冬休み特別読み物:音楽

自宅で酔っ払うと一人アカペラでサラ・ブライトマンを歌う以外、音楽とは基本的に縁遠い生活を送っている。​自宅で音楽を聴くことは少ないし、コンサートや公演の類に行くことは極めて稀である。いわゆる音痴であり、しかも自己顕示欲はブログで満たされているので、カラオケには行かないことにしている。

そんな僕でも、キューバ、メキシコなど、中米に行くと音楽が楽しい。

キューバではハバナ旧市街と世界遺産のトリニダーに滞在したことがあるが、バンドの入っているバーを探して、何度か音楽を聞きに行った。砂糖抜きのモヒートを片手に曲を聴く。何曲か聴いていると、曲の合間に集金に来るのでチップを渡す。気が向けばCDを買う。

かたやメキシコと言えばマリアッチだろう。

昨年、あまりメキシコ料理の知識なく、メキシコのグアナファトに行った。乗り継ぎを除くと、初の本格的なメキシコ滞在である。

まずは街の市場を見に行った。

「あまりメキシコ料理の知識なく」というと、それでも何となく知識があるようなイメージだが、実際のところ、トルティーヤとタコスくらいしか知らなかった。市場にはトルティーヤ屋があり、ここで初めてトルティーヤが料理ではないことに気付いた。トルティーヤは食材である。トルティーヤに具をのせて、やっとタコスという料理になるらしい。東京でもメキシコ料理屋には何度も行っているのだが、メキシコまで来て学ぶには基本すぎる内容である。

市場にはタコス屋もあった。こちらは完成品である。市場内にタコス屋は何軒かあったが、明らかに流行っている店が1軒。ここに狙いを定めた。

早速、メキシコ人の列に並び、昼食がてら本場のタコスを食べてみた。1個60円とか70円くらいなのだが、これがうまい。早速おかわりした。2つ食べると満腹である。

それから街歩きに出かけ、ほぼ半日、グアナファトを歩き回った。かなりのカロリーを消費しているはずだが、夕方になっても空腹感がない。もうタコスは食べられない。

おなかはすいていないし、メキシコ料理の知識も尽きた。それでも旅の楽しみは食事であり、夕食を食べに出かけた。

せっかく旅に出たのだから、ローカルぽい食堂に行きたい。観光客相手の店は避けたいところだが、スペイン語ができない上、料理の知識もなく、英語のメニューがないと注文すらできない。そもそもローカルな食堂を探して夜に出歩くのは治安の不安もある。

最初はハードルの低い店にしようと思い、人出の多い広場にでかけた。広場に面したレストランにはテラス席があり、マリアッチの楽隊が何組も来ていた。テラス席でビールを頼み、周囲を眺めると、あちらこちらでマリアッチの演奏が始まっている。

よくよく見ていると、食事中のテーブルまで売り込みに来た楽隊に、自分が聴きたい曲の演奏を頼む制度のようだ。その近くのテーブルで座っている限りでは、他人のために演奏されている曲を否応なく聞かされているだけである。演奏料は曲を頼んだ客が支払っており、隣のテーブルで止むを得ず曲を聞かされている客がチップを求められることはない。ここがキューバのバーとの違いだろう。

ビールを片手に近くのテーブルの曲を聞いていたら、別の楽隊の兄ちゃんから、セニョールはマリアッチいらんかと売り込みがきた。そういわれてもマリアッチの相場がわからないし、どんな曲を頼めばいいのかもわからない。残念ながらマリアッチのオーダーは見送った。

しばらくすると別のテーブルで商談が成立し、マリアッチが始まった。そんな無料のマリアッチでも十分に楽しめるし、隣のレストランのテラス席まで含めると、そこそこ切れ目なく演奏されている。それで十分ではないか。

ローカルぽいディープな食堂に行こうと思ったのは忘れ、連日、広場のレストランに他人のマリアッチを聴きに出かけていた。

その後、今年はスペイン語を習い始め (ただし半年もたず既に挫折している)、スペイン語の曲のタイトルも少し覚えた。とはいえ、マリアッチの相場は分からないし、マリアッチ交渉をするだけのスペイン語力もない。今年は乗り継ぎでの宿泊を含め、二度もメキシコに行ったが、いつまで経っても自分ではマリアッチのオーダーが出来ないままである。

