旅のしおり:知床

1日目

羽田 0705 (JAL565) >> 女満別 0845

知床五湖

夕食:寿し処 須藤

宿泊:ホテル日の出岬

1日目Tips
・当初はANAで紋別まで行こうと思っていたのだが、特典航空券が取れずにJALで女満別へ。結果論だが、このおかげで晴天の知床に行けた。

2日目

・雄武町から知床へ再移動。

宿泊:KIKI知床

3日目

・知床五湖

女満別 2000 (JAL566) >> 羽田 2155

3日目Tips
・知床から網走に戻る途中、涛沸湖とオホーツク海に挟まれた土地を通る。JRだと釧網本線の原生花園駅なのだが、ここに展望台があって日没が絶景だった。

しれとこのおもいで

話は夏休みの出発日に遡る。この日は在宅勤務から羽田空港に向かったのだが、日中は母親が家に来ていた。秋の北海道に行きたいとのこと。そういえば前回の知床訪問時は天気が良くなく、紅葉には少々早かった。あの時が9月下旬だったので、ちょっと遅くしてみよう。

仕事を終えて羽田空港に向かいつつ予定を確認したところ、10月中旬に日程が合った。せっかくなので7月に訪問した雄武町の寿司屋さんとあわせて、金曜から日曜の予定で行くことにした。そのまま羽田ANAラウンジのWiFiを使って、JAL特典航空券の予約という罪深い行為に及び、クロアチアへと旅立った。

夏休みから戻ってグデグデしていると、北海道へ行く日が迫っていた。おそらく休前日の知床の宿泊料は高いと思い、金曜に知床で泊まり、土曜は雄武町に宿泊しようと思ったが、意外にも雄武町のホテル日の出岬が満室だった。金曜夜にホテル日の出岬で残っていた最後の一室を確保し、土曜に知床で泊まることにした。これだと土曜午後と日曜の朝に知床五湖へ行けるだろう。

金曜日の朝、女満別空港に到着すると快晴だった。これ自体は素晴らしいことだが、問題は土曜から日曜にかけての天気予報の悪さにあった。前回の知床訪問時に天気が悪かったことが目的地選定の一因なのだが、予報通りだと再び知床で悪天候に遭遇してしまう。

曖昧な記憶だったのだが、女満別空港から知床までは意外に近かった。そして女満別空港から雄武町までも意外に近かった。そうであれば、この日に晴天を求めて、知床へ行くべきではないだろうか。

空港でレンタカーを借りて、昼前に知床へ着いた。平日のせいか混んでおらず、遊歩道へ向かった。青空に紅葉が映え、さらに青空と紅葉が知床五湖の水面に映っている。なんとも美しい。

写真を撮り終わって時計を見ると15時前だった。そろそろ雄武町に向かう頃合いだろう。

ここで北海道を甘く見ていたことに気付かされた。カーナビにホテル日の出岬を入れると、到着予定時間が19時半とのこと。北海道で「意外に近い」を2回繰り返すと、かなり遠いというか、極めて遠い。しかも雄武町の寿司屋さんには19時で予約を入れてある。とにかく車に乗って運転開始。

オホーツク海沿岸には高速道路という無粋なものはないので、高速道路なみの道民スピードの車に付いていったり、市街地でノロノロ運転に巻き込まれたりと不安定なスピードながらも、19時にはホテルに到着。部屋に荷物を置いて、19時20分までには寿司屋さんに着けた。

ここから先、ほとんど記憶にないのである。運転が嫌いなので無事に到着した安堵感が大きく、また美味しい寿司もあって、気付いたら浴びるほど飲んでいたらしい。

気付くと午前4時、ベッドで寝ていた。雄武の温泉は海に近いせいか塩分が多く、なかなかに温まるのだ。せっかく来たのに、入らないで帰るのもどうかと思う。時間が時間だけに、無人と思われる温泉に行った。きっと静かで良いだろう。まだ酒は抜けていない。

