すりらんかこくてつのおもいで

僕は鉄道の旅が大好きだ。

数年前、たまたまスリランカ国鉄の記事をネットで読んだ。アジア随一とも言われる絶景の中をボロボロの列車が走っているらしかった。

そして、スリランカ最大の都市であるコロンボの中央駅が「フォート」という駅で、このコロンボ・フォート駅も絶品らしい。1917年の開業から大して進歩していなさそうな駅舎、雑然としたプラットフォーム、シンハラ語の看板。

鉄道の風情とは端的にいうとボロさであり、近代化の対極にあり、現代社会では絶滅の危機に瀕している。この国鉄こそ、僕がスリランカに行きたかった最大の理由である。

昨年、スリランカ行きを挫折した時は南部のゴールという街を最終目的地にしていた。コロンボからインド洋に沿って南下する路線に乗ることになる。この路線は全席が自由席らしい。スリランカ国鉄は混雑することでも有名なようだが、荷物を抱えているのに予約できないのは、スリランカ初心者にはハードルが高い。僕は日本でも自由席というコンセプトが苦手である。ましていわんやスリランカをや。

今年は紅茶の産地であるヌワラエリヤを最終目的地にしてみた。こちらはジャングルと茶畑を抜ける山岳路線である。運転本数が限られているせいか、はたまた乗車時間が長いせいか、ヌワラエリヤ方面の列車には指定席車両があって予約できるらしい。これなら自由席が苦手な僕でもなんとかなるのではないか。

コロンボからヌワラエリヤまで、時刻表では約6時間ほどの旅である。イギリスのサイトによると、車両としては、旧型の赤い車両と、新型の青い車両があるらしい。近代化の対極に風情を感じる僕は、迷わず赤い車両の列車を予約することにした。

近代化の対極にあるスリランカ国鉄には、ネット予約という考え方はないようだ。ただしスリランカの携帯電話を持っていると予約が取れるシステムが構築されているようであり、予約代行してくれるサイトがあった。ネットで予約のリクエストを入れ、Paypalで支払い。便利な時代である。

しばらくするとチケットの正式な発売日になって、予約が取れたとメールが届いた。とはいえ、スリランカ国鉄からの予約確認ではない。スリランカ人のオッサン (たぶん。イケメンとか美女ではないと思う) が「俺が携帯で予約を入れたので、予約番号とパスポートを持って駅にチケットを取りに行け」と言っているだけである。やや心もとない。もっとも自分でスリランカ国鉄に予約を入れたとしても、実際のところ心もとないのだが。自分も他人も大して信用していないココロの寂しいオッサンなので、念の為、前日にチケットを取りに行った。

当日、ワクワクしながらフォート駅へ向かった。行きは9時45分にコロンボを出て、15時55分にヌワラエリヤの近くのナヌオヤに着く列車だった。1日が移動のために潰れてしまうが、そもそも列車に乗りに来たようなものなので問題ない。

赤い車両は確かに古かった。僕が乗ったのは1等の展望車である。事前の情報通りに列車は混んでおり、2等や3等の自由席は満員で立っている客もいる。1等は1両しかなく、乗車口でチケット確認があって隔離されている。ソフトシートとでも呼ぶべき座席だったが、シートは破れていた。しかも、トイレのドアの閉まりが悪いせいか、風向きによっては臭い。

そんなボロい列車はゆっくり走っているが、ひどく揺れる。しかも半分以上が単線区間であり、かなり遅れた。それでも景色は素晴らしい。ジャングルを抜け、峠を越え、そして茶畑を抜けていく。開け放した窓の外にはスリランカの大地が広がっていた。結局、1時間ほど遅れてナヌオヤに着いた。

