2012/08/07 しっぱい

外国、とくにヨーロッパへ行くと酒屋が気になる。外国で買う酒は蒸留酒が多い。蒸留酒の中でも、基本的には地元産の怪しげなリキュールを探す。あまり店主とは意思の疎通ができない中、エイヤっと面白そうな酒を選ぶ。「面白そう」の定義は曖昧だが、材料だったり、アルコール度数だったり、瓶の古さだったりする。

酔っぱらっているときに行くと、あまり吟味はできない。ラベルとか、濁り具合とかが気になる程度だ。先日も酔っぱらってバスクの旧市街を歩いていると、酒屋の店先が気になった。実は、この酒屋には既に二度も行っていた。あまり広い店ではないからリキュールのコーナーはあまりなく、ある意味で見尽くしていたのだが。

酔っ払いは何にでも興味津津だ。精神的に後退しているせいかもしれない。見尽くした感のある酒屋だったが、酔っぱらいオッサンはシードラが気になってしまった。

バスクではシードラが作られている。基本的に甘い酒には興味がないが、酔っぱらいだけに何でも興味津津。ラベルをみると、「この液温で、何十センチの高さから一気に注げ」と図入りで書いてある。これなら冷やし過ぎとかの問題もない。瓶を照明に当ててみると濁っていた。酒の濁りは不純物にもなりえるが、旨味成分でもある。これだけ濁っていると面白いかもしれない。そう思うと、酔っぱらいは前進するのみ。冷やしたシードラを東京で飲んだらうまいだろうとか、バルのオッサンのまねをして高い位置からドボドボ注いだら楽しいだろうとか。妄想は広がるばかりだ。気付いたら購入していた。3ユーロくらいだったかな。

その後、話は帰国後まで飛ぶ。なんせ酔っぱらいのしたことだから、翌日には記憶も整合性もない。日本に戻ってきて約一週間後、土曜の夜に知り合いのバーへ持っていこうと思って前日に冷蔵庫に入れた。そして保冷バックに入れたシードラを片手に夜の街へ繰り出した。

詳細は略すが、シードラはイースト臭くて酸味も強かった。よくよく見ると賞味期限ぎりぎりである。保存状態が悪いうえに古いから最悪だな、などと言いつつ、それでも創意工夫とカクテル化で飲みきった。

飲み終わった端から酔っぱらった。バーの営業時間中にさんざん蒸留酒を飲んだ後だから、醸造酒は悪酔いしそうだ。夜の街の見回りに行かないかと誘われたが、お断りして帰宅。帰ると更に酔っぱらっていた。顔が紫色だと言われ、飲み過ぎだと非難される。

以下、時系列で。

日曜日…二日酔い気味。食欲もない。どこにも出かけずに過ごす。軽い発熱。久々に酒を抜いた。
月曜日…会社には行くが、何をやってもうまくいかず。集中力もない。
火曜日…朝、シャワーを浴びると急激に気持ち悪くなる。午前中は寝て過ごし、午後からヨロヨロと会社へ。相変わらず物事は悪くしかならず、気力もない。
水曜日…午後から所用があるので、なんとか午前中は会社に行ってみる。夜に蕎麦屋へ行けるのだけが楽しみで生きていた。18時過ぎに蕎麦屋へ。天ぷらを食べたのが悪かったのか、24時過ぎにリバース。その後、急激に弱る。
木曜日…起きられず。出られず。肉体的には疲労困憊、そして精神的にも落ち込んでいるのが分かる。気が付くと口内炎が出来ていた。夕方、気分転換に近所のレストランへ行った 。
金曜日…起きられず。鬱病の気配がある。昨年の休職していた時期のようだ。困ったなあと思いつつも、昼は近所の讃岐うどん屋に行った。冷たい麺類しか食べたくない。帰ってくると靴擦れが出来ていた。その後は自宅に引きこもる。
土曜日…やや気分的に持ち直す。昼は出歩かないが、夜はバーへ行く。先週シードラを一緒に飲んだバーテンダーは蕁麻疹が出て、腕の色が変わったらしい。この時点で、ようやく食中毒的な症状であることに気付く。
日曜日…ほぼ回復。

そんなこんなで約一週間を棒に振った。シードラの濁りの部分が腐っていたか、製造過程で変な菌が混入し、それが原因で軽い食中毒にかかり、夏の暑さで悪化したというのが正しいところだろう。あまり飲んだことがない酒だったので、なかなか見極めがつかなかった。そもそも購入時には酔っ払っていたし。

