まらっかのおもいで

5月くらいから日本も出入国規制が緩和され、現実的な日程で海外に出られることになった。そうは言っても、これでも会社員なので浮世の制約もあり、諸般の事情により7月までは見送っていた。

所用もあったので、まずは旅慣れたシンガポールへ行くことにした。シンガポールには何度か行っているが、残念ながら旅行のワクワク感からは遠い場所である。ワクワクしなければ旅に出る価値はないに等しいので、前から興味のあった隣国マレーシアのマラッカにも行ってみることにした。

シンガポールとマレーシアはワクチン接種さえしていれば入出国は実質的に無制限だが、当時の日本政府は、日本行き飛行機搭乗前のPCR検査で陰性であることを課していた。日本に戻る飛行機に乗れないと困るので、出発前夜と出発直前に自宅で抗原検査を行った。そして最悪の状況に備え、会社の仕事ができる体制を持って旅に出た。

シンガポールからはバスでマラッカに向かった。旅行ガイドブックなどでは日帰りも可能と書かれているが、往路は6時間以上かかってしまった。これだけで十分に旅をしたと思えるほどの移動時間だ。

マラッカの名物はチキンライスである。チキンライスはシンガポールでも有名だが、マラッカではライスボールが付いてくる独特の形態らしい。バス遅延のせいで、行こうと思っていたチキンライス店には間にあわず。繁華街の観光客向け有名店に閉店ギリギリで飛び込んだ。

食べてみた結果としては、米飯がボール状になっている必要性が分からないし、やや米の味が薄い。ご飯に鳥スープ味がしみこんだ、シンガポール風チキンライスの方が僕は好きである。

食事後、有名なピンク色の教会と旧市街を見てから、マラッカ海峡モスク (水上モスク) に夕陽を見に行った。僕が未だに読了していない『深夜特急』に出てくる、マラッカ海峡の「とてつもなく大きく赤い夕陽」というやつである。

一般的には水上モスクから見る夕陽が美しいらしいが、それでは夕景の水上モスクを撮影できない。モスク敷地の外に出て、カメラを持った人々で溢れている撮影スポットに向かった。

この日は太陽の沈む位置が水上モスクの裏になってしまい、サンセットそのものは見られなかった。水上モスク横の海域に夕陽が沈む写真も見たことがあるのだが、人生そうそう上手くいかないものだ。それでも天候は晴れ、しかも少し雲があって、美しい夕景になった。人生そこまで悪くはないらしい。

翌日、バスでシンガポールに戻った。飛行機搭乗前のPCR検査は無事に通過し、予定通り日本に帰国。

その数日後に神戸へ出張だった。用事は適当に済ませて、以前に友人オッサンが絶賛していた三宮の『もん』 に行ってみた。神戸の正しい洋食屋さんである。この店はビーフカツレツが有名で、もしくはカツサンドの持ち帰りも良いのだが、この日は迷うことなくチキンライスを注文した。

『もん』のチキンライスは、海南鶏飯と呼ばれる、鳥の出汁で米を炊き込んだシンガポール形式や、ボール形状ご飯のマラッカとは全く異なるチキンライスである。すなわち、トマトソースの赤さにデミグラスソースが効いている、日本の正しい洋食屋さんのチキンライスだ。

これに対して、ケチャップライスとか、卵のないオムライスとか、そういうのは不当な表現だろう。正統なチキンライスとして敬意を持って接するとともに、もっとチキンライス側にも主張して欲しい。

数年ぶりにシンガポールとマレーシアへ行き、チキンライスの偉大さに改めて思いを致した。

いまや日本食レストランが溢れているシンガポールだけでなく、マラッカの夜市でもタコ焼きを売っている時代になっている。洋食屋さんチキンライスには、日本鶏飯として東南アジア市場に攻勢をかけ、かの地のチキンライス勢力図を書き換えてもらいたい。

くまのこどうのおもいで

6月に入ったあたりから、Go To Travelの復活とか、県民割の利用拡大の話が聞こえてきた。COVID-19の陽性件数が低い、平和な時代だったのだ。景気刺激策としては良いと思うのだが、僕にとっては今までのように自由な週末旅とはいかなくなる。最後の最後で捻じ込もうと思い、行き先を検討開始。

6月中をターゲットとしたので、梅雨が一番のネックになる。6月下旬だと沖縄は梅雨明けしてそうだが、そもそも梅雨のない北海道も良さそうである。

もう一回、礼文島に行ってみたい気もするが、昨年の滞在は完璧に近かった。それを超えるとは思えないのでパス。ちょっとラベンダーの季節には早いかもしれないが、北海道らしい景色を求めて美瑛・富良野に行ってみたい。ゲートウェイとなるのは旭川で、往復の特典無料航空券に空席もあった。

しかし北海道には蝦夷梅雨というものがあるらしい。10日前から天気予報を毎日のように見ていたが、訪問予定期間中には晴れ予報の片鱗もなかった。北海道に行って、すべて雨天というのはどうかと思う。数日前の深夜にキャンセルすることを決断。

もちろん本州以南は基本的に梅雨である。会社の休みを取っていたが、潔く出社に戻すべきではないだろうか。

そんな真面目オッサンである筈もなく、全力で雨の降らない場所を探した。さすがに直前なので沖縄は航空券が高く、行ってみたかった竹富島は宿が満室だった。沖縄以外で天気が良さそうだったのが、伊豆諸島、紀伊半島である。

伊豆諸島へは、羽田から八丈島にANAが飛んでおり、特典無料航空券の空席もあった。やや心が動きかけたが、良さそうな宿泊施設は既に満室で断念。

昨年は高野山に行ったが、それが僕唯一の和歌山県滞在である。もう少し和歌山県に関する見聞を広めても良いだろう。前から気になっていた、紀伊半島の熊野古道を訪ねることにした。行きは朝一のJALで南紀白浜空港、帰りは天気次第で予約変更が可能なJRで帰ることにした。

