しゃうえんのおもいで

シャウエンはモロッコ北部の青い街である。理由は諸説あるようだが、文字通りの青い街で、旧市街の建物が青く塗られている。モロッコなんて行けないだろうと半ば諦めていたのだが、実はヨーロッパから意外と近い。

シャウエンの旧市街で、現地の家を小規模なホテルにしたリヤドと呼ばれる宿を取った。空港からタクシーで旧市街の城門に着き、車が乗り入れられない旧市街を徒歩で宿まで連れて行ってもらった。

宿に行く途中で旧市街を歩いたが、確かに街が青い。とはいえ、全てが青いわけではない。路地まで青く塗られているところもあるし、ビルの1階部分だけが青く塗られているところもある。青さも建物によってまちまちだ。なんとも不思議な光景である。

モロッコと言えばミントティー。宿に荷物を置いたら、とりあえずミントティーを飲みに行こう。

大きいモスクがある広場にはレストランが並んでいる。行ったのが週末だったせいか、レストランは観光客であふれていた。この手の観光地のレストランは苦手である。英語のメニューがあって便利ではあるが、ハズレが多そうだし、そもそも観光客しかいないのが嫌だ。

そう思いながら広場をブラブラ歩いていると、広場の外れに地元オッサンが集うカフェがあった。ほとんど観光客はいない。モロッコではカフェがオッサンの社交の場所と聞いていたが、そういう場所のようである。

外国でローカルなバーへ入る時に勇気を必要とすることが多いが、このカフェも同じだった。意を決してテラスに入り、空席を見つけて座った。

早速、ミントティーを頼む。周囲を見渡すと、なにやら議論をしているオッサン達がいたり、ガラベイヤを着て一人静かに過ごしているオッサンがいたりする。よくよく見ると、座っているだけのオッサンもおり、全員が厳密な意味での客ではないみたいだ。

地元オッサンの多くはカフェラテのようなものを飲んでいた。ミントティーを飲んでいる人は少ない。周囲を観察しながらボケっとミントティーを飲むが、やっぱり砂糖入りだと甘い。次回からは砂糖抜きにしてもらおう。

お茶の後、青い街の中を路地から路地へと歩く。メインストリートは観光地だが、路地裏には生活感がある。気付くと小さい商店があったり、子供が遊んでいたりしている。

夕方になると観光客が減り、街にはアザーンが響く。人の流れがモスクに向かう。街路に灯りがともり、街が輝く。

この街は夕刻が一番美しい。

歩き疲れた後、レストランに行った。冷たいビールを一杯と言いたいところだが、イスラム圏のローカルなレストランなので、ビールは諦めてミネラルウォーターとミントティーを頼んだ。モロッコ料理と言ってもタジンくらいしか知らないので、とりあえずタジンを頼む。

構想ほぼ3年、ついにモロッコのシャウエンにやってきた。構想期間の長さにも関わらず、モロッコに関する知識はミントティーとタジンだけである。シャウエンに着いたら、カフェで地元オッサンを観察し、路地を歩いているだけだ。

確かに不思議な青い街である。しかし、オッサンと路地なら、別にシャウエンでなくてもいいのではないだろうか。

最初の計画はバスクで美食三昧だったのだ。バスクにも路地はあり、オッサンもいる。予定を変更せず、バスクに行っても良かった。バスクであれば、空港で送迎タクシーのドライバーを見つけるのに苦労することもなかった。それに、正直、タジンは大して美味しくない。

なぜ僕はモロッコまで来たのか。わざわざ人生を複雑にしていないだろうか。そんな疑問が生まれてきた。

普段の旅行であれば疑問は酔いと共に立ち消えになるが、モロッコではそれもできない。

もろっこのおもいで

僕にとって人生最大の問題は夏休みである。会社の夏休みは3日間になっているが、有給と週末を絡めて9日間とりたい。昨年はオッサン旅行を見合わせたので、今年は復活させようと思い、冬のうちから計画を練り始めた。

目的地はスペインにした。バスク地方とアンダルシア地方である。バルをはしごして、昼間からティント・デ・ベラーノ (赤ワインのソーダ割り) とシェリー酒を飲んでいれば幸せなのではないか。

それなりに予定を作って6月頃に航空券を予約するところまで来たが、友達オッサンが休めるか自信がないとのことである。直前で一人旅になっても困るので、オッサン旅行は今年も断念した。

ところで今年は冬にメキシコのグアナファトに行った。治安などの面で敷居の高かった場所だが、ついに行ってみたのだ。

それを思い出しながらスペインの地図を眺めると、下の方にジブラルタル海峡がある。そして海峡の反対側にはモロッコ。モロッコにはシャウエンという街があって、グアナファトと並んで僕の中で行きたかった街だ。

モロッコも敷居が高い。そもそも地理的にはアフリカ大陸である。最近はテロリストの出身国としてモロッコの名前をよく聞くし、隣国はアルジェリアである。治安は大丈夫だろうか。実際、日本の外務省の基準ではモロッコ全土にレベル1の危険情報が出ている。

ちょっと真面目に調べてみると、多少のリスクはあるものの、全体的に治安は維持されているようだ。前後左右と財布に気を配り、変な所に迷い込まなければ問題なさそうである。

グアナファトへ行った今年こそ、シャウエンに行くべきではないだろうか。バスク行きを止めて何日か捻出し、シャウエンへ行こう。

9月の早朝、エールフランスの深夜便でパリのドゴール空港に着いた。そしてバスでオルリー空港に向かう。オルリーは20年くらい前にオリンピック航空でギリシャに行った時以来ではないだろうか。そんなオルリー空港から、聞いたことのない航空会社に乗ってモロッコに向かった。人生初のアフリカ大陸である。

