まつやまのおもいで

昨年後半はロクでもない日々が続いていたが、さすがにイヤになったので現実逃避することにした。

天草富山小樽釧路など、昨年は魚が美味しそうな土地を訪問していたが、その流れで探したい。瀬戸内なんて良いだろう。ネットを探していると、松山から伊予大洲までの海沿いを走る観光列車「伊予灘ものがたり」があり、終点の伊予大洲から更に南下すると宇和島がある。じゃこ天と鯛めしの町だ。

愛媛に行ったことのあるオッサンに聞いたところ、観光列車が途中停車する下灘駅というのが良いらしい。伊予灘を見下ろす場所にある無人駅だそうである。ここに夕陽を見に行くのが良いだろうとのこと。

僕の場合、旅行と写真撮影とブログはセットになっているので、旅行先の天候は重要である。

たとえば香港に行くなら秋が良いとか、統計的な晴天率などはWeather Sparkというサイトで分かる。それとて指標でしかなく、季節的な要素を考慮した上で、最後は運を天に任せるしかない。

いままでの人生で一番良かったホテルは、マッターホルンを見渡せるホテルである。スイスの山奥で昼間やることは限られているにも関わらず、朝焼けと夕焼けを見るためだけに連泊の予定を組んだ。特に冬が良いと思っているのだが、嵐の日が続いてしまい、延泊するために現地で日程変更したこともある。

国内旅行は週末を絡めた短期集中が多く、天気にあわせた修正が難しい。釧路湿原に行った時も同様だったのだが、一発勝負になりがちである。

データー上、12月の愛媛の天候は悪くない。実際、訪問の前週までは晴天が続いていたが、僕の行った週は微妙な天気になってしまった。当日、松山に着いたときは晴天だったが、14時くらいから雲が増え始める。

松山には知り合いがいて、お世話になることになった。松山空港でピックアップしてもらい、ちょっと観光に連れて行ってもらってから、下灘駅へ向かった。車中、雲の量とともに暗くなる僕の心。

下灘駅は観光地だった。駅自体は無人駅なのだが、駅前にはオシャレな移動式コーヒーショップがある。

そんな駅で、若い女性が何枚も写真を撮っている。美女が駅に佇む写真である。僕の写真には、自分自身を含めて人間が映り込むことが極めて少ないので、オッサンには理解できない構図である。今どきの若い女性は自己顕示欲が強いのだろうか。

しばらく観察していると、どうやらインスタ用らしい。「バエスポ」とのこと。たぶん向こうからすると、風景写真を撮り、ブログを書いているオッサンの方が自己顕示欲が強いのだろう。

夕方になるにつれて、雲は上がりはじめた。美しい夕焼けというわけにはいかなかったが、写真的には悪くない。むしろ夕陽を諦めて帰る人が多かったせいで、風景写真としては助かった。

夜は松山に戻り、市内のバーに連れて行ってもらった。松山には「露口」という老舗のバーがあって行ってみたかったのだが、たまたま知人が古い常連客だったのだ。最後に1枚写真を撮らせて頂いた。僕にしては珍しく、人間主体の写真である。

昭和生まれのオッサンには、写真もバーも地味な方が良いと思った。

おたるのおもいで

北海道に行くのは3回目である。1回目は子供の頃にスヌーピー塗装のANAに乗るためだけに行った。記憶は全くない。2回目は青森旅行のついでに、半日ほど函館に寄っただけだ。

本格的な北海道旅行は今回が初めてと言っていいだろう。釧路が目的地ではあるのだが、一般的に北海道旅行の目的地と言えば、寿司屋と余市蒸留所ではないだろうか (たぶん)。

夏休みを1.5日取って週末と組み合わせ、トータル3.5日の旅行期間となった。釧路は移動を含めて2.5日。残る1日は北海道らしい北海道を満喫したい。

旅行時点で東京都民はGo To Travelの対象になっていなかったので、マイルで航空券を取りたかった。まずは土曜朝に千歳へ向かう飛行機を予約した。そして蒸留所見学を予約。ホテルを決める前に、寿司屋の予約をしなければならない。札幌の寿司屋にするか、小樽の寿司屋にするか。悩ましい。

大都会の札幌は高級寿司店が多いが、市内での移動が面倒くさそうだ。小樽は港町をブラブラすれば楽しめそうである。札幌に泊まるよりも、小樽に泊まる方が効率的かつ経済的であるとの結論に達した。

朝一のJALに乗って千歳、そこからJR快速の指定席を予約しておいて、小樽へ。ホテルに荷物を預け、余市蒸留所に向かった。

あちらこちらと蒸留所には行っているが、余市蒸留所は初めてである。以前は自由見学も可能だったらしいが、COVID-19の影響で完全予約制になっていた。

余市で見たかったものは、石炭焚きのポットスチルである。ツアーで蒸留棟を通った時が、ちょうど石炭をくべるタイミングだった。ラッキーである。

有料試飲コーナーと蒸留所限定ウイスキー購入も欠かせない。有料試飲は一人2杯まで、ウイスキー購入は一人3本まで。同行した母親は酒を飲まないが、幸いなことに一人カウントだった。試飲したいウイスキーが4種類、買いたいウイスキーが3種類で各2本。悩まなくて済む。母親に感謝の念を伝えたところ、こんな時くらいしか感謝しないだろうとのこと。

