2011/01/25 あむとらっく

しんコロを訪ねてシアトルにやってきた。

そしてシアトルからサフラまでは鉄道の旅である。鉄道といっても、新幹線やらTGVのような代物ではない。アムトラックという旅客鉄道公社が、貨物鉄道会社から線路を借りて運行している。シアトルからサフラまで飛行機で2時間半かかるところが、鉄道では23時間かかる。

列車は昼ごろにシアトルを発車した。昼食を食べて、部屋でウイスキーを飲みながらボケーっとしていると、ふと眠たくなる。2時間ほどウトウトすると夕食の時間である。部屋に戻って再びボケーっとしているとベッドメイクしてくれて、あとは寝るだけである。時間はかかるが、極めて快適な旅だ。

快適な旅ではあるが、面倒くささもある。社交性を求められるのだ。

なにしろ、3人以上のグループでない限り、夕食は相席になる。バーで隣に座った人と話すのも億劫な僕が、見知らぬ他人 (飛行機嫌いのオバサン画家、カリフォルニアの米作農家親子) と食事をしなくてはならないのだ。過酷である。

僕の人生と同様に他人の人生も大して面白くないし、飛行機旅行が嫌いな理由は基本的に万人共通である。米作には興味があるものの、米作を語るだけの英語力はないし (そもそも日本語でもよく分からないのだ)、連邦政府の農業政策についての知見は皆無である (日本の農業政策すら分からない)。

これが飛行機だと、隣の席の人が物好きでない限り、他人と話す必要はない。農業に対する無知を実感させられる必要もない。飛行機の旅にも、速さ以外に利点を見出すことができた。画家のオバサンに教えてあげないと。

2011/01/21 ひもじい

現代の都会人は「ひもじい」思いをするだろうか。

地震でも来ない限り「否。」と思っていた。街にはファミレスもコンビニもあり、ピザでも寿司でも配達してくれる。たしかにスーパーよりは高いかもしれないが、法外というほどではない。

が、しかし。

羽田から世界へなんてゴタクにのせられて羽田0時05分発のJALに乗った。0時発だから、22時過ぎに空港に着けば十分だ。21時半まで銀座でウイスキーを摂取してから羽田に向かった。

羽田国際線は深夜発着枠メインだから、22時過ぎでも空港は活気にあふれていた。深夜は死んだようになる成田とは大違いである。眠らない街、東京。千葉ではない。

羽田空港にはラーメン屋がある。焼肉屋もある。この前テレビで見たのだ。ラーメン・ギョーザ・ビールにするか、焼肉・ビールにするか。心が躍る。

が、しかし。

ラーメン屋も焼肉屋も22時で閉店だった。なんてこったい。

さらに、お茶漬け屋も、何もかも、飲食店は22時閉店である。唯一あいていたのは24時間営業のパブだけだった。

パブにはコールスローサラダなどという、人間は食べないようなものしかない。そんなのは食べる気がしないから、ビールを2杯飲んだ。

昼ごはんを食べたのは文字通り昼であるからして、この時点で空腹感を覚えていた。空腹感は酔いとビールの炭酸でごまかすのだ。おなかがすいていれば機内食も旨いはずである。

が、しかし。

機内食がコールスローサラダだったというわけではない。コールスローよりも格下のツナサラダだったというわけでもない。機内食がなかったのである。

厳密に言うと、食べものは出た。

おにぎり。

唐揚げとか玉子焼きのついている、おにぎり弁当ではない。しゃけのおにぎりが1個である。紙コップの冷茶をすすりつつ、正味30秒で食べ終わる。それだけ。

それからの6時間は地獄だった。狭いスペースで食欲も満たされず、横になることもできず、ひたすら耐えるのみ。

飛行機の中であるからして、空腹に耐えかねて暴れるとテロリスト扱いされてしまう。飛行機は飛んでいるから、ピザの出前を取るわけにもいかない。太平洋上にはコンビニもない。

現代の都会人も羽田発のJALに乗ると、ひもじい思いができる。

2011/01/13 はれ

貸切タクシーでバスや電車では行きにくい街を回ってみた。雨でもキャンセルできないので今日だけは晴れて欲しいと思っていたのだ。

2分間だけイタリアに行った。国境沿いに売店が一軒。イタリアのほうが酒もタバコも税率が低いので、フランス人がまとめ買いに行くらしい。ボーダーレスの時代というが、確実にボーダーはあるのだ。