ぼすとんのおもいで

出来心でボストンに行くことにした。カレンダーを眺めていると、アメリカの感謝祭の週末が日本では三連休になっていた。3連休に1日足して4日間を捻出すると、ボストンで2泊できる。ビジネス客が少ないタイミングなので飛行機も空いてそうだし、丁度いいのではないだろうか。

そんな軽い気持ちでボストンに行くと決めたものの、出発前に天気を調べると異様に寒い。東京は暖かめの晩秋だが、ボストンは完全に冬である。しかも到着日はボストンの観測史上で最も寒い感謝祭になる予報だった。風も強いようで、体感気温は更に寒い。到着時間帯の体感気温予想は4度。これだけでも十分に寒そうだが、アメリカの予報なので華氏である。摂氏にするとマイナス15.5度。軽い気持ちで行く気温ではない。慌ててヒートテックとダウンを取り出した。

感謝祭の木曜日の昼過ぎにボストン着。外に出て駐車場まで行くと、どうにも寒い。風が吹き込んでくると、耳がちぎれるように感じる。来なければよかったと後悔したが、既に来てしまった。後悔先に立たずである。

翌日の金曜日はボストンの観光に出かけた。しばらく歩いていると、頭が痛くなるほどの寒さである。周りを見渡すと、ほとんどの人が帽子をかぶっている。この寒さでは必需品なのだろう。極寒用のヒートテックとダウンがあれば万全かと思ったが、帽子は思いつかなかった。準備が甘かったと後悔したが、ないものはない。後悔先に立たずである。

とりあえず目の前の安売りデパートに入って帽子を探すが、15ドルくらいだった。あまり気に入ったデザインではない。東京で通勤時には被らないだろう、毛糸の帽子である。数時間のために15ドル払うべきか、やせ我慢で耐えるべきか。悩ましい。

予報によると極寒状態は前日の感謝祭当日がピークであり、金曜日の午後からは改善傾向との事である。やせ我慢で耐えることにした。何はともあれ目先の15ドルを無駄にしたくない。

帽子を被らずに街を歩くが、あまりにも寒すぎて観光する気にもならず、とりあえず公共市場を目指して歩く。途中にボストン公共図書館マサチューセッツ州議会議事堂があったので中を覗いてみる。

あまりの寒さで、市場に着いた所で観光は挫折。アメリカの古い都市なので、他にも見るべき場所はあるのだろうが、とにかく寒い。

あとはショッピング。感謝祭の翌日はブラック・フライデーである。街中が大バーゲンだ。

今回はブリーフケースサングラスを買いに行った。ブリーフケースは35% off、サングラスは30% offのセール品が更に20% off、靴は30% offになっていた。総額で300ドル以上安くなっている。さっきの帽子の15ドルと合わせると、350ドル近く出費を節約できた。前日からの後悔を帳消しにできる金額である。

金さえあれば何とかなると思うのは寂しい人生だと言われるが、かなりの程度までは金の力で前向きになれる。僕の人生にはブラック・フライデーが必要だ。

わりと前向きな気持ちで、土曜日の夕方には帰路についた。ロサン経由で羽田行きの深夜便に乗り、羽田に月曜日の午前5時頃に到着。一度、荷物を置きに自宅に戻って、9時から会社である。しかも、その日に限って忘年会第1弾があり、帰宅したのは火曜日の午前2時くらいだった。

オッサンになると筋肉痛が出るのに時間がかかるが、睡眠不足と二日酔いが出るのも時間がかかるようで、火曜日は単に気持ち悪いだけであり、水曜日が疲労のピークだった。それでも何とか月末の一週間を乗り切った。

週末には元気な気分になっており、軽い気持ちで土曜日の朝にインフルエンザの予防接種を受けた。予防接種前の検温では異常なかったものの、その夜には、腕の腫れ、悪寒、嘔吐、発熱など、重篤ではない副作用が一通り出てしまった。

39度の発熱で朦朧とした頭で考えると、おそらくボストンで風邪をひいてしまったのだろう。あの日、目先の15ドルをケチらずに帽子を買えばよかったと後悔した。まさに後悔先に立たずだ。朦朧としつつ更に考えると、35% offだったのなら、ブリーフケースと一緒にスーツケースも買えば良かったのではないだろうかと後悔した。やっぱり後悔先に立たずである。

ブラック・フライデーで諸々の後悔を解消したかと思いきや、翌週には更なる後悔を抱えてしまった。まだ12月になったばかりであり、来年の感謝祭まで丸一年ある。

僕の人生には年1回のブラック・フライデーでは不足である。毎週とは言わないまでも、せめて月に1回、ブラック・フライデーがないものだろうか。

(次回のボストン記事 こちら)

