めきしこのおもいで

年末年始は仕事になるケースが多い。妻子がいるわけではなく、駅伝を見るわけでもないので、年末年始の仕事は全く苦にならない。電車はすいているし、電話もかかってこないので、むしろ正月は仕事が望ましい。

そして代休を1月中旬~下旬に取る。今年は代休が3日あった。土日と組み合わせれば5日になる。

航空券が安い時期である。5日もあるなら、どこかに行くべきではないだろうか。

冬の旅行は難しい。マッターホルンを見に行くとか、冬であることにメリットを見いだせられる場所でない限り、せっかくの休みなのに寒くて暗い場所に行くだけになってしまう。

それならば夏には行きたくないような場所に行ってみようと思った。

夏が過酷な場所と言えば、キューバだった。乗り継ぎ地の制限もあり、フライト自体も少ないので、さすがに5日でキューバは厳しい。

しかし常夏の中米は、冬の旅行先として悪くなさそうだ。

中米と言えば、メキシコ。ぼくの第二の故郷である。アメリカ経由ならフライトも多い。夏は暑くて過酷であり、しかも夏は雨季にあたるらしい。メキシコならば冬の旅行先のメリットは大きそうだ。

以前にも書いたが、短期間で旅に出る秘訣は、普通に1日を会社で過ごした後、羽田発の深夜便を使いこなすことである。

木曜日23時に羽田を出るANAに乗ると、ロサンゼルス経由でメキシコ着が金曜日の午前6時半。

なんとかなるのではないか。

ヨーロッパへ行く時に愛用しているエールフランスも、羽田が深夜発、パリには翌日朝に着いている。同じではないだろうか。

実際のところ同じではなかった。

地球のまわり方に対して、ロサンゼルス行きとパリ行きでは飛行機の飛ぶ方向が異なっていたせいである。羽田を深夜に出て現地に翌朝に着くと言っても、フランスまでは機内1泊だったが、メキシコまでは2泊なのである。羽田からロサンゼルスまでがANAの深夜便、ロサンゼルスで9時間ほど乗り継ぎ待ちをして、次はユナイテッド航空の深夜便。

なんとかならないのではないか。

2晩をナナメな状態で過ごし、メキシコの地にヨロヨロと降り立った。睡眠不足だし、全身がコチコチになっている。しかも、夏の暑さを避けて来た場所なのだが、朝のメキシコは寒い。常夏の国ではないのだろうか。防寒具はおいてきてしまったが、どうすればいいのだろう。ところで木曜の朝に自宅を出てから、何時間たっているのだろうか。

何も考えたくない。

無事にメキシコ入国を果たし、ATMで現金を手に入れ、空港の窓口でタクシーチケットを購入。あとはタクシーに乗ってホテルに向かうだけだった筈だが、購入したタクシーチケットの行き先とホテルの場所が合わないらしく、ドライバーのオッサンにスペイン語でアレコレ言われる。窓口でホテルの予約書を見せたのに。金も払ったぞ。こちらは思考力もスペイン語力もないオッサンである。なんでもいいからホテルに連れて行って。

梃子でも動かない不動の姿勢を取っていると、ドライバーオッサンは諦めてタクシー窓口へ相談に行った。車には鍵をかけている。車が心配なのではなくて、僕が強盗にあわないように配慮しているのだろう。このまま立て籠もってやる。

15分ほど放置された後、オッサンは戻ってきた。万事OKとのことである。事前の情報からすると料金を少し多めに払っているようなのだが、たぶん違う街までの料金を取られたのだろう。さすがに返金はされない。

夜明けのハイウェーを疾走すること約30分、ようやくホテルにたどり着いた。長い道のりだった。

人生なんとかなるものである。

ねんがじょう

何年も年賀状を出さず、返信すらしない状況が続いていたところ、年賀状を受け取る枚数が減り続けた。2015年の正月で4枚だった。

2016年の正月には年賀状を出そうとは思ったものの、2015年中は実行力のないまま、気付くと元日になっていた。受け取った年賀状は4枚から更に減って2枚になってしまった (ブログを書いた後で1枚届いたのだ)。

