くろかわおんせんのおもいで

台東区と横浜市の二重生活をギブアップし、完全に横浜市へ転居することになった。おかんが頑張ったという他力本願の極みでしかないのだが、引っ越しの荷ほどきは意外にも早く片付き、あけておいた週末が余ってしまった。

せっかくなので、どこかに行こうと思って調べはじめた。たいして引っ越し仕事をしていないにも関わらず、体がなまっている僕は筋肉痛である。物を運ぶ時に踏んばったせいか、足が痛い。

疲労気味の時は温泉で休養するのが良いだろう。COVID-19時代なので、出発直前でもマイルを使った特典航空券は選び放題だった。前から気になっていた、九州の黒川温泉を目指すことにした。

体が硬すぎる僕に和室は厳しい。黒川温泉には少ないながらも洋室があるのだが、そのような宿は街はずれに多いようだ。山あいの古い温泉旅館となると、洋室への改造が難しいのだろう。

黒川温泉は風情ある温泉街が良いのだから、街を歩いて回れる宿に泊まらないと楽しめないのではないか。かなり探して温泉街の中にある宿の和洋室に空室を見つけた。

ここまでは良かったのだが、九州に着いてからの移動が難しい。通常であれば九州各地から長距離バスが何本も出ているのだが、さすがに今年は運休が多い。大分方面からは黒川温泉到着が10時半過ぎのバスしかなく、翌日、福岡に向かうバスは14時発車だった。結果的に現地滞在時間27時間ほどである。

幸いにも雨降りは回避できたので、温泉街をブラブラして時間を潰すことにした。宿に荷物を預け、まずはチェックインまで4時間程ある。

黒川温泉は素朴さが売りである。温泉街が広いわけでも、有名な見どころがあるわけでもない。こんな時代なので休業している店もあるし、僕は土産物屋の類が苦手である。さらに喫茶店で時間を潰すという行為も苦手だ。

入湯手形を買って、色々な旅館の温泉に入るのが黒川の楽しみなのだろう。しかし自分が泊まる宿だけで20時間くらい滞在するので、何度も温泉に入る機会がありそうだ。別料金を払ってまで他の宿の温泉に入りに行くべきかという疑問が生じ、手形を買うのは止めてしまった。

早々に時間を持て余し始めた。こうなると歩き回るしかない。実際、僕は旅に出ると異様に歩く。温泉街から外れ、あてもなく田舎道を歩き始めた。

集落の外れまで行くと「奥の院」という場所があった。そこまでは田畑の広がる田舎の風景で、奥の院の入口には駐車場まであったりするが、急に深い谷になる。清流に沿って小径があるのだが、木彫りの仏像があったり、お地蔵さまがいたりと、ちょっと変わった光景である。谷を上っていくと、不動明王が祀られていた。

お寺のような宗教施設があるわけではないし、霊感とかいうものは僕にはないと思っている。それでも情念の積み重ねのようなものを感じた。ちょっと怖いような、神秘的な一角である。

いわゆる満足感というのとは違うが、なんとなく満ち足りた気分になって、15時前に旅館へ戻ってチェックイン。早めに露天風呂に入って、夕方まで昼寝である。夕食後は温泉街の散歩に出た後、再び温泉。

翌朝は快晴だった。朝食と朝風呂の後、11時前にチェックアウト。福岡ゆきのバス停に送ってもらうまで、3時間ほど時間を潰す必要がある。

昨日と同じジレンマに陥ることは分かっていたので、ハイキングに行くことにした。地図を見ると展望台があるようなので、いまいち距離も分からないまま歩きはじめる。1時間半ほど歩くと、森を抜けた所に展望台があった。雄大な阿蘇の山々が望める。

黒川温泉と言うと、他の宿の温泉を利用できて、川をライトアップしている人気温泉街くらいのイメージしかなかった。行ってみると、なんとも奥が深い街である。

iPhoneのデータによると、黒川温泉初日は8.7キロ、翌日は10.4キロも歩いていた。

疲労気味なので温泉へ休養に行ったのだが、しっかり運動して帰った。横浜に戻ると、相変わらず足は筋肉痛である。しかも入浴しすぎたのか、湯あたりのようで全身だるかった。

いちじょういんのおもいで

数年前、本厄だった年は出羽三山神社に行った。そして昨年ゴタゴタが続いたときは、近所の神社に泣きを入れに行った初詣に行かなくなって久しいので、神様を訪ねるのは困った時だけになりがちである。しかし、自分に特段の問題がなくても、神様を詣でて、自身を顧みることも大事であろう。

今年は高野山へ出かけることにした。宿坊に泊まって、朝の勤行に参列する。

週末の宿坊は満室だろうと思い込んでいたが、さすがに今年は特殊である。直前の予約だったが、それなりに空室があった。

選択肢が多いのも困りものである。

宿坊なので質素な方が風情があるに決まっているが、鍵のかかるドア、そして隣室との間には厚手の壁が欲しい。そこまで言うなら、部屋にトイレもある方が良い。腰痛なので寝具はベットが良いのだが、1泊だけなら純和風の部屋を選びたい。予約サイトで評判の良い宿坊の大浴場は温泉だが、さすがにやり過ぎではないか。

あまり決め手にならない悩みばかりである。まったく土地勘がないこともあり、予約サイトの評判を頼りに、街の中央にある「一乗院」に予約を入れた。庭に面した部屋に空きがあって、その部屋の写真には椅子が写っていたのだ。質素とは離れるが、地獄の沙汰も金次第と言うではないか。

