とうほくのおもいで

僕のブログを分類するとすれば、旅行系ブログということになるだろう。副分類は「海外その他」。一般的な旅行記ブログと称するには、実用的な情報が少なすぎるからである。

いま世界はCOVID-19で危機的な状態にある。現時点での効果的な対処法は感染リスクを下げることだけなので、外出を減らすしかない。

感染リスクの管理といえば、勤務先では海外旅行が届出制という名目で実質禁止になった。禁止されるまでもなく、訪問先で概ね14日程度、さらに帰国後にも14日間隔離されるので、サラリーマンである限り実質的にはどこにも行きようがない。

海外旅行系 (その他) ブログなのに、旅行に行けない事態である。人が無意味に死ぬリスクよりはマシだが。

ちょっと時間軸を戻すと、COVID-19危機が日本国内で深刻化する前、今年の1〜2月は出張も含めて国内旅行が多かった。僕には珍しい。当面は国内旅行について書いていこうと思う。

さて「避寒」という言葉がある。あまり馴染みのない言葉だが、クリスマスにドバイで散財する北半球のセレブをイメージすると分かりやすいだろう。

しかし僕はセレブではないせいか、ドバイで避寒したいとは思わない。散財できないせいもあるのかもしれないが、むしろ僕は寒さを楽しみたい

日本の冬を楽しむため、寒さと温泉を求めて旅に出たいと思った。

友人オッサンと温泉に行こうとすると、必ず争点になるのが移動距離である。移動には金も時間もかかるので一般的には避けたいようだが、しかし僕は遠くに行きたいタイプだ。いくら寒い場所に温泉があるにしても、北関東では妥協できない。冬の寒さと温泉といえば東北である。それも山奥に行きたい。

まず思いついたのが、4年くらい行っていない後生掛温泉である。地理的には秋田と岩手の県境だ。一方、秋田と青森の県境には日景温泉というのがあるらしい。いずれにしても秋田県の外れであれば、申し分のない山奥だろう。一昨年には果たせなかった、秋田経済への貢献をしてみたい。

そんな大志を抱き、東北新幹線で旅立った。盛岡で花輪線に乗り換え、秋田県方面に向かう。花輪線の鹿角花輪駅から後生掛温泉へ。翌日は花輪線で更に進み、大館駅を経由して日景温泉に向かう。東北横断の意欲的なスケジュールである。

冬の東北の温泉は良い。

何が良いのかを考えていると、要は人間が少ないのだ。客が多い温泉というのは苦手である。そもそも人が多い場所がキライだ。

都市を離れ、山奥で温泉につかる。サラリーマンをしていると週末しか休みにくいが、それでも冬の温泉地は空いている。

ただし日本の温泉には露天風呂があり、冬の東北の山奥は掛け値なしで寒い。ヒートショックのリスクが玉に瑕である。

寒さを求めて旅に出たと思えば、不可避なリスクだろう。甘んじて受けよう。残念ながらドバイで散財できるセレブではないのだ。

と、ここまで書いてみたが、いまいちキレがない。国内旅行をテーマにした昔のブログを読み返してみたが、やっぱりイマイチである。

たしかに日本にいる限りは、市場でバイクに轢かれかける事も、現金を持っていないのに電子マネーが使えない事もない。海外旅行を書きためてきたのとは、別の発想が必要そうである。

今回のCOVID-19危機を奇貨として、新たな方向性を模索したいと思う。幸か不幸か自宅で原稿を書く時間は普段よりも多く取れそうである。

ふっけんしょうのおもいで

福建省・厦門では世界遺産であるコロンス島に滞在したのだが、福建省には他にも気になっている所があった。それは世界遺産になっている福建土楼だ。福建省の山岳地帯にある客家の巨大集合住宅である。巨大集合住宅といっても、高島平団地のような所ではない。

福建省には多くの土楼があり、どの土楼に行きたいかを事前に調べる必要がある。観光地化された土楼には興味がなかった。保存状態が良く、客が少なく、できれば上階に上がりたい。しかも元々が山岳地帯の集落のようなものなので、移動距離も考慮に入れる必要がある。結局、大型ながら比較的マイナーな初渓土楼と南渓土楼の二箇所に絞った。

自力での移動は困難そうだったのでツアーを探してみたが、マイナーな場所を組み合わせてしまったせいか、行きたい二箇所を回るツアーが見つからない。しかし妥協もしたくない。

結局、中国ビジネスをしている友人に泣きつき、乗用車をチャーターすることになった。

ドライバーは英語と日本語ができない。僕は中国語ができない。つまりコミュニケーション問題が発生する。

僕のiPhoneにGoogle翻訳を入れ、ドライバーのスマホにも翻訳アプリを入れてもらい、しかもWeChatでドライバー、友人、僕というグループを作ってバックアップしてもらった。1月2日のことだった。他人の迷惑も顧みず、正月から大騒動である。

