しゃんはいのおもいで

人間には多かれ少なかれ欠点があるものだが、僕は全体的にダメオッサンである。性格的な側面からすると、甲斐性と社交性がない。物質的な側面からは貯金がない。肉体的にはデブだし、歯並びも悪い。もちろん可愛くもない。これらと折り合いをつけながら毎日を過ごしている。

ところで上海で旬の上海蟹を食べるのが、今回の中国行きのテーマだった。シンガポールを除くと、前回、中国語圏に行ってから既に3年位のブランクがある。最近は中華料理と言えば中華街近くの広東料理店が関の山だ。横浜中華街と上海、広東料理と上海料理。似ているようで随分な違いである。

上海初日は蟹料理専門店に行った。まずは部位別に調理された蟹料理が何皿か出てくる。うまい。蟹料理を食べながら地元の酒を飲んでいると、最後に上海蟹が丸ごと1匹出てきたが、どうやって食べればいいか想像もつかない。

そもそも上海蟹は小ぶりである。しかも食事に際して、蟹用のハサミや、柄の長いスプーンのような器具は提供されない。酔った勢いで上海まで蟹を食べに来てしまったが、よくよく考えると、日本で蟹鍋を食べるのも面倒くさくて、途中で飽きてしまうオッサンなのだ。道具があってもダメなのに、道具すら貸してもらえないとは。

どうすればいいか困ってしまったが、蟹料理専門店には手際のいいウエイターがいた。彼らの手にかかると、上海蟹はひとたまりもなく解体されてしまう。酒を飲みながら待っていると、蟹はきれいに解体されてきた。あとは食べるだけである。助かった。

上海最終日には一般家庭にお邪魔した。普通の家で上海の家庭料理を食べる。ここでも蟹が出てきた。しかも豪気にオスとメス各1匹である。

一般家庭は文字通り普通の家であり、普通の家に手際のいいウエイターはいない。シンプルに茹でられた上海蟹と、黒酢ベースの調味料が少々。ドカンと出されて終わりである。

どうすればいいのだろう。細い足を取り外すくらいはできるが、その足から身を抜いて食べるところは難しい。本体にいたっては、どこから手をつけて良いか分からない。僕自身が不器用なうえ、蟹の構造が分かっていないのだ。勝ち目がないまま悪戦苦闘し、上海蟹の足を解体し続けていたが、蟹自体はほとんど食べていない。

一般家庭は文字通り普通の家であり、そこには上海人が住んでいる。

あまりのダメぶりを見かねて、キッチンの奥から蟹用ハサミを探してきてくれた。普段は使っていないようだが、とりあえず持っていたらしい。僕のマンションにも使わないのに包丁があったが、似たようなものだろうか。しかし残念ながら蟹用ハサミの有無は大して関係なかった。解体が少し楽になった程度であり、いずれにしても僕の不器用さは上海蟹の小ささに対応できていない。

そして上海人に呆れられていた。この街の良識ある成人は蟹くらい綺麗に食べられるのだろう。ちょっと落ち込みながら考えると、日本では焼魚の食べ方で品格が分かるといわれるが、そういえば僕は焼魚も満足に食べられないのだった。

中国まで行って、上海で自分の更なる欠点に気付かされた。大人の嗜みも品格もない中年男である。つまり器の小さなオッサンということだろう。

いままでの欠点の認識は、歯並び、デブといった外観上の欠点のほか、貯金、甲斐性、社交性程度だった。ある意味で小規模な欠陥の羅列である。上海で気付いたのは、嗜み、品格、器の小ささなど、かなり大規模な欠陥だ。自分自身の中で「欠点は多いが全体的には大して悪くない」ことに救いを見出していたつもりだったが、いまや希望は打ち砕かれた。

上海で僕は蟹を満足に解体できず、むしろ蟹のせいで自分自身に対する僅かな希望が解体されてしまった。横浜で広東料理を食べていれば、こんなことにはならなかった筈である。

ちゅうごくのおもいで

人間は考える葦であるとパスカルは書いた。人間の強みは思考することにある。

今更、去年の夏の話をするのもどうかと思うが、隅田川の屋形船に乗った帰り、酔った勢いで上海へ上海蟹を食べに行くことになった。シーズンは10~11月頃らしい。ちょうど昨年中に有効期間が切れるマイルがあった。渡りに船ではないだろうか。

帰宅後すぐに調べたところ、都合の良さそうな便に無料航空券の空席があった。酔った勢いでの話を真に受けてはいけないが、早々に決めれば無料である。しばし悩んでいたが、たった1晩で悩むのが面倒くさくなり、翌日には予約を入れてしまった。無料航空券の場合はキャンセル料が安いせいもあるが、せっかちなオッサンなのである。

今回は旅行先での諸々を同行者にアレンジしてもらうので、航空券を取る以外は何も手配する必要がない。出発日の朝に寝坊しないようにして、財布とパスポートを持って旅立つだけである。僕の普段の旅行は短期集中型の個人旅行なので、事前に何も考える必要がない状況が理解しにくい。本当に何も考えなくていいのだろうか。根拠のない漠然とした不安を抱えて悩む。