見慣れない酒を飲むのにはリスクが伴うが、見慣れないだけに面白い。とりあえず酔っぱらって見慣れぬ酒を買うのは止めよう。

2012/07/22 ばるせろなのおもいで

去年は重大な発見があった。香港における飲茶である。これについては以前に書いているので略すが、朝の時間を新聞とお茶と点心でノンビリ過ごすオッサン達の姿に感動したのだ。日本に飲茶の店は多くあれど、日本の飲茶店は点心を食べるだけの店になっている。ビールが出てくるのは進化と言ってもいいのだが、日本の飲茶店で、茶を飲みながら新聞をひたすら読み、その合間に他の常連客と話したり、思い出したように点心を食べるような独特な時間を過ごせる店は多くあるまい。

飲茶に続く未知の飲食空間を考えると、スペインのバルがある。日本にもスペイン料理店、特にスペイン・バルと称している店は多いが、本場のバルとはどんなもんなのか。これを確かめずにはいられない。ついでにバルは午前中からやっており、バル (bar) であるが故に朝から酒も出てくる。こういうのを一石二鳥というのか、毒を食らわば皿までというのか、今年の夏はスペインへ旅立つことにした。

スペインといえば治安の悪さである。なかでもマドリッドとバルセロナの悪評は、南アフリカのヨハネスブルクとケープタウンの比較のようである。マドリッドとバルセロナだと、バルセロナの方が比較的安全そうだ。バルセロナには首絞め強盗とか出ないらしいので (とはいうものの、夜のサグラダファミリアを見に行ったときに、芝居の下手な偽警官コンビには遭遇した)。

深夜に羽田を出るJALのパリ行きに乗ると、あれやこれやで11時頃にバルセロナに着いた。ホテルに荷物を預け、地下鉄の駅へ行った。とりあえず回数券を購入しよう。スリがいるかもしれないので周囲の人に財布を見られないようにと本には書いてあったが、財布を出さないと切符が買えない。地下鉄に乗るためには財布を出さなくてはならず、地下鉄に乗るとスリにあう確率が高くなる。それなら地下鉄に乗らなければいい。

しかし、そうするとホテルから出られなくなってしまう。意を決して財布を取り出して回数券を買い、街を歩くことにした。

バルセロナ続編はこちら

2012/05/07 きゅうしがい

風情のある旧市街といわれると、石畳の路地であるとか、カフェのある小さな広場とかをイメージする。古い町並みをブラブラ歩くと心地よい。

旅行前、団体ツアーのパンフレットをペラペラと読んでいたら、ハノイには風情のある旧市街があると書いてあった。ベトナム戦争の痕跡とか、ホーチミンの霊廟とかには興味がないので、旧市街にあるホテルを拠点に歩くことにした。

21時頃にホテルに着いた。さすがに旧市街だけあって道は狭い。

その狭い道をバイクが駆け抜けている。クラクションをビービー鳴らしながら、無数に走っている。車は一方通行だが、バイクは関係ないようである。

荷物を置き、ビアホイと呼ばれる居酒屋に出かけた。かなり交通量のある交差点にも信号はない。右から左からバイクが突っ込んでくる。友人に「死ぬ気で道を渡れ」と言われたことを思い出した。混沌の中を前進あるのみ。

なんとか道を渡り、わりと広い道に出た。車道を歩くのは危険極まりないので、歩道を歩こうとしたが、歩道はバイクの駐輪スペース兼屋台の営業スペースとなっていた。車道を歩くしかない。なんとかビアホイにたどりついたが、しかし帰りのことを考えると酔うわけにもいかず、落ち着かない。

死ぬ気で道を渡るのは疲れるし、実際に死にそうになると更に疲れる。挙句に5月上旬なのに35度もあって暑く、空気も悪い。街をブラブラ歩くつもりだったが、おちおち出歩けない。それでも死なないだけましだ。

石畳の路地こそないが、町並みは古い。文字通り旧市街である。振り分けの荷物を担いで歩く行商人もいたりして、たしかに風情はある。しかし「風情のある旧市街」といわれると、なんか違う。「風情」からくるイメージと、現実の「混沌」とが相容れないのだ。それに、バイクにひかれずに歩くのに精一杯で、風情を感じる余裕はあまりない。

世の中、イメージと相容れない現実は多い。物事には過剰な期待を持たないようにしようと思う。安易な妄想を捨て、厳しい現実に向き合おう。

しかし僕から妄想を取ってしまったら残るものが少ない。これも現実である。

これからは現実を直視しないで生きていこうと思う。ハノイに風情のある旧市街があるのなら、現実に向かい合いつつ直視しないことも可能なはずだ。目はそらすためにあるのだから。