ちゅうかがい

オッサン友達と横浜バーめぐり。途中、汁物を求めて夜の中華街を歩いていたが、どこに入ればいいのか分からない。

ふとみると、ポツンとボロい中華料理屋があった。入り口を覗くと、テーブルの上にビールの空き瓶が放置されている。

キリンラガーの大瓶。奴が呼んでいる。そう感じた。

店に入ると、コックの格好をした爺さんが一人、新聞片手に座っている。

店全体が切ない場末感で溢れている。

ビールとワンタンを頼むと、爺さんはビールを出し、店から出て行った。

地味な食堂にオッサン二人取り残される。ラジオの深夜放送がかかっていた。空虚なジョークが響く。切なさは既に痛々しい程になっている。

ラジオに飽き、ビールにも飽き、地上の営みから取り残されてしまったのではないかと思い始めた頃、爺さんがワンタンを持って店に戻ってきた。店に入ってワンタンを頼んだのに、爺さんは店の外から出来上がったワンタンを持ってきたのだ。

宮沢賢治の世界のようだった。

すとれっち

前屈の屈は屈服の屈である。

ゆえに前屈はしない。小学校のときに前屈マイナス28cmという小学生史上に残る屈辱的な記録を残して以降、すべての前屈を拒否し続けてきた。ブルボン王朝の皇帝のような気高さである。余は決して屈しないぞ。

しかし屈めないのも屈辱的である。飛行機で物を落としても到着するまで拾えないし、足の爪を切るのですら一苦労である。しかも老化すると関節の可動域が減るとのことである。このままいくと飛行機に乗れなくなるかもしれない。爪が長過ぎて靴が履けなくなるかもしれない。

前屈の屈は屁理屈の屈だ。

いい加減にオッサンだし、そもそもブルボン皇帝ではない。飛行機は自家用ではないし、輿を担いでくれる家臣もいない。ゴタクを並べている前に前屈しよう。

そう思ってストレッチスクールに行った。家臣ではないが、トレーナーが足を支えるなり、腕を動かすなり、なんなりとしてくれるらしい。余は横になっておればよいのだ。偽ブルボンには最適に思えた。

写真で見るとかなり楽そうだったので、軽い気持ちで行ってみた。どっかの大学の体育サークルみたいな軟派な兄ちゃんがトレーナーということだった。美女インストラクターはメニューになかった。偽ブルボンだからしょうがない。

軽いジャブのように前屈をしろという。若輩者のくせに余に屈しろというのか。オッサンすごいだろ。マイナス31cm。

彼は、あんまり運動しないんですね、と言ってくる。余は運動などしないのじゃ。オッサンすごいだろ。全くしないのだ。

さあ屈したから後は任せたぞ。好きにするがよい。

しかし、そこから先が地獄の苦しみだった。責め苦を味わう。こんな兄ちゃんに虐げられてなるものかと思ったが、圧政下の庶民のように過酷な時間を過ごす。そろそろ王制はやめて共和制に移った方がいいんじゃないか。

圧政の苦しみのさなか、硬いのは股関節ではなくて、臀部と足の繫ぎ目部分であると笑顔でいわれる。そんなのはどうでもいい。おまえはマリー・アントワネットか。パンをよこせ。

地獄の苦しみから解放されると、既にヘトヘトだった。革命を起こす気力はない。ナポレオンへの道は遠い。

すいすのおもいで

誰が決めたか知らないが、夏の海は何故か暑い。太陽は燦然と輝いているので日焼けもする。ビーチを歩くと靴に砂が入るし、海は泳ぐと塩辛い。

だからこそ人間は室内プールを発明したはずなのだが、それでも夏のビーチは盛況だ。ニースもアマルフィも夏はセレブ値段である。そんなにトップレスおねいさんが見たいのか。

合理的な判断をするのであれば、夏は山に行くべきだと思う。なにより涼しいし、木陰に隠れれば日焼けは防げる。運が良ければホテルに室内プールがついている。

問題は、山は登らなくてはいけないことである。そこに山があるから登ると言った人もいたらしいが、そこに階段があるから積極的に登るという話は聞いたことがない。むしろ人間はエレベーターやらエスカレーターやらを発明した。登ることは文明の力で避けるべきことなのだ。

スイスには登山鉄道が走っている。これは、人類史上、室内プールと並ぶ画期的な発明といえる。山に登らずして、3000メートル級の山に登れる。スイス人のアプトさんが考えたアプト式で電車がグイグイ登ってくれるのだ。ビバ・スイス。ビバ・アプト。

残る唯一の問題は、気温が低いせいか、山にはトップレスおねいさんがいない。この問題の解決には地球温暖化がカギとなる可能性があるが、地球温暖化のもたらす影響については、スイスの連邦制なみに複雑なので予断は許されない。