グジグジと意味なく悩み、しかし何も考えないまま、気付くと1か月前になっていた。上海から新幹線で浙江省に行くことは既に決めていたが、上海で何をしたいかは考えてもいなかった。いろいろと調べてみたが、農民画のギャラリー、外灘の夜景、古いホテルのバーくらいしか考えつかない。こんな調子でいいのだろうか。悩ましい。

上海で何をしたいかを考えても大したアイデアはなく、そのうち考えることを放棄してしまい、ついに出発日になってしまった。全体としては3泊4日の旅程だが、浙江省で1泊するので、上海滞在は丸一日程度しかない。空港移動と睡眠の時間を除くと、活動時間は20時間以下ではないだろうか。時間を有効に使わないと勿体ないが、しかしアイデアは考えられない。

実際のところ、上海では悩むほどの行動時間はなかった。その丸一日の滞在中に上海蟹を2回も食べ、ギャラリーへ行き、夜景を見てからバーで酒を飲むと、たいして時間は残っていない。ちょっと観光してから街をブラブラ歩いたら、既に空港へ向かう時間になっていた。

僕の場合、思考というよりも、無駄に悩んでいるだけのようだ。しかも思考が必要な局面においては、考えることを放棄している。人間の強みを活かしきれていない。考える葦というよりも、むしろ迷える羊だ。

それもまた人間である。

ねんがじょう

いつの間にか昨年は終わり、気付くと正月になっている。成長を見守る必要があるのは自分の腹回りだけの独身オッサンになると、一年こんな風に無意味に過ぎる。

日本の正月には年賀状が届く。子供じみているかもしれないが、毎年、年賀状の枚数から僕の価値を推計していた。2016年には実質的に2枚の年賀状だったので、僕の価値は104円相当と推計された (ブログを書いた後に1枚届いた)。オッサン人生デフレ状態である。

年賀状の受取が減る過程を分析すると、年賀状とはギブアンドテイクではないかとの仮説に至った。返信を出さないでいると、いつの間にか年賀状は来なくなる。年賀状の損益分岐点は人によって異なるものの、どこかの時点で僕が不良債権化したと判断され、送付リストから漏れる。一枚、また一枚と、四谷怪談のように年賀状が減っていく。これこそデフレスパイラルである。

こうなると景気浮揚策を講じる必要があり、リーマンショック時のように積極的な財政出動が求められる。投資によって僕の価値を上昇させたい。そして、昨年は11枚の年賀状を出した。住所を知っている人の全てである。11枚 x 52円 = 572円相当だ。自分自身の価値の5倍以上である。野党からはバラマキ政治と批判を受けそうだ。

その11枚を投資と考えると、受け取った枚数はリターンということになる。昨年の投資の答えが出るのが今年である。割引率や償却期間を考えない場合、(2018年に受け取った枚数 – 2017年に出した枚数) x 52円によって、2018年1月現在の僕の価値が分かるはずである。

ハイリターンなオッサンでありたい。そんな思いで元旦を迎えた。

郵便箱を見ると年賀状は4枚だった。そのうち3枚は飲食店からで、これらは僕の価値というよりも、広報宣伝活動に類するものである。故に僕自身の価値を示す指標としては、1枚ということになる。1月3日以降にも1~2枚は届くだろうが、昨年の投資にも関わらず、結局のところ枚数的な増加はなかったと言っていいだろう。むしろ僕自身としては、過剰な投資のため簿価はマイナスである。もっと慎重に投資すべきだった。技術力やキャッシュフローのある大手企業も、こうやって潰れていくのだろう。

新たな問題として、今年は返信を出すべきだろうか。

こんな投資効率の悪い僕に、更に無駄な投資をすべきではないという立場からは、年賀状の返信を出すべきではない。出しても出さなくても結果は大して変わらないのだ。むしろ、返信を出さなければ僕の簿価がマイナスになることはない。二期連続して僕の簿価がマイナスになるリスクは避けるべきである。ここは無意味にリスクを取る場面ではなく、規律ある財政が必要なのだ。

一方、僕自身の価値の下支えが必要という立場からは必要最小限の投資が必要で、つまり返信くらいは出すべきである。これまでの知見によると、返信を出さない限り年賀状は減り続ける。このままではゼロになってしまう。無価値なオッサンとは、抗うことすら叶わない、飼い殺しのような状況ではないだろうか。ある意味、マイナスより悪い。

さらに無駄な事業からは早急に撤退すべきという説も出てくる。たしかに簿価はマイナスのオッサンである。昨年の過剰投資を考えなかったとしても、104円程度の価値しかない。しかも改めて指摘するまでもなく、大して世の中の役には立っていない。とは言うものの、いくらなんでも人生から撤退するには早すぎるのではないか。

正月早々から悩ましい。

しかも1月7日までに年賀状を出さないと、郵送料が10円高くなるそうである。10円と言われると大したことはないが、単価20%増と言われると、脆弱な収益基盤においてはコスト的に重大なインパクトがある。

早めに決断すべきか、単価増のリスクを受け入れても熟考すべきか。人生のファイナンシャルプランナーが欲しい。