どぶろぶにくのおもいで

ドブロブニク旧市街は城壁で囲まれており、旧市街には三箇所の門から出入りする。自然とホテルに近い門から出入りすることになり、ピレ門という門を良く使った。ピレ門の外にはバスターミナルがあり、朝から深夜まで多くの人が行き来している。

このピレ門には爺さん楽隊がいた。暑い夏の盛りにもかかわらず、朝から晩まで、クロアチアの伝統音楽というのか、ピーヒャラドンドンやっている。上手いのか下手なのか判断基準がイマイチ分からないが、場所が良いせいか、人が良く集まっている。数曲ごとに集金に回っているが、大して収入は良くなさそうだ。そしてCDを販売していた。約18ドル。クロアチアの物価を考えると、かなり高い。

ドブロブニクには四泊した。一日に何度か門を出入りするので、その度に爺さんたちの前を通り、ピーヒャラドンドンを聞くことになった。暑いのに朝から晩まで演奏している。一日の労働時間からすると大して儲かってなさそうだが、大変そうである。

二日目の夕食後に爺さんたちの前を通り過ぎたとき、ふとCDが値下げされていることに気付いた。約15ドルに下がっているのである。これが爺さんたちのマーケティング戦略だろうか。金を持っていそうなクルーズ客やツアー客がいる日中には定価販売しており、酔っ払いが勢いで買ってしまいそうな夜には割引販売しているようである。あるいは日中がボッタクリで、夜間が定価とか。もう少し待っていたら「30分以内に注文の場合、もう1枚ついて同じ値段」とか言い出しそうである。

次の日の夕方、昼寝をしようとホテルに戻る途中、門の前では爺さんたちがダラリと昼寝していた。暑さの中での演奏は、かなり疲れるようである。いつの間にか頭に染み込んだピーヒャラドンドンが聞こえないのが寂しい。

そんなこんなで爺さんたちを見物し続けていたが、ついにドブロブニクを去る日がやってきた。最終の夜、ピレ門を通ると、その夜も爺さんたちがピーヒャラドンドン演奏していた。このピーヒャラドンドンも僕には今宵限りである。

青い海とオレンジ色の屋根を思い出しつつ、ホテルに戻って荷造りをしていると、ピーヒャラドンドンが脳裏をかすめる。シャツをしまいながらピーヒャラドンドン。洗濯物を丸めながらピーヒャラドンドン。薬草酒を梱包しながらピーヒャラドンドン。ピーヒャラドンドン。ピーヒャラドンドン。

このピーヒャラドンドンは、一生、中毒症状のように脳裏で鳴り続けるのだろうか。ある日、ピーヒャラドンドンを無性に聞きたくなって、ドブロブニクに戻ってくるのだろうか。

CDはクロアチアの物価と比べて高すぎると思ったが、いまなら夜価格である。爺さんたちの過酷な演奏に報いるべきである。東京でピーヒャラドンドン禁断症状になった時、すがるものが必要である。思い直して旧市街に戻った。

深夜のピレ門は静かだった。せっかく決心したのに、買い損なってしまったのか。慌てて門の奥を見ると、爺さんたちは帰ろうとしていた。片付けた演奏機材の中から、ギリギリでCDを購入した。

注文が遅すぎたせいか無料の二枚目はついてこなかったが、これでドブロブニクにも人生にも思い残すことはない。

くろあちあのおもいで

今年の夏休みは、9月に紅葉のアラスカへ行こうと思い、春くらいから計画していた。ところが、7月中旬になって、9月には休めそうにないことが判明した。

慌てて休みが取れそうな日程を探したが、既に同僚が休みを宣言したりしていて、手頃な枠が見当たらない。7月半ばこそがヒマなタイミングだったのだが、これを逃してしまった。もっと早めに見切りをつけるべきだったと後悔した。

それでも、なんとか8月半ばに4日半を捻り出した。土日を入れれば6日半になる。深夜便を使いこなせば、北半球どこへでも行けそうな日数である。

予定を前倒ししてアラスカに行こうかと思ったものの、やはりアラスカは紅葉の時期に行きたい。あまり悩む時間はなく、そもそもピークシーズンに安い深夜便の選択肢は大してなく、ほぼ思考停止状態でエールフランスを取った。金曜日の夜、会社の帰りに羽田から飛行機に乗ると、土曜の早朝にパリに到着。翌週の木曜昼にパリを出ると、金曜朝に成田に帰ってこられる。そして午後から会社。過酷だが何とかなる。と思う。

