にっこうのおもいで

学生時代に5年ほどアメリカに住んでいたが、帰国したら実家が台東区に移転しており、いまや台東区民歴が人生で一番長い。

そうは言っても昼間は会社で働いているし、最近は横浜との二重生活である。僕にとって台東区とは週末に飲酒をする場所である。

そんな僕ではあるが、COVID-19による在宅勤務期間は実家で過ごしていた。名目上は勤務時間なので昼間から飲酒するわけにはいかないが、ちょっと散歩に出る時間くらいはある。

約20年の台東区民歴にもかかわらず、今回ステイホームになるまで、上野公園にある東照宮輪王寺には行ったことがなかった。

在宅期間中、昼は散歩に出るようにしていたのだが、漫然とウロウロしても面白くない。ゴールを上野東照宮と定め、毎日のように上野公園を一周していた。

東照宮と輪王寺と言えば、よくよく考えると日光の東照宮と輪王寺にも行ったことがない。渡米前は墨田区に住んでおり、昔も今も東武浅草駅へは簡単に行ける。浅草からスペーシアに乗れば、一気に日光へ行けるはずなのだが。

緊急事態宣言の解除後、フライング気味に日光へ向かった。

梅雨の合間の日曜日、朝一番の特急で日光を目指した。政府からの県外移動の自粛要請を無視するような、不要不急なダメオッサンしか乗っていない。スペーシアではない新型の特急電車だったのだが、ガラガラである。

まずは東武日光駅からバスで東照宮に向かった。チケットを買うために少し並んだのだが、それは開門前に着いてしまったからで、別に混雑していたわけではない。ガラガラである。

ほぼ2時間、じっくりと東照宮を見学することができた。ちょうど大改修が行われた後なので、非常に豪勢で美しい。

東照宮から歩いて輪王寺に向かった。地味な寺を建てろとの徳川家光の遺言だったらしいが、かなり派手である。さすがに生まれながらの将軍はスケールが違う。

輪王寺では要所要所に解説がつく。人出も少ないし、ラッキーだと思った。予習なしで来ているので、歴史背景などを教えてくれるのは助かる。

しかし物販がすごい。

今しか買えない御守。特別な祈祷なので、一生効果が続く破魔矢。疫病退散と関係あるらしい特別な御札。

つまりは限定品とコスパとCOVID-19対策である。夜中に民放BSでやっているテレビショッピング番組と本質的には大差ないのではないだろうか。

かくもテレビショッピング的な日光・輪王寺ではあるが、東武特急や東照宮と同じく、やっぱりガラガラなのである。

観光客で混んでいたCOVID-19以前の日光であれば、輪王寺の解説ショッピングは、眠れない夜に見るテレビショッピング程度なのだろう。なんとなく興味がある部分だけ見るような、でも特に何かを買う気もなく、しかし気付くと発注している。

一方、その日の僕はテレビショッピングのスタジオに来てしまった観客と同じだった。逃げ場はなく、退路を封じられているのである。興味あるフリをしないといけない。リアクションもしないといけない。最後は食傷気味になった。

東照宮に祀られている徳川家康は、神になって関八州を守ると遺言したらしい。

僕は県外移動自粛要請を無視して日光に行ってしまった。関東に害をもたらすような行動をしたダメオッサンである。

東照大権現の罰を受けたような気分で日光から東京に戻った。

おきなわのおもいで

遊びのような福岡出張の翌週は那覇に出張だった。別に狙ったわけではないが、那覇も木・金曜の日程である。

仕事は金曜日の昼過ぎには終わるので、離島に行ってみたいと心が動いた。ちょっと調べてみたが、沖縄といえども2月は寒いらしい。冬の温泉は良いが、冬のビーチはイマイチなのではないだろうか。2週連続という面倒くささもあり、自分の中での妥協として、週末の小旅行は見送った。

那覇に着いてみると、2月なのに最高気温は27度だった。しかもアホみたいに晴れている。

うーむ。こんな日に沖縄で仕事をする意味はあるのだろうか。このままフケてしまおうかと思ったものの、空港で出張先のオッサンに回収されてしまった。

ソーキそばを奢ってもらってから打ち合わせを一件こなし、ホテルまで送ってもらった。次の予定まで2時間程の空きができる。

那覇の地図を眺めた。那覇にもビーチがあるらしい。

散歩がてら、歩いて海を見に行った。砂浜という意味ではビーチだが、目の前にコンクリート橋がある。僕の求めているビーチではなかった。近所にコンビニのようなものはなく、ビールも買えない。

