めきしこしてぃーのおもいで

今回、キューバにはカナダ経由で行き、メキシコ経由で帰ってきた。マイルを貯める関係上、スケジュールだけで航空券を取れないのである。しかも航空券の関係でカナダとメキシコに入国する必要がある。

二年半前は往復ともにカナダ経由でキューバに行ったが、帰路のカナダ入国時に資本主義体制に楔を打ち込むスパイ工作員のような扱いを受けたので、今回は比較的無難だった往路だけをカナダ経由にした。

過去に4回ほどキューバ絡みでカナダに入国しているが、往路のカナダ入国審査時にキューバへの乗継と申告した上、キューバからの復路でもカナダに入国すると申告すると、往路の時点でカナダ当局のリストに載ってしまうようである。今回は復路メキシコ経由と申告したので、特に問題なく入国できた。実際、入国審査官も「帰りにカナダに来ないなら問題ない」と言っていたし。日本を出たばかりの僕は低リスクだが、キューバ帰りの僕はカナダに害悪をもたらすリスクが高いのだろうか。いまいち分からないリスク分析だが、多少なりともカナダと僕との溝は縮まったようであり、喜ばしいことである。

キューバからメキシコ経由で帰国といえば、一般的にはカンクン経由なのだろうが、今回はチケットの都合でメキシコシティ経由になった。僕の第二の故郷であるメキシコの首都である。前回のメキシコ入国は、ガラガラの早朝便で小規模空港に着いたので楽だったが、今回は首都の空港なので利用客も多い。

メキシコシティでの入国審査は待ち時間が長かった。一つの審査ブースに複数の入国審査官がいて、勤務中の審査官の数からすると、開いているブースが半分程度で効率が悪い。しかも思いのほか厳格に審査しているらしく、審査の所要時間も長い。それでも便利な日本パスポートのおかげで、僕の審査自体は実質的にスルーだった。

やっと入国審査を突破したが、ハバナからのフライトの荷物は離れた場所に出され、しかも検査対象のタグがつけられている荷物が異様に多い。僕の荷物も開披検査に引っかかってしまった。

そのまま税関職員に検査場へ連れて行かれる。僕に検査場入口で待っているように指示し、その人は去っていった。彼は税関職員だが、検査官ではないようだ。そして検査場には検査官がいない。メキシコ税関も効率が悪い。

メキシコ政府が効率悪く運用されているのか、メキシコそのものが効率の悪い社会なのか。僕の第二の故郷は何とかならないものだろうか。今回のメキシコシティ滞在は一晩しかなく、早々に街に出たい。

結局、税関検査では荷物を全て開けられた。不正行為を行っているわけではないので堂々としていればいいのだが、こういう時の無難な態度というのは良く分からない。怯えたふりをすれば間違いなく怪しまれるし、慣れたふりをして常習者だと思われるのもイヤだ。

いずれにしてもカナダのように徹底的に調べられる事はなかった。スパイ候補というよりも、ケチな密輸者候補くらいの扱いだった。僕みたいな小者には妥当な線であり、効率は悪いが判断は妥当と言える。効率は良いが判断に難のあるカナダとは真逆だが、結果的には同じくらいの時間を浪費した。入管と税関のせいで空港を出るのが1時間ほど遅くなり、ついでに金曜夕方の渋滞にハマってしまい、ホテルに着いたのは予定よりも1時間半くらい遅くなってしまった。

はじめてのメキシコシティだったのだが、タクシーから窓の外を見ていると、なんとも言えない寂しさがある。ハバナと比べると豊かな都市ではあるのだが、ハバナで感じたような、ダメなりの明るさといったものは一切なく、むしろ陰気でハードボイルド的な暗さである。

とりあえずホテルに荷物を置いて、早々に街へ出た。メキシコの中心であるメキシコシティにあって、メキシコシティの中心と言われるソカロ広場へ行った。これで第二の故郷に里帰りしたと言えるだろうか。この広場でメキシコ国旗の下に立って周囲を見回すと、たしかに僕はかなり馴染んでいる。

ソカロ広場に隣接する大聖堂を見てから、夕食のレストランに行った。マリアッチが聞けるレストランを予約していたが、調子に乗って機内食を食べすぎてしまったのと、キューバで疲労困憊になってしまったので、たいして食欲はない。

食事も終わりかけ、待ちくたびれて飽きた頃になって、やっとマリアッチが始まった。キューバの明るく弾けるような音楽と比べると、マリアッチは暗くて内省的だった。

やっぱりメキシコは僕の故郷なのだろう。

夏休み特別読み物:沿岸急行船

もう10年くらい前になるが、ある日、テレビを眺めているとノルウェーの貨客船の番組をやっていた。沿岸急行船と呼ばれる航路である。南部のベルゲンから北部のキルケネスまでのノルウェー海沿岸を片道6日程かけて航行している。冬に乗るとオーロラが見られることで有名らしい。