てきーらむらのおもいで

メキシコのテキーラ村に行ってきた。

リュウゼツランが主原料であるメキシコ産の蒸留酒がメスカルであり、そのなかでも原料や産地などの条件を満たしたものがテキーラと呼ばれる。テキーラの蒸留所はハリスコ州に多く、なかでも中心となるのがテキーラ村だ。

昨年、グアナファトに滞在した際、同じグアナファト州内にあるCORRALEJO蒸留所に行った。事前のメール問い合わせには返事がなく、ほぼ行き当たりばったりで行った結果、スペイン語のガイドしかいなかったという悲しい結末になった。蒸留所に行くという「手段」が「目的」化しがちな、僕の旅行に典型的なパターンである。

今回はテキーラ村で蒸留所併設のホテルに泊まった。このホテルがある蒸留所にも事前に問い合わせを入れたが、やっぱり返事はない。テキーラ村に行きつくこと自体が難関だったが、真の旅行目的はテキーラ蒸留所の見学である。今回こそは手段を目的化したくない。

結局、ホテルがある蒸留所には英語ガイドのオッサンがいた。ホテルのフロントおねいさんの一人も英語が堪能で、英語ガイドがいる別のテキーラ蒸留所を教えてもらえた。グアナファト州の蒸留所では見学中にスペイン語を理解しているマネのフリをしていたが、英語ツアーであれば多少なりとも学ぶことがある。

まずはテキーラ原料の質という話である。テキーラの主原料はピニャと呼ばれるリュウゼツランの根の部分だ。良いピニャになるには、それなりの年数が必要らしいのだが、一方でテキーラの生産量は急激に伸びているため、良質なピニャの確保が難しいらしい。一部で見切り的に若いピニャを使っているという話もある。

このあたりは僕にとって馴染みのあるモルトウイスキーの世界では聞かない話である。大麦はリュウゼツランよりも格段に収穫サイクルが早いせいもあるが、そもそも麦に対するこだわりを前面に出している蒸溜所は少ない気がする。大半のモルトウイスキー蒸溜所で聞く話は経済性の話であり、近年になって、麦の産地や無農薬農法にこだわりを見せる蒸留所が出始めたくらいだろう。

一方、ウイスキーでは仕込み水として、水について語られることが多い。テキーラの場合だと、ピニャを蒸す工程とか、蒸したピニャを搾汁して糖化する工程で使っている水が仕込み水になりそうだが、特に話がない。というか、別の会社で聞いたところ、昔は近くの山の水源を使っていたようだが、近年は水質に問題があり、その水源の水を使うことは出来ないらしい。

ウイスキーは熟成が鍵になる。スコットランドの場合は最低でも3年熟成しないとスコッチウイスキーとは呼べないし、そもそもニューポットと呼ばれる蒸留直後の新酒は (アルコール度数は別にしても) 味覚的に荒々しすぎて飲むには厳しい。テキーラは熟成期間が短い、というよりもニューポットの状態でも普通に飲める。5〜7年も熟成すれば相当な長期熟成である。この違いは何だろうか。

樽については、アメリカン・オークの新樽を使う蒸留所あり、バーボンを熟成した樽を再利用する蒸留所もある。ワインで使った樽や、スコッチで使用した樽も見かけた。樽の使い回しの試行錯誤はウイスキー蒸溜所と同じだ。熟成年数が短いので樽の影響は少ないのだろうが、バリエーションは面白い。

そして、どの蒸留所もテキーラの飲み方、テイスティングを盛んに話していた。ショットで一気飲みして悪酔いする酒からの脱却がテキーラ業界共通のテーマらしい。

などなど。今回のテキーラ村では発見が多かった。やっぱり酒造をメインにした旅行は楽しい。内容が理解できると、もっと楽しい。やっぱり蒸留所に行く過程は手段であって、それ自体を目的化してはいけないのである。

ついにテキーラ村に行ってしまったので、次の目的地はラム蒸留所だろうか。好きな産地としてはキューバ、南米ガイアナのデメララ川流域、フランス領マルティニーク島である。キューバの蒸留所は見学ができず、ガイアナは英語圏だが治安的なハードルが極めて高い。残るはフランス領マルティニーク島だ。もっともスペイン語を挫折したばかりなので、なかなかフランス語を学ぶ気にはなれない。すでに手段が目的化しそうな予感がしている。