予算に応じて部屋を選べるし、ネットで予約・支払いまで済ませられるので、観光地の旅館に行く程度の気持ちで旅に出た。かなり早く宿坊に着いてしまったのだが、荷物を預かって部屋まで持っていってくれたり、雨傘を貸してくれたりと、至れり尽くせりである。

荷物を預けて参拝と撮影に行き、正規のチェックイン時間に改めて宿坊に戻った。部屋に通されると、滞在中の注意事項説明があった。

まずは「お寺ですので、早寝早起きでお願いします」とのこと。夕食は17時半、門限が20時 (COVID-19の影響がなければ21時?)。朝の勤行は6時半からだが、6時15分までに本堂へ行く必要がある。お勤めの後、7時過ぎに部屋へ戻ると朝食が準備されているらしい。

やっぱり旅館ではなかった。

もちろん食事は精進料理である。苦手な川魚が出てこないのは助かるが、天ぷらが全て山菜なのが厳しい。

お酒は頼めた。もちろんガンガン飲めるというわけではない。300mlの冷酒をもらって、一晩かけてチビチビと。

夕食後、トワイライトな高野の街へ散歩に出た。19時前だが死んだように静かである。

この街でカツサンドとギネスビールの闇酒場をやったら、宿坊に泊まっているダメオッサン相手の商売になるのではないか。焼鳥と燗酒もいいだろう。そんな罰当たりな空想をしながら、高野山の壇上伽藍に向かった。

雨上がりだったせいもあるのだろうが、壇上伽藍は静寂が支配していた。ゆっくりと境内を周り、ライトアップされている根本中堂を撮影する。御影堂の灯篭も美しく灯されていた。

心の底から来て良かったと思った一時だった。

こうやさんのおもいで

年末年始の休み中、深夜にボケーッとNHKを見ていると、高野山の番組をやっていた。正月気分だったせいか、観光ガイド的な番組だったせいか、僕にしては珍しく、お寺に行ってみたくなった。

基本的に僕は日本の神社仏閣には苦手意識が強い。宗教的な理由というよりも、ちょっとした記憶の断片の積み重ねが原因である。

子供の頃から体が硬すぎるのだが、オッサンになってからは腰痛もあり、畳の部屋は苦痛でしかない。それに土産物屋が並ぶ門前の風景というのも苦手だ。お寺そのものが通販番組みたいで微妙だったこともある。

しょうもない理由の羅列ではあるが、オッサン人生45年の蓄積である。ここまで来ると、陽の当たらない森の奥で落ち葉が積み重なって腐葉土になってしまったような、じっとりした生々しさで意識の奥底に沈殿している。

冬の間は東北方面の温泉に気を取られていた。それでも南海特急の動画を見たりと、徐々に高野山に目が向いてきた。これを機会に生々しい世俗社会から逃れ、真言密教の世界に触れて真理を悟る一端としたい。

ところで僕の関西経験というのは、京都へ飲みに行くか、神戸へ出張に行くのが主である。大阪で泊まった記憶というと、帝国ホテルのドアマン・スヌーピー部屋に泊まった時と、中国・杭州からの帰りに関西空港便しか取れなかった時くらいである。

関東から高野山へ向かうには、大阪で南海特急に乗り換えるのが便利らしい。

東海道新幹線で行けるのは新大阪まで。一方の南海は難波が始発駅なのは知っていたが、難波と天王寺は同じ場所だと思っていた。しかし、どうやら違うらしい。

この程度で新幹線から南海電車に乗り継げるのだろうか。大阪は広い。と思う。

ちょっと調べたところ、新大阪から市営地下鉄に乗れば、乗り換えなしで難波に行けることが分かった。

僕でも分かる大阪グルメと言えば、蓬莱の豚まんだ。新大阪駅にも難波駅にも売店があった。高野山では宿坊に泊まるのだが、勿論そこは精進料理である。こっそり豚まんを持ち込んだら、怒られるだろうか。修行の妨げになっては良くない。やっぱり諦めよう。

帰りの新幹線で「冷えたビール片手に温かい豚まん」という生々しい構図を思い描いて、高野山に向かった。

高野山で一晩を過ごして心が清らかになった僕は、昼食と休憩を兼ねて高野の街の喫茶店に入った。あとは生麩まんじゅうを買って帰るだけだったが、帰りの特急電車に接続するバスまで時間があったのだ。

喫茶店では隣席の坊さん連中の会話が生々しい。結局、寺院の運営は経営であり、金がかかるということなのだろう。そして僧侶業界に関わる諸々の人間関係。

心が清らかになったと思ったのは、誤解だったのだろうか。疑いが芽生えたまま下界に戻り、南海特急に乗って大阪に戻った。

新大阪駅でテイクアウトの豚まんを購入し、新幹線改札を通った。ついにビール片手に肉まんである。昨今の状況下、新幹線は基本的にガラガラなのだが、念には念を入れて、すいている確率が高いと言われる新大阪始発列車を選んで予約しておいた。

駅構内で売店や弁当屋を何軒か探したのだが、全ての店舗で「諸般の事情により」酒類は売っていないとのこと。COVID-19による緊急事態宣言である。各店舗にかかったであろう生々しい圧力は想像できる。冷めていく豚まんを目の前に、新幹線車内で修行のような時を過ごしつつ東京に戻った。

心が清らかになったと思ったのは一瞬だった。そもそも心が清らかというのは表層の一部でしかなく、むしろ有象無象の生々しさこそ、人間や社会そのものだろう。その生々しさの奥に隠された意味を見付けることが、真言に通じる道ではないか。

高野山に行ったものの、真理の智慧はおろか、世俗社会すら分かっていないままだった。