でわのおもいで

今年も隅田川の花火の日に母親の友達が実家に大集合することになった。しかも今年は人数が増えるとのことである。花火の日は家から脱出したい。

去年は2か月以上前に通知が来て無料航空券で九州に逃げたが、今年は2週間前の告知だった。国内で行きたい所を思い浮かべてみたが、余市蒸留所、水牛の牛車で海を渡る由布島くらいしか思いつかない。しかし花火の日は夏休み期間中の土曜日である。北海道、沖縄などは2週間前に無料航空券が取れるわけがない。

せめて片道だけでも無料航空券が取れるところを探すと、三沢空港、庄内空港あたりだった。

三沢といえば下北半島の恐山である。ネットで調べてみたところ、三沢空港からは大湊線とバスで辿りつける。恐山菩提寺は地獄のような風景だが美しい。しかし積み重ねた石が酸化して崩れていく様とか、石の周囲の草地に結んである草のいわれとか、知れば知るほどストーリーが怖い。恐山は早々にギブアップした。

庄内空港からは鶴岡に出て、出羽三山に行ける。ここ数年は近所の丘しか登っていない僕に月山はハードルが高いが、夏の土日には臨時バスがあって、一日で羽黒山と湯殿山に行ける。

出羽三山の役割分担としては、月山が前世、羽黒山が現世、湯殿山が来世ということらしい。羽黒山と湯殿山に行けば、現在から将来に関しては何とかしてもらえそうだ。参拝的に一番ハードルの高い月山は前世であり、いずれにしても前世は今更どうにもならないのではないか。

今年は本厄なので、参拝だけでなく、厄除けをしてもらおう。出羽で生まれ変わるのだ。

そんな希望を持って4時に起き、朝一番の庄内空港行きANAに乗った。眠気以外に感覚がないまま庄内空港に着き、なんとか羽黒山神社の随神門にたどり着いた。神の世界への入口である。

随神門からは鬱蒼とした森に階段2446段の参道がある。途中、曇り空は小雨にかわった。森が傘の代わりとなり、適度な降雨が気持ちいい。早朝のせいか人は少なく、しかも石段が徐々に湿って良い雰囲気である。ゆっくり写真を撮りながら登って行くと、途中の茶店に着いたところで雨脚が強くなり、小休止。

雨が小雨になったところで再び歩きはじめた。鬱蒼とした参道を写真を撮りながら歩く。しばらく歩いていると、また雨脚が強くなった。本降りである。写真を諦め、速足で数分すすんだところで羽黒山神社に着いた。神様の御加護なのか、タイミングがいい。

ところで羽黒山から湯殿山へ行くバスは1日2本しかない。湯殿山神社を参拝する時間を考えると、実質的には1日1本である。羽黒山神社に着いたところで時計を確認し、脇目もふらず社務所に駆け込んだ。ずぶ濡れで汗ダラダラ、しかも息が上がっているオッサンが厄払いを至急で頼む。悪霊に憑依された哀れなオッサンが助けを求めているような、傍から見たら切迫感のあるシーンである。ケチなので最低金額で厄除けを頼み、それでも住所、氏名、年齢、厄除けの要望を神様に伝えてもらった。

無事に厄除けが終わって現世の平安を確保し、そして湯殿山へ行くバスにも間に合った。これで来世も安泰に違いない。バスに間にあわなかったら、鶴岡から酒田へ出て、土門拳記念館バー・ケルンという選択肢もあったが、生まれ変わった僕が取るべき道は今日の快楽よりも将来への投資である。

湯殿山のことは聞いてもいけないし、語ってもいけないとのことである。Wikipediaによると

松尾芭蕉も『おくのほそ道』における湯殿山の部分については、「総じてこの山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。よって筆をとどめてしるさず」と記し、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな 」と句を詠むのみにとどめている。

