さんとりーにのおもいで

昨年、久々にヨーロッパへ行った。日程に余裕があったので、短期旅行ではハードルの高い南欧のギリシャを目指す事にした。

実は初めてヨーロッパに行った時の目的地もギリシャだった。ロンドンでトランジット1泊、当時のフラッグキャリアであるオリンピック航空に乗ってアテネで入国したと記憶している。アテネの街を歩いていたら、来るべきユーロ導入についてテレビインタビューを受けたので、導入直前の1998年だったのだろう。約25年も前の話である。

その当時は高尚な青年であり、インタビューには極めて真面目に回答し、しかもギリシャ訪問の主目的は神殿遺跡の見学だった。ついで、もしくは物見遊山くらいの気持ちで、親に勧められたエーゲ海サントリーニ島にも行ったのだ。海より山が好きなタイプなので、あまり期待していなかったけれど。行ってみたところ、白壁の街とエーゲ海の組み合わせにハマり、無理やり数日延泊して島を巡った。

その後、昔のフィルムをデジタル化するまで忘れかけていたのだが、サントリーニ島滞在中、毎日のように夕焼けの撮影に行っていた。海を臨むギリシャ正教会の奥へ陽が沈むシーンである。今にして思えば、撮影を目的とした海外旅に出るきっかけになった場所なのだろう。

四半世紀の時を経て2回目のギリシャ訪問は、この教会をゴールにした。

おぼろげな記憶をたどって、サントリーニ島で約25年前に泊まったホテルを探してみた。初めて行く国の田舎に泊まるような旅行技術、あるいは度胸、もしくは根性を獲得する前であり、そもそもサントリーニ島には余り期待していなかったので、順当にサントリーニ島最大の街であるフィラに宿泊したと思う。街の中心部に近く、断崖にある白いホテルで、パティオからは海が望めた。

Google Mapを頼りに探してみるが、もちろん場所は分からない。記憶は曖昧すぎるし、それらしいホテルばかりなのである。

結局、今回はフィラの街から少し外れた宿を取った。上を見ればキリがないのがリゾート地だが、ヨーロッパの物価高と円安の影響もあり、オッサンのセンチメンタルより、予算的な縛りを優先せざるを得ない。

何の因果か、今回もロンドン経由である。朝に羽田を出る飛行機に乗り、こんな時代なのでアラスカから北極圏をかすめ、ロンドンに同日午後着。ロンドンでは英国入国せずに乗り継ぎ、深夜にアテネでギリシャ入国して1泊。最後に国内線でアテネからサントリーニ島へ向かった。かなり本格的な長旅である。

空港でピックアップしてもらい、フィラのホテルへ向かう。着いてみると、記憶にある場所からは相当に遠かった。フィラの中心地まで徒歩20分ほど、約25年前には街外れだったと思われるような場所だ。それでも前回とは違ってオーシャンビューの部屋である。

ホテルに荷物を置き、夕暮れ時になる前に、ゴールである教会を探しに行く。フィラの中心部あたりだと思って、海側から街を見ながら探すが、どうにも見付けられない。記憶が曖昧なのでギブアップしかけたが、Google Mapのおかげで見つけることが出来た。フィラの雑踏から外れた、静かな坂の途中が撮影ポイントである。

教会を見下ろす場所にバーがあって、ゴール到着を祝してビールで乾杯。たぶん店名も経営者も変わっていると思うが、約25年前にも同じ場所で撮影前後にビールを飲んでいた。何度か通ったせいか、しまいにはヒマなスタッフが撮影場所までビールをデリバリーしてくれていた。当時の僕は高尚な青年だったが、アル中予備軍でもあったようだ。