モロッコはイスラム圏であり、公用語はアラビア語とベルベル語である。外国語と言えばフランス語のようだ。英語はあまり期待できないらしい。

モロッコの通貨はディルハムだが、このモロッコ・ディルハムはモロッコ国外で事前に両替しておくことはできず、現地のATMでは一日あたりの引き出し額に制限がある。しかも出国時は原則的に持ち出し不可と、なかなか面倒くさい。

しかもモロッコではクレジットカードも使いにくそうだ。シャウエンではリヤドと呼ばれる邸宅ホテルに泊まるが、そこはカード利用不可とのことである。現金を用意しなくてはいけない。レートが良いのは現地ATMだが、引き出し制限のせいで何日かに分けてATMに行く必要がある。手数料を払って日本円をディルハムに両替するか、ユーロの現金で払うか。悩ましい。

治安の問題を別にしても、なかなか敷居の高い国である。

モロッコはタンジェという街に着いた。モロッコ第4の都市である。ボロい地方空港を想像していた。入国審査は不必要に権威主義的で、しかも細かくて厳しいのだろう。

着いてみると近代的で豪華な空港である。しかもスムーズに入国手続きが進む。ロシアの時と同じく、肩透かしを食った気分だ。

無事に入国を果たして出口に向かうと、空港の到着ロビーはガランとしていた。空港というよりも、寺院のような静けさである。白タクの客引きとか、自称ポーターとかがウヨウヨしてそうだと思っていたが、ほとんど無人に近い。

空港からシャウエンまでは、ホテルにタクシーを手配しておいてもらった。到着ロビーに出たが、わずかな人類の中に僕の名前を書いたボードを持った男はいない。こういうのをアウェーの洗礼というのだろうか。モロッコ旅行は出だしからつまずいている。

英語が大して通じず、しかも物価が交渉で決まる国で、着いた早々に長距離タクシー料金の交渉は厳しそうだ。暗澹たる気持ちでホテルに電話したところ、ドライバーは空港に行っているとのこと。僕の目の前にドライバーはいないと言い張ると、ドライバーに電話するから待っていろと言われた。

しばらくして電話をかけなおすと、ドライバーは空港ビルの外にいるとのことである。空港ビルの出口はマシンガンを持ったモロッコ兵が3名ほどで警備しており、そちらには近づかないようにしていたのだ。出口から出てしまったら、再び到着ロビーに入れなさそうだったし。

夏は暑い国なのに、本当にドライバーがビルの外で待っているのだろうか。イマイチ信じられないまま外に出ると、たしかに空港ビルの外に待ち合わせ用のテントが設置されていた。テロ対策なのか、旅客と職員以外は空港に入れないようである。やっとタクシーのドライバーを見つけた。

どうもモロッコは心理的に敷居が高い。それが故に自分の中だけで一悶着を引き起こし、余計な心配をし、時間を無駄にしてしまった。こういうのを独り相撲というのだろう。もう少しオープンな気持ちでモロッコに滞在してみよう。からりと明るいアフリカの空の下、ウジウジと反省しながらシャウエンに向かった。

なつ

やっと8月が終わった。

出勤時に勤務先のビルに入った後、夕方まで一歩もビルから出ない生活をしている。あまり夏の気温や湿度は関係ないし、そもそも今年は基本的に天候不順だったが、8月の終わりとともに夏も一段落な気がする。

昔から極度の暑がりのせいか、夏はキライである。それでも登山が趣味だったころは、カメラを持って北アルプスを目指していた。

いつの頃からか登山には興味を失い、ビールを持って海辺を目指すようになった。とは言うものの、体型的に水着では醜悪であり、実際のところはビールを求めて海辺の酒場を目指している。

しかし海辺の酒場に毎日行くわけにはいかず、基本的には街中の酒場で誤魔化さざるをえない。結局、それは普段と同じなので、キライな夏を乗り切るためには気晴らし的なイベントが必要である。

今年の夏は7年ぶりに隅田川の屋形船に乗った。前回と違うのはスカイツリーができたことで、浅草あたりまで行ってスカイツリーを眺める時間を取ってくれる。

その他にも、寿司屋で冷酒を片手にシンコを食べたり、普段は1人で行く蕎麦屋に知人をよんで日本酒を痛飲したり、近所の居酒屋の座敷でゴロゴロしながら濃いめのハイボールを飲んで泥酔したりと、とにかく酒ばかり飲んでいた。

子供の頃、夏休み中にはアイスを食べすぎないように釘を刺されたが、オッサンになって怠惰に酒を飲む夏を過ごしている。暴飲暴食こそ、戒められていた快楽である。

戒められていた快楽といえば、海辺で盛り上がる不純な恋というのをやってみたい。

しかし、それには生活習慣の見直しが必要である。外に出ることもなく、カロリーを蓄積する毎日。これでは腹が出たままで、水着が似合わないままだ。仮に水着が似合ったとしても、海辺にはクーラーがないし、日焼けも痛い。しかもサーフィン位できないとダメかもしれない。かなりハードルが高い。

海辺の不純な恋は諦めるしかない。やっぱり僕は夏がキライだ。

夏は終わったのだ。僕には冬がある。いまこそ冬に目を向けよう。

冬と言えばゲレンデの不純な恋を思い浮かべてみたが、体が硬いせいかスキーができないことを思い出した。スキーを履いてリフトから降りるだけで一大事だった。20年以上前の話である。しかもオッサンになったら寒いのもキライになってきた。

僕には冬もダメそうだ。

夏という暗闇の先にトンネルの出口を見たと思ったが、その先には別のトンネルがある。人生はトンネルだらけだ。