よって僕も筆をとどめてしるさない。

ハバナでヘミングウェイの領域の一片を見たと思ったが、芭蕉の領域にも近づきつつあるのではないか。僕は出羽に来て生まれ変わったのだ。

鶴岡からは羽越本線で新潟に出て、新幹線で東京に戻った。缶ビールとワンカップを買い込んで、18時20分ごろ鶴岡を出る特急に乗った。この特急は日本海沿いを走り、この日の日没は18時50分頃である。しかも昼まで小雨だったのに、夕方から晴れた。車窓から見る日本海の夕景は感動的だった。

僕は出羽で生まれ変わった。美しい風景を見て素直に感動できる、ココロの清らかなオッサンになったのだ。ブログをやめて俳人を目指そう。

暮れゆく日本海を見ながら将来に希望を持ったが、片手にはワンカップの酒があり、変化の実感は乏しい。俳人ではなくて、廃人に向かいつつあるのではないか。もしかすると生まれ変わっていないのではないかという疑いと共に、新潟駅で追加の缶ビールを買って新幹線に乗り継いだ。

やくどし

今年が本厄である。

よくよく考えてみると、今年はトラブルが多い。冬は風邪で高熱を出し、しばらく正体不明の体調不良になり、そしてギックリ腰になった。

そんな危機を乗り越え、5月はロシア温泉に出かけ、6月は比較的安穏に過ごしていた。

そして再び風邪をひいた。夏風邪である。

基本的に日曜日の夕方以降は精神的にブルーな時間を過ごしており、体調もすぐれない。月曜日も同様である。

そんな月曜日、会社にいると違和感があった。基本的に会社にいると違和感があり、しかも月曜日は通常よりも違和感が強い。それでも通常の月曜日とは異なる違和感だった。

帰宅して熱を測ると風邪をひいていた。バファリン2錠を飲んでも38.5度に達したが、翌日の午前中には急激に熱が下がった。火曜日は一日休んでグダグダと過ごした。

馬鹿がひくのが夏風邪である。ここで話は終わったと思った。

一日休んだ後の水曜日、会社にいると違和感があった。基本的に会社にいると違和感があるが、通常とは異なる違和感だった。

風邪は治ったはずなのに、喉が痛い。しかも疲労と関係あるのか、夕方にかけて痛みが増している。

喉の痛みにはぺラックという薬が効くらしいが、しかし喉の痛みくらいは喉飴で治るのではないか。とりあえず会社の帰りにドラッグストアに寄ってみたが、ぺラックを買うべきか、喉飴を買うべきか分からない。そもそも喉飴は単なる食品である。普通の飴でもいいのではないか。しかもドラッグストアにはトローチという選択肢もあり、こちらは医薬品である。決めきれないままレジを見ると行列ができており、面倒くさくなって何も買わずに帰ってしまった。

自宅に帰ると普通の飴すらなかった。しかも時間が経つごとに喉が痛くなる。痛さのあまり眠れない。後悔しても遅すぎる。午前3時に眠れない頭を抱えて風邪薬のパッケージを見ると、風邪薬にはぺラックと同じ成分が入っていた。風邪は治ったはずだが、それでも風邪薬を飲んだところ、やっと午前4時半過ぎに寝られた。明日はぺラックを買おう。

木曜日、ぺラックを買って帰り、満を持してぺラックを飲んだ。前夜は数時間しか寝ていないので早々に寝たが、それでも2時間後には起きてしまった。この日も喉が痛くて眠れない。ぺラック飲んだのに。午前3時に眠れない頭を抱えて風邪薬のパッケージを見ると、ぺラックの鎮痛効果は低いようである。風邪は治ったはずだが、残っていたバファリンを飲んだところ、1錠では効かず、2錠目を飲んだ後、やっと午前4時半過ぎに寝られた。明日はロキソニンを買おう。

金曜日、2日間たいして寝ていないまま会社に行った。ここまでくると会社にいても違和感を感じない。毎日この状態だと、会社に行ってもストレスが減って健康的なのではないか。しかし夕方になると耳の付け根のあたりが痛くなってきた。週末に近所のクリニックに行った方がいいのではないか。

