ぬわらえりやのおもいで

スリランカはカレーの国である。シンガポールからスリランカ航空でコロンボに向かったのだが、ライスと言われて渡された機内食は、のし餅のような白い物体とカレーだった。ただし餅と言うには微妙な粒感があり、なんとなく山芋か梨の切断面に近い。

食べてみると、冷えていて味がない。米の甘味も感じられない。スリランカ文化を理解していないまま飛行機に乗ってしまったので、僕にとっては正体不明の食品だった。釈然としないまま、つけあわせのヨーグルトとフルーツだけ食べて飛行機を降りた。日本文化に関心のない外国人がJALやらANAに乗って、おにぎりが出てきたら、こんな気分になるのだろうか。

こんな事ではスリランカに来た意味がないと思い、コロンボで地元料理店に行った。スリランカ人が普通に行くような、手でカレーと米を混ぜて食べる店である。

一度、シンガポールのリトル・インディアでカレー屋に行ったことがあるが、そこではスプーンが出てきたし、辛さをマイルドにしてもらった。それ以外のカレー体験は、ココイチとカレーの王様が関の山である。手でカレーを食べるのも、本場のカレーを食べるのも初めてだ。

コロンボの地元料理店と言っても、英語メニューのある店に行ったのだが、スプーンを使うか聞かれもしなかった。実際、他の客は誰もスプーンなど使っていない。郷に入れば郷に従え、だろう。隣のテーブルの人を参考にして、カレーと米と具材を手で混ぜた。結果、手で食べること自体には抵抗なかったが、うまく混ぜ合わせられない。現地の人はうまい具合に手で固めているが、ぼくはポロポロのままである。おにぎりとは米の握り方が違うようだ。もしかすると先程の機内食の微妙な粒感は、手で固められた米粒を模したものではないだろうか。

カレーの辛さについても聞かれもしなかった。スリランカでは標準的なカレーということだろう。しかし僕には辛すぎた。頭に突き刺さるような、ストレートな辛さである。スリランカにバーモントカレーはないのだろうか。普段は気に留めていないが、リンゴと蜂蜜が愛おしい。早々にカレーはギブアップして、米と具材だけを食べて店を出た。

今回の旅の目的地としては、スリランカのヌワラエリヤという町だった。この町にあるイギリス紳士クラブ流儀のホテルに滞在していたのだ。スリランカの山奥のくせに、19時以降、メインダイニング、メインバー、それに読書室ではジャケットとネクタイがドレスコードとのことである。

このホテルでは完全に英国生活である。朝食はイングリッシュ・ブレックファースト、夕食はコース料理。フォークとナイフは潤沢に供給されるので、手で食べるのはパンだけである。このホテルに地元カレーの出番はない。

ヌワラエリヤでは朝晩の食事はホテルで済ませ、昼間は紅茶工場の見学に行ってケーキを食べながら紅茶を飲み、そして午後の早い時間からホテルのバーに入り浸っていた。結果的に地元のレストランには行っていない。

最初の機内食は早々に諦め、1回だけ行ったスリランカ料理店は途中で挫折し、あとは英国式の食事ばかり。これではスリランカ文化にふれたとは言えない。そんな反省をもとに、帰りのフライトでは例のカレー機内食を再チャレンジした。せめて1度くらいはスリランカ料理を完食したい。

例の白い物体については、正しいか否かは別として、何となく想像がつくようになったので抵抗はない。スプーンが無くても大丈夫そうだが、機内食なのでスプーンはついていた。問題はカレーである。機内食だから多少はマイルドかと思いきや、そんなことはなかった。コロンボの食堂と同じく、ストレートな刺激が頭に刺さった。たぶん胃腸も刺激していることだろう。

機内では頑張って最後まで完食したが、シンガポール到着後、結局おなかを壊した。やっぱり辛いものは苦手である。再びスリランカに来るとしたら、まずはカレー対策を考える必要がある。

(前回のスリランカ記事)

GW特別読み物:味覚

もう10年以上前になるが、大した理由もなくポルトガルに行った。なんとなく「大航海時代」という言葉に惹かれたのもあるが、当時、マスターカードのテレビ広告にリスボンのケーブルカーのシーンがあったのだ。サンフランシスコを筆頭に、ケーブルカーのある町は魅力的に思える。

以前に働いていた会社を退職した直後だったので、1月だったと思う。ロンドン経由で遅い時間にリスボンに着いた。

早速、ホテル裏の丘を走っているケーブルカーを見に行った。写真を何枚か撮り、とりあえず初日は終了。ホテルに戻った。

ポルトガルまで行けば冬でも暖かいと思い込んでいたが、1月のポルトガルは寒かった。幸か不幸かホテルは重厚な石造りの建物である。しかもオフシーズンのせいか客が少なく、閑散としていた。そういう建物は良く冷える。