僕が興味を引かれたのは、ノルウェーの厳しい自然の美しさ、そしてノルウェー海沿岸の小さな街である。船でグダグダしながら、その美しい自然や小さい街を眺められる。

船旅をしたことはなかったが、往復の航空券と船の予約さえ取れれば、あとは船に乗っているだけの筈である。寄港地ごとにエクスカーションがあったりするので、興味があるコースを適当に申し込めばいい。目的を持たない旅行をしがちな僕に相応しい。

貨客船と書いたが、船の1つの側面は地元の重要な生活路線である。ハードボイルド小説に出てくるような最果ての町に、人や物資を運んでいる。停泊中には下船できるので、一生のうち二度と行かないような街をフラフラと散策もできる。

そして、クルーズ船でもある。船にはレストランの他、ラウンジやバーもある。レストランではコース料理が出てくる。

とはいうものの、豪華なレストランやバーがある訳ではない。レストランのコース料理は、サーモンだったり、トナカイだったりと、ノルウェー料理が中心である。たまにイベントが行われるほかは、全体的に極めて地味なクルーズ船である。

目の前にはノルウェーの海岸と荒々しい自然が広がっており、ジャガイモが主原料のアクアビットというスカンジナビアの蒸留酒を片手に景色を見ていれば、飽きることはない。

基点のベルゲンは古くからの港町である。埠頭の一角には、ブリッゲンというハンザ同盟のオフィス・倉庫街が残っている。

終点はキルケネス。北極圏にあるロシア国境の町だ。沿岸急行船はキルケネスで折り返してベルゲンに戻る。

僕は5月にキルケネスからの南航便に乗った。キルケネスあたりでは雪が降って冬の様相だったが、南に下るにつれて春になっていった。ベルゲンに着く頃には、山の緑が美しい。気候が穏やかになると共に、地形も穏やかになっているようだ。

航路の途中にロフォーテン諸島という美しい島がある。船を降りて数日滞在したいような美しい場所なのだが、日程の関係でそうもいかず、バスツアーに参加した。

ロフォーテンではタラ漁が有名だそうである。行った時は漁の時期ではなかったのだが、海沿いにはタラを干す棚がいくつも設置されていた。主な輸出先はポルトガルであり、その貿易のルーツはハンザ同盟時代に遡るらしい。

北欧の最果ての島で高校の世界史で得た知識がよみがえった。授業中に寝ていただけではなかったようである。そして、その北欧の島で、思いがけずポルトガルでの塩辛い記憶がよみがえった。

きゅーばいなかのおもいで

今回のキューバ旅行の目的の一つは田舎に行ってみることだった。ハバナを飛び出して、見聞を広げてみようと思ったのである。

ハバナを8時過ぎに出る外国人用バスに乗って、世界遺産の街であるトリニダーを目指した。車窓を眺めていると、ハバナの高速入口、また高速の路肩に現金を見せながら手を上げているキューバ人が大勢いる。乗り合いできる車を探しているようだ。

早速、僕の見聞を広げるチャンスである。この光景を見ながら、キューバが抱える経済問題について思いを巡らせた。

表面的には需要を満たすだけの公共交通が供給されていないことになる。発展途上国では起こりがちな風景だ。キューバ人が使う長距離移動手段としてはOmnibusという国営バスがあるが、路線やスペース供給の面からは不十分らしい。補完手段としてトラックを改造したCamionと言われる車両もある。OmnibusとCamionが大量輸送手段に分類できそうなもので、あとは乗り合いタクシーとヒッチハイクらしい。

大量輸送手段の不足は、キューバの場合には計画経済の限界とも考えられる。需要に見合った生産・供給計画を立てて実行するのが国家の役目であるにも関わらず、需要に応じた計画が実行されていない。そもそも計画経済自体が部分的にしか機能していないように見える。

そこから少し掘り下げてみると、経済的に国が貧しいという以外に、アメリカの経済制裁の影響がある。キューバではバスを作れないし、国外からバスを導入する外貨が不足している。それにもかかわらず、バス生産国である隣国からバスを輸入できないため、バスの調達コストが上がり、結果的に大量輸送手段の供給に支障が出る。経済制裁の政策的な目的としては、そんな現実に対するキューバ人の怒りがキューバ政府に向かい、結果的に政権交代を促すというところだろう。50年以上たっても政策目標を達成していないにもかかわらず、延々と実行されている奇特な政策である。いまや手段が目的化しているのだろう。

教科書に書いてあるような理屈だが、高速道路上でビジュアル化されると、現実の問題として迫ってくる。しかも根本原因がカール・マルクスとフィデル・カストロとジョン・F・ケネディである。なかなか深い話だ。