パリから先は特にアイデアはない。しばし考えていたが、そういえばクロアチアのドブロブニクに行きたいと思っていたのだった。夏のアドリア海は混んでいるはずである。とりあえずホテルと航空券をおさえないといけない。

航空券を取った後でブログの旅行記を読んでいると、夏のドブロブニクは満員電車なみの混雑とか、芋を洗うような混雑とか、恐ろしい記述に何度も出会った。ただでさえ人混みは嫌いなのに、わざわざ休みに混んでいる所へ行くのか。アホだ。行く前から後悔したものの、パリから先は安いだけが取り柄の航空券なので、購入後はキャンセルできない。悲しい現実である。

後悔しているうちに休みになった。羽田からパリ、ウィーンと乗り換えて、ドブロブニクに着いた。空港を出ると日差しが強い。サングラスを持ってきてよかった。

ホテルに到着後、シャワーを浴びて、とりあえず町に出た。旧市街の周りを城壁が取り囲んでいる。城壁を見上げると、大して混んでいる様子はない。満員電車というよりも、鶴見あたりを走る午後の京浜東北線である。芋は洗わないのだろうか。城壁に登るなら今だ。

カメラを片手に城壁を歩いていると、いつの間にかサングラスをなくしてしまった。しかもオークリーのサングラスであり、後悔を禁じ得ない。

しかし、傘とサングラスはなくすようにできている。なくしたものは後悔しても遅い。諦めるしかない。

諦めて風景に目を向けると、サングラスというフィルターのない、原色のアドリア海があった。燦々と輝く太陽のもと、海が限りなく青く、青い海にオレンジの屋根が映えている。

将来に目を向けるよりも、過去を振り返る方が容易であり、故に人生には多くの後悔がある。始める前から後悔し、始めた後でも後悔するが、しかし、その先には美しいものがあった。

後悔の大半は無駄である。

すみだがわはなびのおもいで

東京の下町で最大のイベントというと、隅田川の花火ではないだろうか。そのせいで、数年に一度、7月末の土曜日に母親の友達が実家に大集合する。

昔はオバサンが集合している位の認識だったが、いまや僕がオッサンになってしまった。オッサンの幼児時代を知っているオババが集合するわけで、どうにも煩わしい。どうにか逃げ出そうと思った。

よくよく思い出すと、春にマカオ行きを挫折しており、8月までに使用しなければならないANAのマイルが残っている。これを使って、どこかに行こう。

飛行機に乗るのであれば、電車では行けないところに行くべきである。とは言うものの、花火の夜の脱出が目的であり、日帰りが望ましい。沖縄は遠すぎ、北海道か九州あたりが選択肢になる。

去年までの僕であれば余市蒸留所に行っていたと思うが、今年の僕は機関車男である。熊本にもSLが走っている。

調べたところ、朝一のANAではSLに間に合わない。当初の計画はANAのマイルを使うことだったが、朝はJALに乗らないといけない。JALにもマイルがあるので問題ないが、人生は一筋縄ではいかないということである。翼にしがみついてでも、帰りはANAに乗ろう。

いつもなら熟睡しているような時間に起き、ほぼ寝たまま羽田へ向かい、飛行機の中で熟睡し、寝ぼけたままバスで熊本駅へ。熊本駅に着くと、既にSLは入線していた。

出発後、車内販売のカウンターに焼酎と弁当を買いに行くが、弁当は売り切れていた。冷静に考えると、朝から一人で焼酎を飲んでるオッサンはヤバい。思い通りにいかない朝である。

やむをえず熊本地ビールのみ購入した。球磨川を眺めながらビールを飲んでいるが、どうにも腹が減っている。空腹でビールを飲んだせいで眠い。熊本から2時間半くらいの旅で人吉に着いた。

せっかく温泉のある街に来たが、日帰りなので宿泊はできない。このまま昼酒・昼寝がしたい。一筋縄でいかないのが人生である。
後ろ髪をひかれる思いで、帰りのSLに乗った。途中の駅で焼サバ寿司を買い、球磨川を眺めながら再び熊本地ビール。やや眠く、やや幸せな気分で熊本に着いた。

熊本駅で乗車前に朝食の弁当を買うこと、帰りの車中で焼酎ロックを飲むために保冷バックと氷を買うこと、人吉で温泉に泊まること。

この三点を次回の課題としつつ、ANAの最終便で羽田に戻った。