翌朝、といっても昼頃に起きると、スチーム暖房を全開にしていたにもかかわらず、体の芯まで冷えきっていた。とりあえず部屋でコーヒーでも飲もうかと思ったが、部屋にコーヒーメーカーは付いていなかった。

暖かいものを飲み、ブランチをしようと思い、街へ出た。ポルトガル人で混雑していたカフェに入る。メニューはポルトガル語のみであり、なんとなくメニューが解読できたパスタを食べた。これが妙に塩辛い。飲食店には当たり外れがあり、知らない街では失敗する確率は高い。

午後から街歩きを始めた。リスボンにはケーブルカーが数路線あり、一通り見に行った。

街を歩いていると、スーパーがあった。ちょっと覗いてみると、干しタラが目につく。スペインの生ハムみたいに、天井から吊るして売っている。この店は干しタラで有名なスーパーなのだろうか。よくよく街を眺めると、食料品店には多かれ少なかれ干しタラが置いてある。

夕食は「本格的ポルトガル料理」とガイドブックに出ていた店に行ってみた。ここには英語のメニューがあり、ウェイターも英語が話せる。おすすめ料理は干しタラとの事だった。

街中で干しタラを売っているのである。干しタラを食べねば済まないだろう。しかし、この店も妙に塩辛い。何を食べても塩味が濃いせいか、食後には塩味しか残っていない。それ故なのか、デザートが妙に甘い。あまり満足できないまま、冷えきったホテルに戻った。実質的な初日にして、既にポルトガルが嫌いになっていた。

その後、田舎町を経由しながらポルトまで北上した。どの店に入っても塩辛いし、どのホテルに泊まっても寒い。食事が苦痛になった。早くポルトガルから脱出したい。

ある日、外食を諦め、食料品店に夕食を買いに行ったところ、そこでも干しタラが山積みになっていた。山奥の田舎にもかかわらず、食料品店の軒先は潮の香りがした。

そして気付いた。ポルトガルの味覚の根源は干しタラではないかと。バカラオと呼ぶらしい、塩漬けにして干したタラである。本格的ポルトガル料理の食材である干しタラ (と塩味)。スープの出汁にもなる干しタラ (と塩味)。ポルトガル人のDNAの中に組み込まれた干しタラ (と塩味)。

結局、ポルトガルの思い出は塩辛いまま終わってしまった。文字通り塩辛いだけでなく、まさに塩辛い旅だった。

ころんぼのおもいで

スリランカやインドはアーユルヴェーダの国らしい。以前、知人がアーユルヴェーダのワークショップに参加するため南インドに行ったが、アーユルヴェーダについて説明されても、僕にはピンと来なかった。スリランカに行けば、僕にもアーユルヴェーダが分かるようになるのではないか。

9時45分にシンガポールを出る飛行機に乗ると、コロンボには11時5分に着いた。アジア域内の近距離線と高を括っていたら、飛行時間は約4時間とのことである。行ってみて初めて分かったが、2時間半も時差があって、シンガポールから意外に遠い。アーユルヴェーダどころか、スリランカについての基本的な認識が欠けている可能性が高いまま、コロンボ空港に降り立った。

空港からコロンボ市内のバスターミナルまで行くエアコン付きのバスもあるらしいが、バス停は空港の敷地外にあるらしいし、満席にならないと発車しない (が、満席になると予定時刻前でも発車してしまう) らしい。しかもバスターミナルからホテルまではスリーホイラー (タイだとトゥクトゥク、インドだとオートリクシャー) に乗る必要があるのだが、外国人相手にはボッタクリが横行しているらしい。アーユルヴェーダな移動は難しい。

もうオッサンであり、バックパッカー的なのは正直しんどい。しかも日程的にタイトなので、バスを待って時間を浪費している場合ではない。翌日から田舎に行ってしまうので、コロンボには到着日の午後しかいられないのだ。オッサンは悩まずタクシーに乗ることにした。

事前に調べておいたところ、タクシーは定額制なので心配ない。カウンターで申し込むと、係員が乗り場まで連れて行ってくれる。世界中ほとんどの空港で、タクシー乗り場の係員は効率重視である。早く客を捌くことにエネルギーを集中させている。しかし、ここは何とも遅い。乗り場までの案内係はゆっくり歩くし、乗り場で乗車する車を指定するのに時間がかかる。荷物をトランクに積んで出発するのにも時間がかかる。これがアーユルヴェーダな空港なのだろう。

車が走り出すと、一般道なら2時間以上かかって通常料金、高速なら1時間程度で行けるが、高速代300ルピーが別料金と言われる。新手のボッタクリではないかと思ったが、とりあえず高速経由で行くように頼む。アーユルヴェーダが分からない僕は「時は金なり」のマインドである。料金所に着くと、僕から300ルピー受け取って、そのまま係員へ。中間マージンを取るわけではないらしい。明朗会計である。もっとも元々が高速代込みという可能性もあるが。