小樽と言われて思いつくものはルタオのチーズケーキである。せっかくなので本店に行ってみたい。しかし僕は糖尿病予備軍だった。寿司屋ではコメを大量に食べ、コメ由来の酒も大量に飲む予定である。その前にチーズケーキを摂取するのはマズいだろう。やむなくルタオ本店は断念した。

やることもないので、街へ散歩に出た。COVID-19のせいか観光客が少ない。ちょっと寂しくなってくる程である。人力車もガラス工芸店も暇そうにしていたが、どうにも観光地らしい店は苦手なのでパス。観光振興という政策に合致した行動は取れなかったが、そもそも数日の差でGo To Travel対象外なので、日本政府の政策なんてどうでもいい。

秋の気配を感じながら、釣人に紛れて夕刻の港を歩いてみる。天気が悪いせいもあるのだろうが、情景が寂しい。イメージ通りの、北の港町である。

きらびやかな札幌よりも、きれいな風鈴を売っているガラス工芸店よりも、寂しい港町が僕には似合う。と思う。それに寿司屋も美味しかった。

小樽に来てよかった。北海道らしい北海道 (たぶん) を満喫できた。

くしろのおもいで

夏休みの釧路には母親と出かけた。ちょっと前に写真をTwitterに投稿したのだが、焼鳥屋でタマネギを内側から食べる、僕のおかんである。僕自身が釧路に行く目的は釧路湿原とトロッコ列車だったが、母親は数年前から釧路に行きたがっていた。

母親は大学生の時に友人たちと釧路に行ったことがあるそうだ。いわゆる学生の貧乏旅行というやつで、ネットのない時代、だれかの伝手を頼って教会に無料で泊めてもらったそうである。そこを再訪したいとのことだった。

おかんが大学生の時と言うと、それは一昔前どころの騒ぎではない。50年以上も前の話である。調べてみたところ、釧路駅の近くにはカトリック教会があり、そのほかにも釧路市内には聖公会もあるし、日本基督教団もある。大手というか、老舗というか、50年前からありそうな教会だけでも数か所になった。もう少し絞り込む必要がある。しばらく話を聞いてみると、たぶん修道院だそうである。

さらに調べてみると、フランシスコ会の修道院が緑が丘という場所にあった。当時、謝礼の葉書を書いたのだろうか、釧路市緑が丘という地名には記憶があるそうである。50年前とはいえ、そしてキリスト教系の学校に行っていたとはいえ、うら若い女子たち (当時) がフランシスコ会の修道院に泊まれたのかは相当あやしいと思うのだが、他に決め手もない。なんとなく踏ん切りがつかなかったが、アポなしで訪問することにした。

釧路に着いてホテルに荷物を置き、緑が丘を目指す。しかしタクシーには乗らないとの仰せである。地元バス会社のサイトを見ると、修道院の近くにバス停があった。利用できそうな路線は複数あるものの、どの系統に乗れば良いのかは全く分からない。おそらくホテル近くのバス停から乗車できるはずなのだが、バス停に行って時刻表を見ても分からないままである。とりあえず来たバスの運転手さんにダメ元で聞いてみるが、そんなに上手くいく筈もない。

諦めて釧路駅前のバスターミナルまで歩いて行き、バス会社のおねいさんに聞いてみた。すぐ出るバスに乗ると、近くまで行けるらしい。待つよりも、少し歩いた方がいいとのこと。テレビ番組の蛭子さん気分でバスに乗った。

COVID-19のせいか、それとも釧路のバスの標準なのか、数人の乗客だけでバスが動き出した。バスはホテルの方向に戻りつつ市街地を抜け、それから川を渡り、丘を越えると、完全に地方都市の住宅街である。気付くとバスの乗客は我々だけになっている。

僕は蛭子能収ではない。太川陽介でもない。知らない場所でバスに乗るのは苦手である。不安な気持ちしかない。

おねいさんに指示されたバス停で下車。帰りのバス時刻を確認して、修道院まで歩く。降りた所は修道院から2つくらい手前のバス停である。

釧路の住宅地を歩きながら50年前の記憶を辿ってもらうが、まったく記憶に無いとのこと。軽く50年と言っているが、すなわち半世紀である。やむを得ないだろう。昔の釧路は田舎だったと3回くらい聞かされた後、やっと修道院に到着。

この修道院で正解なのか僕には確信が全くなかったが、安息すべき日曜日の午後であり、修道士を浮世の雑用に関わらせるのは心苦しい。あえて先方に確認することなく、50年ぶりに改めて謝礼を書き、献金と共に郵便箱に入れた。

おかん本人にも確信はないようだったが、それでも50年余りの懸案が解決したそうである。「これでいいのだ」とバカボンのパパのように思いながら、帰りのバスに乗った。

思いのほか早く釧路市街に戻ってこられた。釧路名物さんまんまを食べてから、JRに乗って釧路湿原の夕日を見に行った。雲の下から太陽が顔を出し、湿原を照らした。人間なんて小さく思えてしまうような夕景だった。

これでいいのだ。

(北海道の夏休み:前回)