いまや104円の価値しかないオッサンである。このままでいいのだろうか。

昨年で40歳になった。よくよく思い出してみると、最後に年賀状を出したのは20歳の時である。20年目の節目の年。

2017年こそは年賀状を出そう。

固い決意のもと、郵便局に行って年賀状を購入した。そして日本郵便のサイトから年賀状ソフトをダウンロードした。準備万端である。

年賀状を作るにあたり、改めて住所録を見た。基本的に社交性のない性格をしているため、そもそも住所録に記載されている人数が少ないが、住所を知っている人は更に少ない。

現住所が正しいか心もとない人を含めて、こちらから出せる年賀状の枚数は11枚しかない。こんなことなら、出そうと思わなかった方が良かったのではないか。

とは言うものの、既に年賀状を購入しており、年賀状を出す行為自体が大事であると自分に言い聞かせる。

本文を書き、写真を選び、いよいよプリントである。普通に印刷すれば何とかなると思っていたが、何度やっても宛名の印刷位置がズレる。郵便番号枠のせいである。11枚しか出さないのに、4枚も無駄にしてしまった。なんとも不効率なオッサンである。

どこかで見た統計によると、男性の平均寿命は80.75歳とのことである。統計的には人生の半分が終わってしまった。

子供の頃、「不言実行」が男の美徳であると言われ続けていた。裏を返せば「有言不実行」な子供だったのである。そのままオッサンになってしまった。

後半の人生、不効率でもいいから、せめて「有言実行」を目指そうと思った。

あまくさのおもいで

バーテンダーというと、物静かに人の話を黙って聞いてくれそうなイメージがあるが、僕の知る限り真実ではない。むしろ逆ではないか。

先日、熊本の温泉に行く計画をバーで話したところ、何度も訂正したにもかかわらず、熊本市に行くという話に落ち着いてしまった。こちらは酔っ払っているので、そのうち訂正するのが面倒くさくなったのだ。

聞いてもいないのに教えてもらったところ、熊本市はいいところらしい。馬刺し、煮干しラーメン、お茶漬け。そして天草の寿司屋だそうである。

計画としては、人吉でSLと温泉の後、長崎に行こうと思っていたのだ。チャンポン、卓袱料理、ハトシ。そしてトルコライスである。

それだけではない。

長崎には市電が走っている。そして思案橋という橋がある。橋の近くには市電の停留所があり、思案橋電停というそうである。

小雨の秋の夜、ちょっと影のある女性が思案橋のたもとの電停で男を待っていそうだ。俯きがちにベンチに座っている。暖かな光を灯した市電が何台も通り過ぎるが、男は現れない。最終の市電が過ぎ去ったところで女は顔を上げ、思案橋電停を後にして、川沿いの道をバーに向かう。重厚な木戸をあけると、物静かに人の話を黙って聞いてくれそうなバーテンダーがいる。そこでマティーニを1杯。

いいなぁ、長崎。

しかし、現実は厳しい。調べたところ、いまや思案橋の下は暗渠になっているそうである。橋の欄干の跡があるだけらしい。思案橋に橋はない。そして、物静かに人の話を黙って聞いてくれそうなバーテンダーは、多分、長崎にもいない。

空想の世界は終わりを迎えた。

冷静に長崎を眺めると、山の手に洋館と教会があり、海を見下ろせる公園があり、中華街と出島 (の跡地) がある街、ということになる。

山の手に洋館と教会があり、海を見下ろせる公園があり、中華街と出島 (の跡地) がある街

どこかで聞いたことがある。

「出島 (の跡地)」を除くと、横浜と大差ないのではないか。しかも「出島 (の跡地)」は結局のところ跡地であり、それは思案橋と同じ結末になるだろう。

そう思うと急激に長崎への熱は冷めた。

物静かに人の話を黙って聞いてくれないバーテンダー曰く、熊本市はいいところらしいのである。

熊本に泊まり、ランチを食べに天草へ行くことにした。