ばるかんはんとうのおもいで

急きょ夏休みの予定を変更し、無理に6.5日間の休みで旅立ったせいで、今年の夏も日程的に厳しい旅だった。

金曜夜に羽田発の深夜便で出発するのは慣れているし、休みのスタートだけに諦めもつく。しかし、帰国日は朝8時半に成田に到着し、午後から会社に行ったのだ。オッサンには過酷である。そのまま帰って眠れないのも、休みが終わるのも、会社に行くのも、全てイヤだ。

今回はクロアチアのドブロブニクが目的地だったのだが、旅行先で荷物を持って移動するのはキライなので、ついでに首都のザグレブへ行くのは諦めた。ドブロブニクのみ4泊、とはいえ実質3.5日間の滞在である。アドリア海とドブロブニク旧市街が見られれば、オッサンはハッピーになれる。街は混んでいるらしいので、朝晩は街を歩き、昼間は海でも見ながらビールを飲んでいればいいのだろうと思った。

実際にドブロブニクへ行ってみると、たいして大きな街ではなく、おびえるほどの混雑でもなく、しかも毎日きっちり晴れているので、街は最初の1日半で見つくしてしまった。残り2日、ビールを飲んで無駄に過ごすのもアリではあるが、次に来る機会があるか分からない地で、2日も無駄に過ごすのは勿体ない。

残りの2日は隣国に出かけようと思った。モンテネグロとボスニア・ヘルツェゴビナである。モンテネグロにはコトル、ボスニア・ヘルツェゴビナにはモスタルという、どちらも世界遺産の古い街がある。しかし、旧ユーゴスラビア消滅以来の複雑な国家関係ゆえか、国際路線バスは使いにくくできており、なかなかドブロブニクからは自力では行きづらい。便利なのは日帰りツアーで、モンテネグロに1日、ボスニア・ヘルツェゴビナに1日、合計2回の日帰りツアーに参加すればいい。

しかし、社会性のない性格をしており、ツアーというのは苦手である。知らない人と会話しなければならないし、自由行動を制限されるし、そもそも観光らしい観光というのがキライなのである。ハードボイルドなオッサンは黙って公共交通機関に乗っていたい。

参加すべきか否か、からりと晴れたアドリア海の空の下でグチグチ悩む。なんとヤヤコシイ性格をしているのだろうか。しばし悩んだ後、悩んでも悩まなくても同じ結論に至り、ツアーを申し込んだ。

数年ぶりにツアーというものに参加したが、結果からすると悪くなかった。効率的に移動できるし、電車を乗り間違えることも、バスで乗り過ごすこともない。タクシーでぼったくられたくないために、意味もなく長距離を歩くこともしなくて済む。問題は自由時間が短いことだったが、地元ガイドのウォーキングツアーの後に自由行動というパターンの場合、ウォーキングツアーの途中、はぐれたマネのフリで脱出してしまった。はぐれオッサン。コトルもモスタルも混んでいたし、そもそも地元ガイドは人数を数えていないので、バレるわけはない。高校の遠足でも途中で家に帰ってバレなかったし、問題ないはずである。

とは言うものの、なんとなく顔は覚えられており、ウォーキングツアーを終えて事務所に戻る地元ガイドと旧市街で出会うと、かなり気恥ずかしい。

どぶろぶにくのおもいで

ドブロブニク旧市街は城壁で囲まれており、旧市街には三箇所の門から出入りする。自然とホテルに近い門から出入りすることになり、ピレ門という門を良く使った。ピレ門の外にはバスターミナルがあり、朝から深夜まで多くの人が行き来している。

このピレ門には爺さん楽隊がいた。暑い夏の盛りにもかかわらず、朝から晩まで、クロアチアの伝統音楽というのか、ピーヒャラドンドンやっている。上手いのか下手なのか判断基準がイマイチ分からないが、場所が良いせいか、人が良く集まっている。数曲ごとに集金に回っているが、大して収入は良くなさそうだ。そしてCDを販売していた。約18ドル。クロアチアの物価を考えると、かなり高い。

ドブロブニクには四泊した。一日に何度か門を出入りするので、その度に爺さんたちの前を通り、ピーヒャラドンドンを聞くことになった。暑いのに朝から晩まで演奏している。一日の労働時間からすると大して儲かってなさそうだが、大変そうである。

二日目の夕食後に爺さんたちの前を通り過ぎたとき、ふとCDが値下げされていることに気付いた。約15ドルに下がっているのである。これが爺さんたちのマーケティング戦略だろうか。金を持っていそうなクルーズ客やツアー客がいる日中には定価販売しており、酔っ払いが勢いで買ってしまいそうな夜には割引販売しているようである。あるいは日中がボッタクリで、夜間が定価とか。もう少し待っていたら「30分以内に注文の場合、もう1枚ついて同じ値段」とか言い出しそうである。