事態の深刻さを認識したのは金曜の夜だった。週末なのでバーに行ったところ、あまりにもアルコールがきつすぎてウイスキーのストレートが飲めない。薄めの水割りにしてもらって、やっと飲用可能な液体になった。毎日この状態だと、酒量が減って健康的なのではないか。しかし香りも味もわからない。明日は耳鼻科に行こう。

専門医に診てもらったところ、かなりひどい状況らしい。鼻からカメラを入れられて画像を見せられたが、膿がたまっていた。耳には水がたまっていて、中耳炎だそうである。大量に薬を処方されて帰った。

最近、どうも病気になりやすい。睡眠は十分にとっており、ストレスも大してなく、病弱でもないつもりだが、かなりのペースで病気になり、怪我もする。

あまり意識したことはなかったが、これが本厄ということなのだろうか。

春にギックリ腰になったあたりから、知り合いのオッサン達と厄年の話をしているが、そもそも本厄の定義が人によって違う。本厄になる誕生日からカウントする説と、誕生日を迎える年の1月1日からカウントする説がある (しかも1月1日の定義も、カレンダー説と旧暦説がある)。

11月が誕生日なので、前者の説では本厄は始まってもいないが、後者の説では本厄は半分終わっている。どちらが正しいのだろうか。オッサン達を問いただしても、人生は長いので半年位どうでもいいだろうと言われ、あるいは気に病むほどの違いでもないと言われる (こういう無責任な発言をするのは後厄まで終わったオッサンである)。

本厄の真実についてはわからないままだが、コップに半分しか水がないと思うか、コップに半分も水があると思うか、という話に似ている。僕の場合、基本的に後ろ向きな性格をしており、コップに半分しか水がないと思いがちである。

災厄はこれからだ。

あいづのおもいで

2月のある夜、バーで飲んでいると知人から焼肉の写真を見せられた。薄い肉を囲炉裏で軽く焼き、しゃぶしゃぶのタレで食べるらしい。昨年、この知人の紹介で行った会津の温泉旅館だった。

囲炉裏と日本酒と会津牛、そして温泉。悪くない組み合わせである。僕も会津へ行こう。

冬の会津は寒い。囲炉裏だから寒い時期がふさわしいのだろうが、寒いのはイヤだ。しかも冬にはSLが運転されていない。

たぶん会津はゴールデンウィーク前後にならないと暖かくならないのではないか。しかしゴールデンウィーク前の会津は桜の時期で混んでおり、ゴールデンウィークそのものも避けたい。結局、梅雨前の5月中旬に行くことにした。

そういえば会津に行ったのは去年も5月中旬だった。1年たっても同じことをしている。

この1年を改めて振り返ってみると、毎日毎日が判で押したような生活である。

朝起きてイヤイヤながら会社へ行き、昼休みにはデスクで昼寝をし、夕方に帰宅して本格的に昼寝をする。なんとなく起きだして夕食を食べ、ウダウダとネットを見ていると深夜になっている。そして翌日もイヤイヤながら会社へ行く。

木曜日には近所のバーに行き、金曜日には実家近くのバーに行き、土曜日には銀座のバーに行く。日曜日には二日酔いしており、気付くと笑点の時間になっている。そして気が重くなる。

そんなこんなで一週間が終わり、気付くと次の週も終わり、再び気付くと翌月になっている。メリハリも緊張感もない日々。

そして1年後、同じ時期に同じ会津の旅館に行っている。しかも会津では同じ蕎麦屋を再訪しており、同じ鉄橋へ撮影に行き、そして去年と同じくSLに乗って新潟経由で帰った。

これからの一年間も同じような日々を過ごし、たぶん来年も5月に会津へ行って同じことをするのだろう。向上心も緊張感も進歩もないオッサンの、判で押したようなダラダラ人生。

ここまでくると様式美の世界である。歌舞伎、庭園に続く日本の美として、ダメオッサン人生を極めてみよう。