては、人吉でSLと温泉の後、長崎に行こうと思っていたのだ。チャンポン、卓袱料理、ハトシ。そしてトルコライスである。

それだけではない。

長崎には市電が走っている。そして思案橋という橋がある。橋の近くには市電の停留所があり、思案橋電停というそうである。

小雨の秋の夜、ちょっと影のある女性が思案橋のたもとの電停で男を待っていそうだ。俯きがちにベンチに座っている。暖かな光を灯した市電が何台も通り過ぎるが、男は現れない。最終の市電が過ぎ去ったところで女は顔を上げ、思案橋電停を後にして、川沿いの道をバーに向かう。重厚な木戸をあけると、物静かに人の話を黙って聞いてくれそうなバーテンダーがいる。そこでマティーニを1杯。

いいなぁ、長崎。

しかし、現実は厳しい。調べたところ、いまや思案橋の下は暗渠になっているそうである。橋の欄干の跡があるだけらしい。思案橋に橋はない。そして、物静かに人の話を黙って聞いてくれそうなバーテンダーは、多分、長崎にもいない。

空想の世界は終わりを迎えた。

冷静に長崎を眺めると、山の手に洋館と教会があり、海を見下ろせる公園があり、中華街と出島 (の跡地) がある街、ということになる。

山の手に洋館と教会があり、海を見下ろせる公園があり、中華街と出島 (の跡地) がある街

どこかで聞いたことがある。

「出島 (の跡地)」を除くと、横浜と大差ないのではないか。しかも「出島 (の跡地)」は結局のところ跡地であり、それは思案橋と同じ結末になるだろう。

そう思うと急激に長崎への熱は冷めた。

物静かに人の話を黙って聞いてくれないバーテンダー曰く、熊本市はいいところらしいのである。

熊本に泊まり、ランチを食べに天草へ行くことにした。

きかんしゃのおもいで

夏に日帰りで人吉へSLに乗りに行った。

いくら飛行機での往復とはいえ、やっぱり九州は遠い。日帰りでは、焼酎蔵を巡り、温泉に入ることはできなかったのである。しかも、行きのSLでは朝食の弁当が売り切れており、氷を買いそびれたせいで帰りのSL車内では焼酎を飲めずに終わってしまった。

やや後悔の残る旅だった。

人生に後悔はつきものであり、失われた時間は取り返せない。しかし後悔だけで終わらせて良いものだろうか。

10月に再び人吉へ出かけた。

朝一番のJALの熊本行きに乗り、SLを目指す。前回も同じ朝一番のフライトだったので高を括っていたら、いつの間にかフライトのスケジュールが20分ほど遅くなっていた。これでは空港からバスではSLに間に合わない。諦めて空港からタクシーに乗った。

熊本という街は、空港も駅も街の中心から離れており、しかも空港と駅とは街を挟んで反対側といってもいいような場所にある。そんなことは全く知らなかったのだが、朝の熊本は渋滞しており、タクシーの中でイライラしながら何度もGoogle Mapを見たのだ。もともとバスで間に合わないような時間なのに、しかしタクシーに乗っても渋滞している。人生は困難に満ちている。

9時45分発のSLにもかかわらず、駅に着いたのは9時35分だった。それから指定席販売機でチケットを引き取り、走ってSLのホームに向かう。こういう時に限って指定席販売機を使いこなせないオッサンがおり、しかもホームが実に遠い。それでも、なんとか9時43分頃に乗車できた。挫折寸前ではあったが、人生なんとかなるものである。

最初こそハラハラしたが、その後は計画通りに事が運んだ。行きの列車では弁当を購入でき、帰りの列車では氷を持ち込んで焼酎を飲んだ。諦めなければ、人生やり直しがきくものだ。

今年で40歳のオッサンである。そろそろ人生の折り返し地点ということになるだろう。「まだ半分もある」のか「もう半分しかない」のかは微妙なところであるが、残り半分は少し前向きに生きていこうと思った。

ひとよしのおもいで

毎年、友達オッサンと旅行に出かけている。しかし、昨年、キューバに行ったところで燃え尽きたようで、今年はイマイチ盛り上がらなかった。

よくよく考えると、そのオッサンと旅に出始めたのは、バーで酔っ払った勢いで、キューバに行こうという話になったせいである。

その翌年、なぜかサンフランシスコに行き、その後は香港マレーシア台湾と、アジア方面でお茶を濁していた。そんな幾星霜を経て、ついにキューバに到達したのである。

キューバ行きでオッサン達のミッションは完了だったのではないか。そもそも酒場での話は実現しないものと相場が決まっているが、それにも関わらず実現したのだ。

そこで終わるのが美しい。

とはいうものの、習慣というものは継続性が重要である。習慣を継続するうち、それは文化へと昇華する。

文化を築き、そして後世に残すべく、盛り上がりに欠くなかでも継続性を維持しようと思い、今年は日本国内に出かけることにした。

行先は人吉である。温泉があり、SLも走っている。球磨焼酎もあるし、球磨川で川下りができる。オッサン達には遊園地のような場所ではないだろうか。ビールと焼酎を買い込んでSLに乗り、焼酎蔵を訪ね、温泉宿で更に焼酎を飲みながらグダグダしていた。

オッサン二人が座敷でグダグダしている様からは、文化が生まれそうな気配は感じられない。悪習という文字が頭をよぎる。悪臭も仄かに匂う。

たしかに文化創造への道のりは長いが、しかし、それを目指して継続してみよう。このまま燃え尽きても、カスしか残らないので。