夕方、改めて教会を望む坂に戻った。約25年前は7月の訪問だったと思うのだが、今回は10月だったので太陽の沈む位置が異なっていた。写真的には前回の方が収まり良い。

この日は海上に雲がかかり、かつ手前の海にクルーズ船が多すぎて撮影に向かなかった。結果的に2日連続で通ってしまったが、3回も行かずに済んだだけマシだろう。おかげでサンセットを見ながら飲酒という、エーゲ海リゾートらしい過ごし方で、ギリシャ最後の夜を楽しめた。オーシャンビューの部屋をとった価値があったと言える。

空港でピックアップしてくれたドライバーに「25年ぶりに来た」と言ったところ、にべもなく「初めて来たのと同じだな」と言われた。ついつい「お前が鼻水たらしていた頃だろ」と言い返そうと思ったが、たしかに僕自身の記憶も非常に曖昧だったし、それが客観的な現実なのだろう。それだけ年を取ったのだ。

たしかに四半世紀は長い。高尚な青年は、世間のことが良く分かっていないオッサンになってしまった。ブヨブヨと腹は出てきたし、高尚さを通勤電車の網棚に置き忘れて久しい。想像通りの人生だったのは、立派な酒飲みになった事だけだ。これすら進化とは捉えがたく、全体的には著しい退化である。

それでも、このブログの根幹に立ち帰れた気がする。まがりなりにも同じ趣味を25年も続けられているのである。所詮は自己満足の世界だが、それはそれで素晴らしい。と思う。

オッサンにも自己肯定感が必要である。

参考写真

約25年前に撮影したサントリーニ島。中古で買ったCanon New F1というオートフォーカス非対応のカメラで、富士のVELVIAというポジフイルムを使用していた。この時代のデジカメは微妙だが、さすがにオートフォーカスはあった。やはり昔から偏屈だったのだろう。

むろどうのおもいで

今年の夏は異様に暑かった。エルニーニョらしい。それでなくても地球は温暖化しており、僕が子供の頃には気温が30度を超えたらニュースになっていたが、いまや35度を超えたくらいではニュースにもならない。

こんな気候では避暑の為に北上するのは考え物である。今年は北海道に行っても暑かったという話を聞いた。そうは言っても北極まで行けば寒い筈なので、間をとってシベリアあたりなら涼しい場所には行きつくのだろうが、昨今のロシア情勢からは難しい。

そんな今年の夏だが、富士山は登山口あたりで既に涼しかったらしい。もちろん北極でもシベリアでもなく、関東近郊と言って差支えのない、静岡とか山梨の話である。探せば国内にも涼しい場所は存在するのだ。平面的に北上するよりも、三次元的に上昇する方が涼しいのだろう。

そうこうしていると、ひょんなことから立山アルペンルート・室堂にあるホテルの予約をゲットすることになった。標高2450メートル前後なので、富士山登山口と同程度だろう。涼しい筈である。

ピークシーズンの室堂は予約が困難で、日程は変更がきかない。天候は運を天に任せるしかないが、避暑に来たと思えば外れはない。と思う。

諸々を天に任せた結果、ちょうど関東に台風が接近している日が出発日となってしまった。始発の北陸新幹線を予約しておいたので台風接近前に関東を脱出できたが、さすがに日本海側まで行っても快晴とはいかない。雨が降らなかっただけマシという事だろう。

富山でローカル私鉄に乗り換え、立山アルペンルートに沿って室堂を目指す。長野県側から吹きつける強風のせいで寒かった。チェックイン時間まで、小雨の中をウロウロ歩いて過ごす。その後は部屋で毛布にくるまってグズグズしていた。写真的には物足りないが、避暑としては完璧である。

これでも写真系ブロガーなので、翌朝は日の出前に起きてみた。しかし立山は雲の中である。前夜にはホテルのバーでウィスキー3杯ほど飲んだのだが、標高が高いと酒の廻りに影響するのか、二日酔いでもある。早起きをしても、良い事は何もない。気力なく早々とベッドに戻る。