おかげで何とかなった。希望通りの福建土楼が見れたし、余った時間で田舎の村を散歩できた。

福建省といえば烏龍茶の産地である。実際、土楼に出ていた土産物店では地元産らしい茶葉を売っていた。

そんな福建省には飲茶の文化がある。

初めて香港へ行ったときにカルチャーショックだったのが、飲茶は完全に朝の文化だったことだ。お茶と点心なのである。

一方、オッサンとしては点心にはビールである。深夜まで飲茶ができるシンガポールの中華街に行く機会が多かったせいもあるが、点心とビールは相性が良いのではないかと思う。

福建省では夜でも飲茶ができた。メニューにビールもある。素晴らしい。早速、点心と青島ビールをオーダーした。

しばらくすると点心が運ばれてきたが、黒酢ではなく、チリソースがついてきた。これもシンガポールと同じである。

福建の飲茶文化は広東とは少し異なるようだ。

ビールを飲みながら文化的な差異について考えていると、シンガポールの華僑は福建省出身の客家が多いという話を思い出した。福建土楼に住んでいた人々の子孫である。シンガポールの華僑文化には福建の影響が強く、それゆえにシンガポールの飲茶は福建的なのかもしれない。

今年は年始から文化的な思考をした。年末年始に年賀状以上のことが考えられるとは、我ながら驚きである。

あもいのおもいで

毎年、冬休みの短期旅行は悩ましい。基本的に前年中は最後の最後まで仕事が残り、新年も数日は出社になるパターンである。ゆえに代休日数と旅行先との兼ね合いで仕事を入れている。

幸か不幸か、たぶん不幸なのだが、今年は土・日の絡みで無理に仕事を入れることはできず、正月休みに4~5連休が取れることになった。

スケジュール的にはヨーロッパまで行けるが、冬のヨーロッパは寒い。ハワイは高いし、オーストラリアは興味がない。あとは東南アジアくらいだろうか。そうはいってもタイベトナムに行ったばかりだ。

あまり無理をしたくないのは、大体の国で1月1日は祝日となり、丸1日ムダになるケースが多いからである。しかも12月31日のホテルは無意味に高価格な設定になっている。

正月休みは、短期旅行に行く観点からは悩ましい。

しばらく悩んだ後、1月1日出発で中国に行くことにした。昨年のGWには浙江省の杭州へ行ったのだが、その時にも迷った福建省の厦門である。1月なら厦門は乾季だし、中国マイナー路線はピークシーズンのANAでも航空券が安い。

厦門は昔の租界の町で、当時の建築物がコロンス島に残っている。このコロンス島が厦門で一番の観光地とのこと。休日を中心に、良い時間帯は島へのフェリーが混雑するらしい。しかも中国にありがちな実名登録制となっており、外国人には事前予約が難しそうだ。

検討の結果、コロンス島に泊まってしまうことにした。こうすれば島へ行くのは人出が落ち着いた夕方以降、島を出るのが人出が始まる前の朝となり、人の流れとは逆のパターンである。

もっとも観光地だけで満足できる僕ではない。調べたところ、厦門には大きな市場があった。第八海鮮市場というらしい。僕の旅行に市場訪問は欠かせない。行ってみることにした。

よくよく考えると、ここに問題がある。

第八海鮮市場ということは、他にも最低7箇所の市場があるのかもしれないが、問題の肝はそこではない。

中国の海鮮市場なのである。

1月の時点で湖北省・武漢では既に正体不明の肺炎が発生していた。そして僕は厦門に着いた日、ネットニュースで肺炎の感染源として海鮮市場が疑われているとの報道を読んだのだ。当時の報道内容としては、地理的にかなり限定的な状況とのことだった。湖北省政府だか武漢市政府だかが、状況はコントロールされているので問題没有と言っていた。

とりあえず僕は地図で武漢と厦門の距離関係を調べた。湖北省と福建省の間には江西省があり、江西省だけで北海道の倍くらいの面積がある。でっかいどうの倍なので、江西省は相当でっかい。

地理的にも離れているし、どこかの政府が問題ないと言っている事でもあるし、きっと問題ナッシングと判断した。そこでコロンス島から第八海鮮市場までの交通ルートを調べ、フェリーとバスを使って海鮮市場を訪ねた。

いまにして思うと、僕自身としては危機意識が低い。リスク管理能力のなさでもある。たしかに江西省は北海道の2倍の面積があるが、僕はたった4時間で東京から厦門まで飛んできたばかりなのだ。

しかも当時は武漢の海鮮市場で正体不明の肺炎が発生したという第一報に近いニュースである。武漢に問題があるのか、海鮮市場に問題があるのか、原因の切り分けはされていない。

さらに問題没有と言っていたのは、プロパガンダで有名な政党の支配下にある地方政府である。一概に問題ナッシングと判断すべきではなかったかもしれない。

以前、キューバのハバナ空港に行く途中で大爆発を見たのだが、それが実は墜落事故だった事がある。空港付近の大爆発を見ても航空機墜落は想像がつかず、何の疑いもないまま飛行機でメキシコに向かった。墜落事故を知ったのは、メキシコでホテルに着いた後だった。生存確認のメールやらLINEやらが来ていて、ニュースを見て初めて気付いたのだ。

僕は目にした危機を自分の身に置き換えられないのかもしれない。想像力の欠如であり、生存本能の低さでもある。来るであろう首都直下型地震に備え、もう少し危機意識を持って生きていこうと思った。