雰囲気的に更に良かったのは帰りの列車だった。時刻表では、13時50分にナヌオヤを出て、コロンボには20時53分に着く列車である。

30分ほど遅れてナヌオヤを出発した列車に乗り、午後の一時を茶畑を見ながら過ごす。午後の紅茶である。風景は夕暮れのジャングルに変わり、気付くと列車は時刻通りの運行になっていた。ところが真っ暗な山の中で対向列車を待つうち、再び遅れ始めた。最高で1時間半ほど遅れたのではないだろうか。山岳地帯を抜けると、スリランカ国鉄とは思えない迅速なスピードでコロンボに向かって進んだ。コロンボ到着は40分ほどの遅れだった。何かのイベントだったのだろうか、列車がコロンボに到着すると花火が上がっていた。

新幹線もオリエント急行も素晴らしいが、こんな列車の旅も素晴らしい。

ぬわらえりやのおもいで

スリランカはカレーの国である。シンガポールからスリランカ航空でコロンボに向かったのだが、ライスと言われて渡された機内食は、のし餅のような白い物体とカレーだった。ただし餅と言うには微妙な粒感があり、なんとなく山芋か梨の切断面に近い。

食べてみると、冷えていて味がない。米の甘味も感じられない。スリランカ文化を理解していないまま飛行機に乗ってしまったので、僕にとっては正体不明の食品だった。釈然としないまま、つけあわせのヨーグルトとフルーツだけ食べて飛行機を降りた。日本文化に関心のない外国人がJALやらANAに乗って、おにぎりが出てきたら、こんな気分になるのだろうか。

こんな事ではスリランカに来た意味がないと思い、コロンボで地元料理店に行った。スリランカ人が普通に行くような、手でカレーと米を混ぜて食べる店である。

一度、シンガポールのリトル・インディアでカレー屋に行ったことがあるが、そこではスプーンが出てきたし、辛さをマイルドにしてもらった。それ以外のカレー体験は、ココイチとカレーの王様が関の山である。手でカレーを食べるのも、本場のカレーを食べるのも初めてだ。

コロンボの地元料理店と言っても、英語メニューのある店に行ったのだが、スプーンを使うか聞かれもしなかった。実際、他の客は誰もスプーンなど使っていない。郷に入れば郷に従え、だろう。隣のテーブルの人を参考にして、カレーと米と具材を手で混ぜた。結果、手で食べること自体には抵抗なかったが、うまく混ぜ合わせられない。現地の人はうまい具合に手で固めているが、ぼくはポロポロのままである。おにぎりとは米の握り方が違うようだ。もしかすると先程の機内食の微妙な粒感は、手で固められた米粒を模したものではないだろうか。

カレーの辛さについても聞かれもしなかった。スリランカでは標準的なカレーということだろう。しかし僕には辛すぎた。頭に突き刺さるような、ストレートな辛さである。スリランカにバーモントカレーはないのだろうか。普段は気に留めていないが、リンゴと蜂蜜が愛おしい。早々にカレーはギブアップして、米と具材だけを食べて店を出た。

今回の旅の目的地としては、スリランカのヌワラエリヤという町だった。この町にあるイギリス紳士クラブ流儀のホテルに滞在していたのだ。スリランカの山奥のくせに、19時以降、メインダイニング、メインバー、それに読書室ではジャケットとネクタイがドレスコードとのことである。

このホテルでは完全に英国生活である。朝食はイングリッシュ・ブレックファースト、夕食はコース料理。フォークとナイフは潤沢に供給されるので、手で食べるのはパンだけである。このホテルに地元カレーの出番はない。

ヌワラエリヤでは朝晩の食事はホテルで済ませ、昼間は紅茶工場の見学に行ってケーキを食べながら紅茶を飲み、そして午後の早い時間からホテルのバーに入り浸っていた。結果的に地元のレストランには行っていない。

最初の機内食は早々に諦め、1回だけ行ったスリランカ料理店は途中で挫折し、あとは英国式の食事ばかり。これではスリランカ文化にふれたとは言えない。そんな反省をもとに、帰りのフライトでは例のカレー機内食を再チャレンジした。せめて1度くらいはスリランカ料理を完食したい。

