きかんしゃのおもいで

夏に日帰りで人吉へSLに乗りに行った。

いくら飛行機での往復とはいえ、やっぱり九州は遠い。日帰りでは、焼酎蔵を巡り、温泉に入ることはできなかったのである。しかも、行きのSLでは朝食の弁当が売り切れており、氷を買いそびれたせいで帰りのSL車内では焼酎を飲めずに終わってしまった。

やや後悔の残る旅だった。

人生に後悔はつきものであり、失われた時間は取り返せない。しかし後悔だけで終わらせて良いものだろうか。

10月に再び人吉へ出かけた。

朝一番のJALの熊本行きに乗り、SLを目指す。前回も同じ朝一番のフライトだったので高を括っていたら、いつの間にかフライトのスケジュールが20分ほど遅くなっていた。これでは空港からバスではSLに間に合わない。諦めて空港からタクシーに乗った。

熊本という街は、空港も駅も街の中心から離れており、しかも空港と駅とは街を挟んで反対側といってもいいような場所にある。そんなことは全く知らなかったのだが、朝の熊本は渋滞しており、タクシーの中でイライラしながら何度もGoogle Mapを見たのだ。もともとバスで間に合わないような時間なのに、しかしタクシーに乗っても渋滞している。人生は困難に満ちている。

9時45分発のSLにもかかわらず、駅に着いたのは9時35分だった。それから指定席販売機でチケットを引き取り、走ってSLのホームに向かう。こういう時に限って指定席販売機を使いこなせないオッサンがおり、しかもホームが実に遠い。それでも、なんとか9時43分頃に乗車できた。挫折寸前ではあったが、人生なんとかなるものである。

最初こそハラハラしたが、その後は計画通りに事が運んだ。行きの列車では弁当を購入でき、帰りの列車では氷を持ち込んで焼酎を飲んだ。諦めなければ、人生やり直しがきくものだ。

今年で40歳のオッサンである。そろそろ人生の折り返し地点ということになるだろう。「まだ半分もある」のか「もう半分しかない」のかは微妙なところであるが、残り半分は少し前向きに生きていこうと思った。

ひとよしのおもいで

毎年、友達オッサンと旅行に出かけている。しかし、昨年、キューバに行ったところで燃え尽きたようで、今年はイマイチ盛り上がらなかった。

よくよく考えると、そのオッサンと旅に出始めたのは、バーで酔っ払った勢いで、キューバに行こうという話になったせいである。

その翌年、なぜかサンフランシスコに行き、その後は香港マレーシア台湾と、アジア方面でお茶を濁していた。そんな幾星霜を経て、ついにキューバに到達したのである。

キューバ行きでオッサン達のミッションは完了だったのではないか。そもそも酒場での話は実現しないものと相場が決まっているが、それにも関わらず実現したのだ。

そこで終わるのが美しい。

とはいうものの、習慣というものは継続性が重要である。習慣を継続するうち、それは文化へと昇華する。

文化を築き、そして後世に残すべく、盛り上がりに欠くなかでも継続性を維持しようと思い、今年は日本国内に出かけることにした。

行先は人吉である。温泉があり、SLも走っている。球磨焼酎もあるし、球磨川で川下りができる。オッサン達には遊園地のような場所ではないだろうか。ビールと焼酎を買い込んでSLに乗り、焼酎蔵を訪ね、温泉宿で更に焼酎を飲みながらグダグダしていた。

オッサン二人が座敷でグダグダしている様からは、文化が生まれそうな気配は感じられない。悪習という文字が頭をよぎる。悪臭も仄かに匂う。

たしかに文化創造への道のりは長いが、しかし、それを目指して継続してみよう。このまま燃え尽きても、カスしか残らないので。

うぃーんのおもいで

数年前、1枚の写真を見た。オーストリアの国立図書館である。なんとも美しい図書館だった。一度、行ってみたいと思っていた。

しかし、どうも僕にはオーストリアは微妙だ。他人の王宮の見物には大して興味がないし、クラシック音楽好きというタイプでもない。ヨーロッパのアルプスというと、マッターホルンがあるスイスをイメージしがちである。中欧というと、ウニクムという薬草酒があるハンガリーをイメージしがちである。これという決め手を欠き、美しい国立図書館には行けないまま、ずるずると人生が過ぎていった。

ドブロブニクに行くにあたり、パリからウィーン経由で航空券を取った。なんとか美しい国立図書館に行けないものだろうか。

ウィーンの乗り継ぎは約4時間。一度、荷物を引き取り、オーストリア航空にチェックインしなければならない。そこまで考えると、かなり微妙な乗り継ぎ時間である。ウィーンからドブロブニク行きは1日1本しかない。人生、無駄なリスクを冒さず、おとなしく空港でザッハトルテを食べているべきであろう。

しかし、この機会を逃していいものだろうか。諦めきれずにパリの空港で寝ぼけながら調べたところ、ウイーン市街への片道をタクシーで飛ばすと何とか間に合いそうである。

ずるずると人生を過ごしていいものだろうか。人生の機会を逃すべきではないのかもしれない。

リスクをヘッジすべきだろうか。リスクを取るべきだろうか。人生は悩ましい。

ウィーンの空港は効率的にできており、パリからの到着後1時間ほどでオーストリア航空のチェックインまで終了。これなら行ける。後悔しないためにもリスクを取ろう。

足早に空港のタクシー乗り場へ向かい、ドイツ語で「国立図書館」と書いた紙を運転手に見せる。これだけ必死で空港から国立図書館に行くオッサンがいるだろうか。ダン・ブラウン原作の映画のシーンのようである。

死んだような土曜朝のウィーンの街を駆け抜け、国立図書館にたどり着いた。地味なエントランスで入場料を払い、階段をのぼると、そこに豪華な図書館ホールがあった。ついに来ることができた。

じっくり見たかったが、じっくりしすぎると飛行機に乗り遅れる恐れがある。とりあえず写真を撮り、図書館内をブラブラ歩く。

なんとなく満足したところで図書館を飛び出し、よく分からないまま歩いていると王宮の入口に着いた。そのまま地下鉄の駅と思われる方向に、人の流れに乗って歩いて行った。なんとか地下鉄の駅を見つけ出し、地下鉄とエアポートライナーを乗り継いで空港に戻った。

やりとげた満足感は大いにあったが、時間にハラハラしているばかりだった。豪華な図書館の記憶は遠くに消え去ってしまった。

親戚の家に避暑に来て、こんな図書館で夏休みの宿題ができたら、多少は宿題をやる気になるかも知れない。

これが唯一のオーストリア国立図書館の思い出である。

後悔したくないが故にリスクを取ったものの、表面的な満足感にとらわれるばかりで、大したものは得られていない。行動が目的化している僕の人生そのものである。

土曜朝のウィーンで自分自身の人生の縮図を見せつけられた。やっぱり僕にはオーストリアは微妙だ。