ホテルに着いて荷物を置き、早々に街へ出た。コロンボ滞在は半日しかないのだ。行きたい場所のリストを頭に浮かべる。

コロンボは大都市だが、事前に調べた結果、興味があるのはコロンボの中央駅と市場だけである。ホテルの近くに市場が1か所あり、そして中央駅の隣も市場になっているらしい。あとは外国人向けのショッピングセンターでギフトショップを見て、高級ホテルのバーに社会科見学に行けばいい。

まずはホテルそばの市場を見て、それから列車で中央駅であるフォート駅へ向かうことにした。列車に乗ったのはフォート駅から3つ目の駅だったが、切符売り場は有人、切符は昔ながらの硬い紙である。1時間に1本もない列車は20分ほど遅れてきた。これがアーユルヴェーダな鉄道なのだろう。

フォート駅隣の市場はディープだった。なんとも古めかしい市場である。市場というよりも、朽ちかけたコンクリートの倉庫と呼ぶべきだろう。昔のニュース映画に出てきそうな雰囲気である。

市場中央の通りに面した店を覗いてみる。土曜の午後のせいか、一部は店を閉めはじめている。ちょっと遅かったのだろうかと思いながら歩いていくと、フォート駅から遠くなるにつれ、朽ちかけたコンクリートの倉庫というよりも、もはやバラックになっている。見ていると切なくなり、途中で駅の方に戻った。

市場の中央あたり、それなりに人出があるところに戻ると、店じまいしかけたボロボロの建物の中に入っていく人影があった。奥に何かあるのだろうか。入っても良いのだろうか。

意を決して奥に向かった。ローカル感満載な市場なので、僕が市場に入った時点で浮いた存在だが、奥に入っていくとスリランカ人のケゲンな視線を感じる。この市場に来る観光客自体が少ないのだろうが、建物の中に入ろうというのは極めて稀だろう。

奥は更にディープな空間だった。公設市場内の店舗というよりは、単なるスペースである。世界中ほとんどの市場で、市場内の店舗は効率重視である。可能な限り商品を集積させ、売り捌く。しかし、ここには台とか棚とか商品の集積に必要と思われる設備は存在せず、土間に漠然と野菜を置いて売っているだけだ。これがアーユルヴェーダな市場なのだろう。

そんな市場のあと、海岸沿いを歩いて町一番の高級ホテルに向かった。インド洋に面して建つ、1864年開業のコロニアル様式とのことである。市場とは別の意味で、なんとも古めかしい。重厚な内装のバーには著名客の写真が飾ってあった。目の前の紳士の写真に見覚えがあったが、よくよく見ると軍服姿の昭和天皇だった。インド洋に沈む夕陽を眺めながらマティーニを1杯、そしてダブルでジントニックを1杯。アーユルヴェーダな夕陽は美しい。

こんなバーに行くアーユルヴェーダな生活もあり、あんな市場に行くアーユルヴェーダな生活もある。

高級ホテルを出て日の暮れた街に戻り、再びコロンボの街を歩いた。先程から観光地周辺を歩いていると「象のショーをやっている」「寺院で特別イベントがある」「スペシャルなセールをやっている」などと怪しい連中が声をかけてくる。地球の歩き方や旅行系ブログに書いてある通りだ。ここまで教科書通りなのはバルセロナの偽警官以来である。

歩くのも疲れてきたし、市場とバーで満足しきったので、夕食を済ませてホテルに戻ることにした。先程から見ていると、声をかけてくる奴にロクなのはいない。教科書通りの怪しさが溢れているコロンボで、ボッタクリではないスリーホイラーを見つける術はあるだろうか。

通りがかりに声をかけてくるスリーホイーラーはやめて、だまって客待ち中のスリーホイーラーを狙った。コロンボで最大の難関と思っていたスリーホイーラーだったが、僕の捕まえた運ちゃんはスマホのアプリをメーターにしており、明朗会計である。もっともアプリにボッタクリモードが組み込まれている可能性もあるが。

極めて濃厚な半日だった。到着直後はスリランカについての認識不足に危機感を抱いたが、スリランカに来るまでに悶々としていた期間が長かったせいか、それなりに事前に調べていた。効率よく動けたし、避けるべき人物を避けることもできた。

しかし、シンガポールからの意外な遠さは別にしても、思いがけなかったことも多い。スリランカ最大の都市なのに、昭和レトロ感の漂う駅と市場。いまだに植民地時代の香り漂う高級ホテル。

スリランカは奥が深い。来てみて感じることの多さは、キューバ以来ではないだろうか。ところでアーユルヴェーダについては、スリランカに行った後も分からないままである。

(次回のスリランカ記事)