次の日の夕方、昼寝をしようとホテルに戻る途中、門の前では爺さんたちがダラリと昼寝していた。暑さの中での演奏は、かなり疲れるようである。いつの間にか頭に染み込んだピーヒャラドンドンが聞こえないのが寂しい。

そんなこんなで爺さんたちを見物し続けていたが、ついにドブロブニクを去る日がやってきた。最終の夜、ピレ門を通ると、その夜も爺さんたちがピーヒャラドンドン演奏していた。このピーヒャラドンドンも僕には今宵限りである。

青い海とオレンジ色の屋根を思い出しつつ、ホテルに戻って荷造りをしていると、ピーヒャラドンドンが脳裏をかすめる。シャツをしまいながらピーヒャラドンドン。洗濯物を丸めながらピーヒャラドンドン。薬草酒を梱包しながらピーヒャラドンドン。ピーヒャラドンドン。ピーヒャラドンドン。

このピーヒャラドンドンは、一生、中毒症状のように脳裏で鳴り続けるのだろうか。ある日、ピーヒャラドンドンを無性に聞きたくなって、ドブロブニクに戻ってくるのだろうか。

CDはクロアチアの物価と比べて高すぎると思ったが、いまなら夜価格である。爺さんたちの過酷な演奏に報いるべきである。東京でピーヒャラドンドン禁断症状になった時、すがるものが必要である。思い直して旧市街に戻った。

深夜のピレ門は静かだった。せっかく決心したのに、買い損なってしまったのか。慌てて門の奥を見ると、爺さんたちは帰ろうとしていた。片付けた演奏機材の中から、ギリギリでCDを購入した。

注文が遅すぎたせいか無料の二枚目はついてこなかったが、これでドブロブニクにも人生にも思い残すことはない。

くろあちあのおもいで

今年の夏休みは、9月に紅葉のアラスカへ行こうと思い、春くらいから計画していた。ところが、7月中旬になって、9月には休めそうにないことが判明した。

慌てて休みが取れそうな日程を探したが、既に同僚が休みを宣言したりしていて、手頃な枠が見当たらない。7月半ばこそがヒマなタイミングだったのだが、これを逃してしまった。もっと早めに見切りをつけるべきだったと後悔した。

それでも、なんとか8月半ばに4日半を捻り出した。土日を入れれば6日半になる。深夜便を使いこなせば、北半球どこへでも行けそうな日数である。

予定を前倒ししてアラスカに行こうかと思ったものの、やはりアラスカは紅葉の時期に行きたい。あまり悩む時間はなく、そもそもピークシーズンに安い深夜便の選択肢は大してなく、ほぼ思考停止状態でエールフランスを取った。金曜日の夜、会社の帰りに羽田から飛行機に乗ると、土曜の早朝にパリに到着。翌週の木曜昼にパリを出ると、金曜朝に成田に帰ってこられる。そして午後から会社。過酷だが何とかなる。と思う。

パリから先は特にアイデアはない。しばし考えていたが、そういえばクロアチアのドブロブニクに行きたいと思っていたのだった。夏のアドリア海は混んでいるはずである。とりあえずホテルと航空券をおさえないといけない。

航空券を取った後でブログの旅行記を読んでいると、夏のドブロブニクは満員電車なみの混雑とか、芋を洗うような混雑とか、恐ろしい記述に何度も出会った。ただでさえ人混みは嫌いなのに、わざわざ休みに混んでいる所へ行くのか。アホだ。行く前から後悔したものの、パリから先は安いだけが取り柄の航空券なので、購入後はキャンセルできない。悲しい現実である。

後悔しているうちに休みになった。羽田からパリ、ウィーンと乗り換えて、ドブロブニクに着いた。空港を出ると日差しが強い。サングラスを持ってきてよかった。

ホテルに到着後、シャワーを浴びて、とりあえず町に出た。旧市街の周りを城壁が取り囲んでいる。城壁を見上げると、大して混んでいる様子はない。満員電車というよりも、鶴見あたりを走る午後の京浜東北線である。芋は洗わないのだろうか。城壁に登るなら今だ。

カメラを片手に城壁を歩いていると、いつの間にかサングラスをなくしてしまった。しかもオークリーのサングラスであり、後悔を禁じ得ない。

しかし、傘とサングラスはなくすようにできている。なくしたものは後悔しても遅い。諦めるしかない。

諦めて風景に目を向けると、サングラスというフィルターのない、原色のアドリア海があった。燦々と輝く太陽のもと、海が限りなく青く、青い海にオレンジの屋根が映えている。

将来に目を向けるよりも、過去を振り返る方が容易であり、故に人生には多くの後悔がある。始める前から後悔し、始めた後でも後悔するが、しかし、その先には美しいものがあった。

後悔の大半は無駄である。