昼前に改めて起きた。相変わらず曇っているが、このまま寝ていてもしょうがない。散歩に出かけた。

犬は歩くと棒にあたるらしいが、僕は雷鳥の親子に遭遇できた。これだけでも来た甲斐があると言っていいだろう。しかも午後からは天候も改善し始めた。翌朝は期待できそうだ。犬でも猿でもない僕は学ぶので、この夜はバーには行かずに就寝。

翌朝は快晴だった。カメラを持って、前日に目をつけておいた場所まで歩く。なかなかの朝焼けを楽しむことができた。

室堂は満喫したので、早々に下界へ降りることにした。途中、弥陀ヶ原で降りてトレッキング。それでも昼過ぎには富山駅に戻った。

富山駅の標高は7メートル程らしい。高度差2440メートルとすれば、計算上14.6度くらい気温が上がる筈で、実際に気温は32度もあった。東京から北上しているのに、大差のない暑さである。夕方の寿司屋予約時間まで、酷暑の富山をウロウロして時間つぶし。無駄に歩いているし、無駄に暑い。

やはり避暑のキモは標高であることが分かった。しかし、どうやら体を甘やかしたのが良くなかったのか、帰宅した翌々日から夏バテになった。酷暑に耐えていたのが一気に来たらしく、その後、10月中旬まで1ヶ月以上も不調が続いた。

慣れない酷暑と、慣れない避暑。オッサンが夏を快適に暮らすのは難しい。

ばんこくのおもいで

ラオスのルアンパバーンにはバンコク経由で行った。スケジュール上はバンコク・スワンナプーム空港で同日の乗り継ぎが可能だが、行きは5時間待ち、帰りは7時間以上も待たなくてはならない。日程に余裕があったので、帰りはバンコクに泊まることにした。

直近のバンコク滞在としては、モルディブへの乗り継ぎ待ちを利用して、昨年12月にフアランポーン駅へ行っている。早朝の古めかしい駅を眺めながら印象深い一時を過ごしたのだが、今年になってフアランポーン駅はバンコク中央駅としての機能を廃止してしまった。しかし廃駅になったわけではなく、普通列車の発着が僅かながら残っており、何本かは機関車牽引の長距離列車のようである。次回のバンコク滞在がいつになるか分からないので、再度この機会に見ておきたい。

宿泊を伴う本格的なバンコク滞在はCOVID-19前の2019年まで遡る。この時は25年ぶりくらいのバンコク滞在だった。仏教寺院を中心にまわったのだが、印象的だったのは市内の花市場である。こちらも再訪したい。

いまから30年ほど前に初めてタイを訪れた時から変わっていないのだが、どうにも僕はタイ料理が苦手であり、そのせいでタイ全体が食わず嫌いの印象になってしまっている。今回の旅行でも、特にタイについて何かを調べるわけでもなく、ラオスのついでのような気持ちで旅立った。

羽田から往路の深夜便は定刻にバンコク到着した。飛行機を降りた時点では決め切れていなかったが、やはり空港で5時間を潰す気にはならなかった。タイは食わず嫌い程度だが、空港で長時間を潰すのは明確にキライである。最後の最後、乗り継ぎセキュリティ入口でタイ入国を決断し、通路反対側の入国審査場へ向かった。

そんな軽いノリではあるが、帰りの航空券さえあれば、タイ入国は概ね問題ない。事前のオンライン申請も、紙の書類も不要である。ガラガラのイミグレーションを通過し、Grabで早朝の花市場へ向かった。

2019年の訪問時には花市場へ23時くらいに行ったと記憶しているのだが、その時と比べて活気が乏しい気がしなくもない。深夜がメインの市場らしいので、午前6時すぎでは少々出遅れているのだろうか。それとも単に僕が深夜便で疲れているのか、これがCOVID-19後の日常なのか。