例の白い物体については、正しいか否かは別として、何となく想像がつくようになったので抵抗はない。スプーンが無くても大丈夫そうだが、機内食なのでスプーンはついていた。問題はカレーである。機内食だから多少はマイルドかと思いきや、そんなことはなかった。コロンボの食堂と同じく、ストレートな刺激が頭に刺さった。たぶん胃腸も刺激していることだろう。

機内では頑張って最後まで完食したが、シンガポール到着後、結局おなかを壊した。やっぱり辛いものは苦手である。再びスリランカに来るとしたら、まずはカレー対策を考える必要がある。

(前回のスリランカ記事)

GW特別読み物:味覚

もう10年以上前になるが、大した理由もなくポルトガルに行った。なんとなく「大航海時代」という言葉に惹かれたのもあるが、当時、マスターカードのテレビ広告にリスボンのケーブルカーのシーンがあったのだ。サンフランシスコを筆頭に、ケーブルカーのある町は魅力的に思える。

以前に働いていた会社を退職した直後だったので、1月だったと思う。ロンドン経由で遅い時間にリスボンに着いた。

早速、ホテル裏の丘を走っているケーブルカーを見に行った。写真を何枚か撮り、とりあえず初日は終了。ホテルに戻った。

ポルトガルまで行けば冬でも暖かいと思い込んでいたが、1月のポルトガルは寒かった。幸か不幸かホテルは重厚な石造りの建物である。しかもオフシーズンのせいか客が少なく、閑散としていた。そういう建物は良く冷える。

翌朝、といっても昼頃に起きると、スチーム暖房を全開にしていたにもかかわらず、体の芯まで冷えきっていた。とりあえず部屋でコーヒーでも飲もうかと思ったが、部屋にコーヒーメーカーは付いていなかった。

暖かいものを飲み、ブランチをしようと思い、街へ出た。ポルトガル人で混雑していたカフェに入る。メニューはポルトガル語のみであり、なんとなくメニューが解読できたパスタを食べた。これが妙に塩辛い。飲食店には当たり外れがあり、知らない街では失敗する確率は高い。

午後から街歩きを始めた。リスボンにはケーブルカーが数路線あり、一通り見に行った。

街を歩いていると、スーパーがあった。ちょっと覗いてみると、干しタラが目につく。スペインの生ハムみたいに、天井から吊るして売っている。この店は干しタラで有名なスーパーなのだろうか。よくよく街を眺めると、食料品店には多かれ少なかれ干しタラが置いてある。

夕食は「本格的ポルトガル料理」とガイドブックに出ていた店に行ってみた。ここには英語のメニューがあり、ウェイターも英語が話せる。おすすめ料理は干しタラとの事だった。

街中で干しタラを売っているのである。干しタラを食べねば済まないだろう。しかし、この店も妙に塩辛い。何を食べても塩味が濃いせいか、食後には塩味しか残っていない。それ故なのか、デザートが妙に甘い。あまり満足できないまま、冷えきったホテルに戻った。実質的な初日にして、既にポルトガルが嫌いになっていた。

その後、田舎町を経由しながらポルトまで北上した。どの店に入っても塩辛いし、どのホテルに泊まっても寒い。食事が苦痛になった。早くポルトガルから脱出したい。

ある日、外食を諦め、食料品店に夕食を買いに行ったところ、そこでも干しタラが山積みになっていた。山奥の田舎にもかかわらず、食料品店の軒先は潮の香りがした。

そして気付いた。ポルトガルの味覚の根源は干しタラではないかと。バカラオと呼ぶらしい、塩漬けにして干したタラである。本格的ポルトガル料理の食材である干しタラ (と塩味)。スープの出汁にもなる干しタラ (と塩味)。ポルトガル人のDNAの中に組み込まれた干しタラ (と塩味)。

結局、ポルトガルの思い出は塩辛いまま終わってしまった。文字通り塩辛いだけでなく、まさに塩辛い旅だった。