ちなみに外国人はOmnibusには乗れないので、僕は別の国営企業が運行する外国人用バスに乗らざるをえない。外国人用バスはOmnibusの約10倍以上と言われる料金である。料金そのものは明確だが、算出基準が不明確な外国人向け価格だ。自費診療で歯医者に行くようなものだろうか。計画経済と経済制裁が僕の財布を直撃している。

移動に苦労しているキューバ人は間違いなく不幸だが、ある意味、外国人用バスでノホホンとしている僕も不幸なのではないか。やりきれない想いが残るキューバの高速道路である。

一方、この風景を単純にモデル化すると、移動したい「需要」があり、空いたスペースを持つ車の運転手によってサービスの「供給」が行われ、高速道路という「市場」で取引されているという事になる。経済学の最初のテキストに出てきそうな市場モデルである。うまくいっていない計画経済の先にある、シンプルな資本主義。パラドックスではないだろうか。

そんな高速道路を通って、シエンフエゴスという港町経由でトリニダーに着いた。バスを降りると自転車タクシーの客引きがいて、それに乗ってB&Bに向かった。

昔、ヨーロッパ文化圏だった世界遺産の街は大概が石畳になっているが、トリニダー旧市街の石畳はスペイン統治時代のままなのか、そこらのヨーロッパ都市よりも路面が石っぽいというか、デコボコが激しい。自転車の運転に優しい路面ではない。自転車兄ちゃんは途中で運転を挫折、荷物運び兄ちゃんになっていた。

そして僕は結果的に歩かされている。これをタクシーに乗ったとは言わないのではないだろうか。そもそも外国人料金をふっかけられている挙句、どうせ全額をキッチリ取られるのだ。やりきれない想いで、兄ちゃんの後について炎天下のトリニダーを歩いた。

このパラドックスから何か見聞を広げられるだろうか。キューバにおける二重タクシー料金問題とか、人生の矛盾とか。タクシーに関しては外国人料金の相場も、ボッタクリにあう確率も過去5年で確実に悪化している。僕の人生の矛盾も過去5年で確実に悪化している。

しかし暑すぎて何も考えたくもない。だまって金を払う。荷物を持ってくれてありがとう。人生については自分で何とかしてみようと思う。

B&Bに荷物を置いて、トリニダーの街を歩いた。とりあえず地図を見ながら歩いてみるが、思いのほか街が小さく、かえって地図上では分かりにくい。しかも例の石畳は人間の歩行も困難にしているようで、足元に気を取られたせいか、場所を確認したかったライブハウスの前を3度も通り過ぎ、道に迷った。おかげで着いた当日には旧市街の様子が一通り分かったのだが。

このトリニダーからは観光用の列車が走っている。以前にテレビ番組で見たときはSLだったが、いまはディーゼル機関車が古い客車を引っぱっている。この列車に乗ると、世界遺産のイスナガという村と、その先のフェネタという村に行ける。道に迷っているうちにトリニダーの旧市街を見てしまったので、翌日は列車を乗りに行った。ハーシートレインは運休していたので、今回の旅行で唯一の鉄道乗車である。

キューバの田舎を、ほぼオープンエアの古い客車に乗って旅する。僕が乗ったのは観光用の列車だが、普通の生活路線でもあり、たまに集落をかすめる。あとは農場か原野である。農場を見ていると、いまだに馬も牛も重要な動力源になっているようだ。たぶん生産性は低い。ここでもキューバ経済は上手くいっていないように見える。

イスナガには塔や古い豪邸があって時間も潰せるが、フェネタには大して見るものがない。駅の横には昔の製糖工場が残っているが、入場料を払ってまで工場の跡地に入る気にはならず、フラフラと近隣の集落を歩いた。

のどかな集落で、家の庭にはマンゴーの木があったりする。交差点にはバス停があり、ちょうどバスが通った。トラクターで荷車を引いているだけのバスである。その他は小さな食堂とコーヒースタンド位しか見るものがない集落だった。これがキューバの田舎の日常風景だろう。ハバナの薄暗い路地を見てキューバを見た気になっていたが、それだけではないのである。やっと見聞が広がった感じがした。

結局、僕にとっての見聞とは、知識でも理屈でもなく、状況の分析やモデル化でもなく、ありふれた日常を見ることに尽きる。ハバナから約350km、キューバの田舎まで旅をして、ようやく小さな自己理解に至った。思えば無意味に遠い道のりである。見聞を広めようなどと思って旅に出るのは良くない。トルコに行った時、目的を持って旅行先を決めるのはやめようと学んだはずだったのだ。相変わらず僕は失敗から学んでいないようである。