手頃な妥協というのは禁物らしい。

その後は泡盛をガブ飲みしたり、二日酔いで打ち合わせに行ったりしたものの、出張自体は無難に終了。帰りの那覇空港で離島に向かう小型機を見ていると、やっぱり小旅行に行けば良かったと後悔を始めた。海を見ながらビーチでオリオンビールを飲みたい。

うーむ。いまさらチェックイン済みのチケットを諦めて離島に行くわけにもいかず、嫌々ながら羽田行きの飛行機に乗った。

その後のCOVID-19を考えると、やっぱり離島に行っておくべきだった。後悔先に立たたず。

僕が無理な日程での海外旅行を繰り返している理由の一つは、行けるときに旅行に行っておきたいということだ。旅行に行かなかったことを後悔するより、旅行に行ったことを後悔したい。

人生に手頃な妥協は禁物である。

ながさきのおもいで

GWの大半を寝て過ごした後、5月は全体的に不調だった。実家の自室で在宅勤務をしていると、どうにも息苦しい。集中力はズタズタだし、何かをしようとする意思も乏しい。

一方、たまに会社へ行くと、その日は復活していた。気分的に快調だし、集中力もある。仕事もはかどる。じつは僕は会社が好きなのだろうか。

出不精なのに閉所恐怖症であり、ずっと自分の部屋にこもって、デスクごしに壁と向かい合っているのが良くなかった。と思いたい。そうでないと、禁断症状の出た社畜になってしまう。

2月の遊びのような福岡出張の後、社畜ではない筈の僕が、金曜日に無理をして天草へ行ったのには理由がある。雲仙温泉にクラシックなホテルがあり、土曜の夜は雲仙に泊まりたかったのだ。

天草から雲仙まで、島原を経由する直線距離で見ると近い。しかし天草は熊本県、島原・雲仙は長崎県。熊本県と長崎県の間には有明海がある。実際の移動としては、熊本から佐賀経由で長崎まで、ぐるっと陸路で回らないと駄目なのだろうか。

あまり真面目に過ごさなかった学生時代を思い出すと、僕の天草に関する唯一の知識は天草四郎である。いわゆる島原の乱だ。

中心人物が天草さんだけど、島原の乱。現代でも繋がりは深いのではないか。

Google Mapを眺めていると、天草の鬼池港から島原の口之津港までフェリーがあった。あとは天草側で鬼池まで行くバスを探し、長崎県側もバスで島原から雲仙まで行けば良い。

僕は海外でバスに乗ることに苦手意識を持っているが、日本でも土地勘のない場所だとバスは難しい。バス会社サイトやらGoogle Mapと格闘した結果、本数は多くなかったが、天草も島原・雲仙もバスがあった。

当日は晴天であり、島原の穏やかな海岸沿いが気持ち良かった。そういえば、天草から島原にかけて、確かにカトリック教会が多い。

雲仙温泉で一泊。九州でも冬の温泉は空いていて良い。

雲仙からは直通バスで長崎市に向かった。以前に九州へ行った時も長崎訪問を検討したが、その時は見送った。改めて調べ直したが、普通の観光地では満足できなくなっているので、やっぱり長崎市内には興味はない。しかも去年の台風で桟橋が壊れたとかで、軍艦島には上陸できなかった。

色々と調べていたところ、池島という島を見つけた。昔の炭坑の島である。ここに廃坑を見学できるツアーがあるらしい。

長崎駅前からバスを乗り継いで1時間半ほど。最初は住宅地が続くが、長崎漁港を過ぎたあたりから風景が一変した。海岸線に沿うようにして、高低差の激しい道が続く。風が強く、曇りがちな冬の日だったこともあり、前日の穏やかな島原の海岸線とは大違いだ。なんとなくスコットランド北部を思い出す。

バスで神ノ浦という街に着き、港まで歩いた。そこから30分ほどフェリーに乗ると池島である。

帰路は池島から佐世保まで高速艇に乗り、そこから特急で博多へ戻る。夕刻の高速艇は乗客3人だった。小雨の舞う荒れた海。ちょっとハードボイルドな気分である。佐世保に着くと「あまくさ」という海上自衛隊の船が岸壁に泊まっていた。なんとなく美しい旅の終わり方だ。

天草から佐世保に行ったのは3か月半くらい前のことだ。COVID-19騒動があったせいか、もっと前のことのように感じる。こうなる前の世界、ということだろう。

日本のオフィシャルな緊急事態は先週で終わり。とはいっても、患者が減った以外は実質的に何も変わっていないので、自由に出歩けるようになるのは先のことだろう。

社畜ではない僕のアイデンティティを早い時期に確認したい。