やや拍子抜けしつつ花市場を一通り見てから、地下鉄でフアランポーン駅に向かった。駅のドーム中央には静態保存の蒸気機関車などが並べられていた。ベンチに座って見ていると、ボロボロの客車列車がやってきて、蒸気機関車の隣に入線。それはそれで面白い光景だが、わずかな列車が発着するだけなので、駅としての活気に欠けていた。予想していたことではあるが、やや興醒めである。

かなり不完全燃焼なまま、地下鉄とエアポートリンクで空港に戻った。数日後にはバンコクで一泊するが、こんなにも不完全燃焼で良いのだろうか。事前にバンコクの最新情報を調べ、興味深いポイントを探すべきだろう。

しかしルアンパバーンでは初日に水あたりにあってしまい、滞在中は弱り気味だった。翌日の行動プランを考えるのに精一杯であり、数日先のバンコクについて調べる余力は無い。結局、花市場とフアランポーン駅以外の知識はないまま、ルアンパバーンからバンコクに戻る羽目になった。

2019年にバンコクで泊まった時は、チャオプラヤー川沿いでワット・アルンの見えるホテルに泊った。その時は国王の川行列にあたって壮観だったのだが、行事用の照明が設置してあったせいで、ワット・アルン自体は写真的にイマイチだった。撮影の再チャレンジがてら、改めて同じホテルに泊まってみたいと思ったのだが、COVID-19の影響なのか休業していた。2019年当時、隣のビルをホテルに改築していたことを思い出し、今回はそちらに泊まることにした。

バンコクで泊まるのは雨季ばかりのせいか、天候は今回も曇り気味である。しかし幸いにも雨は降らずに済んだ。ビールを片手に、暮れゆくバンコクの街と、ライトアップしたワット・アルンを眺める至福の時間を過ごせた。さすがに夕焼けというわけにはいかないが、十分すぎる程に美しい。

かなり満足して夜の街に出ると、タイ王室ゆかりのワット・ポーがライトアップされていた。意味もなくライトアップしないだろうと思って慌てて調べたところ、夜間入口があって、夜の境内を無料で見学できるらしい。

それらしい門を見付けて境内に入ると、素晴らしすぎる世界が広がっていた。ほぼ無人の荘厳な境内に、読経が響き渡っている。泣くかと思うほど心に染み入る一時を過ごした。

ナイトライフが有名なバンコクだが、この夜、僕が次に行くべき場所は花市場しか思い付かない。ワット・ポーからは徒歩圏内である。やはり花市場は深夜のほうが活気があって良かった。

素晴らしい夜になった。極めて満足し、これでバンコクの夜を終えることにした。あとはホテルでワット・アルンを眺めながら寝酒でも飲もう。ほぼ何も調べていないが故に、ほぼ何も知らない。バンコクでオッサンの夜遊びが仏教寺院と花市場だけという、不条理なまでの健全さである。

2019年とあわせて近年2度もバンコクに滞在したが、バンコクの知識は極めて少ないままである。タイ料理への苦手意識が解決しない限り、今後も前向きにタイ旅行を検討する可能性は低く、本格的なバンコク滞在は難しいだろう。タイ料理に関わる苦手意識の源泉は10代まで遡り、もう約30年も苦手意識を持ち続けている。いまや意識改革は難しい可能性が高い。僕の限られたバンコクに関する知識のうち、フアランポーン駅からは既に活気が失われてしまったので、これからは花市場と仏教寺院だけでバンコクを楽しむしかないだろう。

アジアを旅する以上、バンコク乗り継ぎは避けられない。この先もバンコクで乗り継ぎ待ちの時間を潰す必要があるだろう。不健全の代表のようなイメージすらある大都市だが、この街を僕は健全に楽しむことしか出来なそうである。一見すると不条理なパラドックスではあるが、道徳的かつ本質的には悪い事ではないと思われる。つまり僕の快楽追求は、無知に起因する健全さによって妨げられており、結果的に正しい行いへと導かれている。

これをもって「無知の知」に近付いたと言えると良いのだが。バンコクで僕はソクラテスの領域に到達した。と思う。