まったく何も考えずに風呂場へ行くと、暗がりから「おはようございます」と声をかけられた。どうやら当直の従業員さんが休憩がてら入浴していたらしい。

僕も冷静に「おはようございます」と返したものの、赤面の至りだった。

としのくれ

毎年一回、新年に旅行とは関係ないブログを書いている。旅行に頼らない文章力を得ようと思っているのだが、センスというものは年末の宝くじでは当たらないので、実現には至っていない。結局、来年も旅行系ブロガーからの脱却は困難だろう。

さて、今年の年始、シェイクスピアの日本語訳からの引用で「明けない夜はない」と書いた。昨年12月上旬に風邪をひいて以来、1ヶ月程どうにも調子が良くなかったのだ。当時は風邪と診断されたのだが、友人の医療関係者数名からは、インフルエンザワクチンのせいで、判定キットが反応しなかっただけではないかとの指摘もあった。

その後の一年は、極めてロクでもなさすぎた。過度な気温変化、花粉症、低気圧など様々な要因により、結局のところ、夜明けらしきものは見付からないまま、今年が暮れようとしている。

数字が全てを物語っていると思うのだが、今年の有給消化日数は18日と過去最高を記録した。勤務年数だけは長いので、昨年分の繰り越し20日と合わせて40日の有給日数だが、日本人サラリーマンとしては、取得日数が相当多い部類に属するだろう。

特に酷かったのが前半で、6月末時点で休みは累計12日に達していた。例の風邪だかインフルエンザだかの休みを含めた昨年全体と同日数である。たしかに今年前半も旅行に行っていたが、毎月のように行っていたわけではない。

そこから生活パターンを立て直すべく取り組んだ。夏の間は比較的落ち着いていたが、その後、冬になるにつれて再び悪化していた。結果的には先述の数字である。

諸悪の根源は不眠だと思われる。不眠が自律神経の働きを弱め、さらに不眠になる悪循環である。去年の夏までは漢方薬で入眠できていたのだが、いつの間にか漢方薬は全く効かなくなり、日常的に午前3時くらいに寝るようになった。そこそこ職住接近しているが、それでも7時半には起きる必要がある。

睡眠の質は落ちるものの、飲酒で漢方薬を代用する事も考えた。かなりの量を飲まないと寝付くには至らず、平日連続3晩でウイスキー1本を空けた時、肝機能障害と痛風になるリスクを真剣に考慮するに至った。酒より薬の方がマシだとの結論に至り、数年ぶりに睡眠導入剤の服用を再開した。

最初は薬が効きすぎて起床に影響を及ぼし、年始の出勤日には起きたら昼前だった。三流サラリーマンな僕でも真っ青な事態である。

服薬量の調整を行って何とかなったが、徐々に不眠が悪化して効果が出にくくなった。ある程度の眠気がないと睡眠導入薬は効かず、結果的に入眠が午前2時を過ぎるようになった。ここから更に遅くなり、午前3時を越えて、夏至の頃には日の出を見てから寝ていた。さすがに酷すぎる。

その後、薬を変えた効果もあって、夏から秋の間は午前3時頃の入眠で定着していた。しかし寒い時期になって再び悪化傾向である。どうやら気温変化に弱いらしい。実際のところ年始よりも確実に悪化している。この生活が1年以上も続くのは長い。

ここまでくると「暮れない昼はない」と思いたくもなるが、そうなる前に区切りを付けたい。

お年玉を貰えなくなって以降、年賀状を書かなかったり、初詣に行かなかったりと、年の区切りには興味がなかった。それでも年は終わる。今年も30日は焼鳥屋と銀座のバーの最終営業日に酔い潰れ、31日は中華料理店と横浜のバーで大晦日を静かに過ごす。ここ数年、恒例のパターンである。同じ事を繰り返すうちに、時は過ぎ去るものだろう。

今更お年玉を貰えるとは思えないが、今年の区切りをつけるべく、まずは酒を飲みに行こう。そして旅行に備えようと思う。

所詮、来年も旅行系ブロガーが関の山だろうから。