べとなむのおもいで

短いタイ滞在の後、ベトナムに向かった。乾季の始まりの時期、ハロン湾クルーズに行こうとの魂胆である。

一口にハロン湾クルーズと言っても、安さ重視の日帰りボートから、スパ付きの高級船まで幅が広い。日の出や日没など、自然のマジックを楽しむためには船上で宿泊する事を勧められていたので、迷わず一泊コースにした。

そこから先の選択が面倒くさい。

船の数だけツアーがあり、施設や食事が異なる上、ハロン湾内での訪問先も微妙に異なる。船の設備を説明されてもピンとこないし、食事は食べてみないと分からない。サイトには宣伝文句しか書いていないのだ。客観的な基準は訪問先しかない。ハロン湾関連の旅行ブログをいくつか見て、行きたい場所をリストアップした。

僕が行きたかった所はマイナーな組み合わせだったらしく、調べた限りでは1隻に絞れた。その船を自動的に選んだのだが、実際に乗船してみると、客の平均年齢が高めの落ち着いた船で良かった。航海中に他の船を見ると、クラブ系音楽にレーザー光線というパリピ専用船みたいなのもあり、クルーズにおける船選びは重要そうである。

訪問先の一つがブンビエン村という、海上にある漁村である。浮き桟橋に家や学校を建て、庭先のような海上で何やら養殖をしている。

海上漁村の案内所にはベトナム共産党のプロパガンダもあった。このブンビエン村のために本土に文化的で立派な集落を作ったらしい。ガイドさんいわく、その集落に行かなかった村民が未だに海上生活を送っているとのこと。

なるほど。しかし、こういうのは眉唾である。

スラムのツアーに参加してコース外の家に紛れ込んだらホームシアター完備だったとか、山奥の先住民の集落には近くの町からバイクで出勤してくるとか、真偽はともかく、よく聞く話だ。

陸上ブンビエン村が何処にあるのか定かではないが、ゆっくりしたクルーズ船でも1~2時間の距離だろうから、海上ブンビエン村までスピードボートで通勤も可能だろう。

つまり養殖場の作業員待機所が海上にあるだけではないか。

そんな疑問は口に出さず、海上漁村を手漕ぎボートに乗って案内してもらった。

村に行ったのは夕方だったのだが、ちょうどイカ釣り漁船が出港準備中だった。かなりラッキーなタイミングである。

イカは夜間にライトを点灯して釣るものだろうから、出漁の準備は夕方にするのだろう。しかも、こちらもアポなしでフラッと立ち寄ったわけでもない。全くの芝居ではないにしても、多少の仕込みがあってもおかしくない。

つまりイカ釣り船の基地が海上にあるだけではないか。

そんな疑問は口に出さず、イカ釣り船を見て興奮していた。

変な疑いは持たず、これで満足すべきだろう。実際、かなり楽しめたのだ。しかも手漕ぎボート代はクルーズ費用に入っていたのでボッタクリは発生せず、水上マーケットで土産物を売りつけられることもなかった。東南アジアの観光地で遭遇しがちなストレスとは無縁だった。

人生あまり邪推はせず、素直に楽しもう。

こう思わされている時点で、既に騙されているのかもしれないが。

ばんこくのおもいで

約25年ぶりにタイのバンコクに行った。25年といえば、四半世紀である。僕がタイ料理を苦手にしているのは、以前のブログに書いた通りだ。それが四半世紀にわたり、僕のタイに関する記憶の大半を占めていた。

その他の僅かな記憶の一つが、空港から乗ったボロい列車の終点だったバンコク中央駅である。中央駅の再開発が行われるという記事を読んだので、列車に乗る予定はなかったが、駅に行ってみることにした。

バンコク中央駅の構内をウロウロと歩いてみたが、バンコクの発展から取り残されたような一角だ。約25年前から大して進化していないのではないだろうか。

それでも駅は記憶とは印象が異なっていた。昭和の上野駅のような物悲しい雰囲気だと思っていたのだが、おおらかな明るさがあった。「マイペンライ」的なタイの明るさなのだろう。

いずれにしても昔の記憶はアテにならない。

バンコク中央駅では古いターミナル駅の雰囲気を撮りたかったのだが、ホーム中央にイベント会場が設営されており、撮影には出直しが必要だった。

バンコク中央駅に行った以外は、最近のバンコクの人気スポットらしい、インスタ映えしそうな寺院を訪問した。僕にしては珍しく、普通の観光地である。写真はきれいに撮れたし、ピンクの象 (といっても神様なのだが) の置物も買った。

しかし、思い入れのない観光地というのは、それ以上でも、それ以下でもなく、あまり記憶に残らない。

今回のバンコク滞在で一番の記憶はドライバーである。前回の訪問から四半世紀たって、バンコクには新たな空港ができているが、いまだに空港タクシーは悪名が高い。今回はスワンナプーム空港からGrabを使ってみた。東南アジア版のUberである。

Grabドライバーのオッサンが素晴らしかった。

事前に調べた限りでは、空港からバンコク市内に至る高速道路には、数箇所の料金所があるらしい。タクシーの場合、料金所を通る度に実費を支払うのが基本のようだ。Grabも同じだろう。

バケツをひっくり返したような雨の午後だったが、このオッサンは空港から市内まで、すべての料金所を回避した。しかも渋滞を見事にすり抜け、時間のロスは殆どない。そして路地奥にあるホテルの前まで車をつけてくれた。バンコクの空港タクシーには期待していなかった事態である。

タイ料理が苦手なことを再認識させられたので、僕が次にバンコクに行くのがいつになるか想像もつかない。次も四半世紀後だとしたら、オッサンを通り越して、爺さんになっている。

それまでの間、タイ料理が苦手なことが記憶の大半を占めるのだろう。その他は、素晴らしいドライバーに乗せられて空港から市内に向かったこと、バンコク中央駅で良い写真を撮りそこなったこと位しか覚えていないのだろう。

次にバンコクへ行く頃には、再開発で中央駅が無くなっている可能性が高い。老化で僕の記憶が無くなっている可能性もある。

そう考えると、記憶が有るうちにバンコク中央駅を再訪できたのは良かった。自分の記憶がアテにならない事も分かったし。

これで僕のバンコクのブログも終わりだ。先日のウィーンのブログくらい意味のない内容になってしまった。

今年は食わず嫌いの克服に取り組み、いままで避けていた国や都市に行ってみた。ブログの地理的なレパートリーは広がったのではないだろうか。

来年は、苦手な都市をブログのネタにすることのできる、文筆力と観察力をつけようと思う。三流ブロガーの取り組みとしては、本来こちらが取るべき道であるはずだから。

たいのおもいで

中途半端な日程で東南アジアに行く用事が重なり、これ幸いとタイとベトナム行きの日程をネジネジしてみた。

今年の旅のテーマは食わず嫌いの解消であり、僕の最大の食わず嫌いはタイである。ただし厳密な意味で食わず嫌いというわけではない。25年ほど前、タイに行っているのだ。

その時は成田からのユナイテッド航空でバンコクのドンムアン空港に向かった。夕方過ぎに到着し、空港に隣接する駅から、タイ国鉄でバンコク中央駅に向かった。暗くて古い客車と、中央駅付近のスラムのような住宅密集地が衝撃的だった。

タイと僕の不幸な関係は、この夜に始まった。

安宿に着いた後、夜食のため屋台村に向かった。屋台に行ってみて分かったのだが、僕はタイ料理が苦手だった。そもそも辛いものは得意ではないが、それ以上に酸っぱいものがキライである。行く前に分かっているべきだったのかもしれないが、まったく分からずにタイに行っていた。

翌朝にはタイ料理を早々に諦め、それからはハードロックカフェとケンタッキーという無難なアメリカンコンビでタイ滞在を乗り切った。

その後の人生において、タイ旅行に全く興味がなかったわけではない。僕だって象に乗ってみたい。

しかしタイ料理が最大の難関になっていた。そして、約25年間、タイには一度も行っていない。これこそ食わず嫌いである。

今回は万全を期してタイに行こうと思った。

タイ料理を避ける。これにつきる。わざわざタクシーに乗ってまで、イタリア料理店などに行っていた。

そこまでしても、タイにいる限り、タイ料理の呪縛からは逃れられなかった。

世界で最も無難な食事のチョイスとしてマクドナルドに行ったのだが、敵はチキンマックナゲットに潜んでいた。マックナゲットといえば、バーベキューソースとマスタードソースという失敗なしの鉄板コンビと思いきや、出てきたのはチリソースと、緑色の甘酸っぱいソースだった。僕にはチリソースは辛すぎるし、甘酢っぱいという感覚は理解できない。

タイのマクドナルドにはフライドポテト用のケチャップが備え付けられており、チキンマックナゲットはケチャップで乗り切った。

食事問題はギリギリで回避したものの、思いがけないことに、まだ敵がいた。ホテルのアメニティが地元メーカーの製品だったのだ。

これ自体は素晴らしいことである。しかし、シャンプーもコンディショナーもボディソープも、ココナッツの香りが付いていた。

今まで気付かなかった事実だが、僕はココナッツの香りもキライらしい。

そういえば今回の旅行でタイ国内線に乗ったのだが、搭乗時にギャレーからの匂いでダメになりかけた。僕のタイ料理に対する苦手感の半分は嗅覚から来ているらしい。

約25年ぶりにタイに行ってみたが、タイ料理は予想以上にハードルが高かった。いまやタイ料理は食わず嫌いではなく、味覚的にも嗅覚的にもキライだと断言できる。

食わず嫌いのままの方が良かったのかもしれない。透明性を求める時代ではあるが、グレーゾーンでいた方が幸せなことも多いのだ。