もっとも熊野古道が気になっていたと言っても、それは熊野地鶏がメインの焼鳥店に行くからであり、それ以上の知識はない。急遽ほぼ徹夜で熊野について調べた。

当日は早朝に羽田空港へ。北海道は悪天候のため条件付き運航とアナウンスしている。正しい選択をしたかもしれないと思いつつも、ニュースでは翌日と翌々日の旭川は晴天の予報になっている。これから北海道の天気は劇的に改善するのだろうか。選択を誤った可能性が脳裏をかすめる。

寝ぼけたまま南紀白浜空港に着くと、東京よりも雲が多い、本格的な曇天である。昨日までは晴天の予報だったのに。選択を誤ったかもしれない。「策士策に溺れる」という言葉が脳裏をよぎる。

空港からバスで熊野本宮大社に向かった。直通バスがあるのだが、紀伊半島は思いのほか大きく、移動に時間がかかる。途中でウトウトしてしまい、目覚めると大雨だった。紀伊半島の天気は劇的に悪化しているようだ。選択を誤ったに違いない。このままでは策に溺れるというよりも、溺死に近い。

結局、熊野本宮大社に着いた頃には雨が上がっていたが、晴れたかと思うと雨が降ったりと、大気の状態は不安定である。それでも熊野古道を歩き始めた。

冷静に考えると、ここ最近では国東半島出羽・羽黒山神社を訪ねており、山深い寺社仏閣ばかりである。実際、羽黒山参道の写真も熊野古道の写真も大差はない。どちらも曇りだったし。再び「策士策に溺れる」という言葉が脳裏をよぎる。

それでも2日間で熊野古道2か所を訪ねた。天気は曇りか小雨である。写真的にはフラットなグレーの世界ばかり。選択を誤ったかもしれない。

2日目の夕方になって、ようやく太陽が顔を出した。やや心も晴れた。

3日目は元々曇り予報だったので、早目の列車で帰ることにしていた。それでも最後の最後にチャンスがないかと思い、JR西日本サイトで予約したチケットは引き取らずにいた。

最終日の早朝、ものすごい雷鳴が轟いて目が覚めた。まったくの大雨である。そそくさと熊野を後にする事にした。

帰りは名古屋まで特急「南紀」で約4時間、そこから新幹線に乗り換え。名古屋での乗り継ぎ待ち時間に味噌カツでも食べようと思ったが、日曜日13時の名古屋駅は異様に混雑しており挫折。普段なら東海道新幹線はネット予約なので直前でも変更可能なのだが、今回は新幹線乗継割引を利用したので紙の切符である。指定券変更の為に窓口に並ぶのも面倒で、駅構内で無為に時間を潰した。

ふてくされて自宅に戻って旭川の天気を調べると、初日が大雨だったほかは、2日目と3日目は晴れていたようである。完全に選択を誤った。

やっぱり策士は策に溺れた。

はぐろさんのおもいで

出羽三山のうち、羽黒山と湯殿山には2017年に行った。この年は本厄だったので、羽黒山で厄除の御札をもらってきた。その後、とりたてて人生がウハウハだったとは思えないが、ひどい厄を背負い込むこともなかった。あれから5年も経ったので、そろそろ感謝の心で御札を返しに行く頃合いだろう。

前回は日帰りだったが、今回は一泊して日本海の夕陽を楽しんでも良いのではないか。羽黒山に近くてメジャーなのは「湯の浜温泉」だが、ちょっとマイナーな温泉を探したい。Google Mapで日本海岸の地図を見ること数度。山形県遊佐の「鳥海温泉」と秋田県象潟にある「さんねむ温泉」を見つけた。土曜朝一のANAで鶴岡に行き、出羽山を含む鶴岡市、そして近隣の酒田市を歩き回り、帰りは日曜17時頃に酒田駅を出発する特急「いなほ」に乗って新潟まわりで戻るプランである。

そんな計画を練りつつ週間予報を見たところ、降雨はなさそうだが、どうも天気が良くないようだ。今年はゴールデンウィーク後の五月晴れが少なく、天気が安定しない。あまり待つと梅雨に入ってしまうし、鬱蒼とした森で石段の写真を撮る分には曇りでも問題ないだろう。と思う。

一方、鶴岡の「加茂水族館」を見に行こうと思っていたのだが、よくよく調べるとクラゲがメインとのこと。フォトジェニックな展示をしているらしいが、クラゲはクラゲである。中華の前菜なら興味があるが、リアルに水中を動いている実物は苦手に違いない。水族館はパスすることにした。

水族館に行かないとすると、美術館とカフェには足が向かない僕が、曇天の鶴岡・酒田で丸二日を潰すのは困難である。初日に夕陽を見られないこともあり、温泉をキャンセルして、日帰りすることにした。

早朝に起きて、羽田からANAで庄内空港へ向かう。鶴岡駅でバスを乗り継いで羽黒山随神門へ。

前回は湯殿山行きバスの前に御札の祈祷を済ませる必要があり、鶴岡駅から随神門まで所要30分と聞いてタクシーに乗った。都内の感覚でタクシー代を想像していたのだが、信号や渋滞がないせいか、結果的にタクシー代はかなり高く、ちょっと後悔した。

今回は俗世の部分を手堅く路線バスで済ませ、心に呵責のない状態で随神門から神様の領域に入った。前回は石段の上りが辛かった思い出しかないので覚悟してきたが、心が軽いせいか、今回は随分と楽に感じた。いつの間にか途中の茶屋に到着。ここまでで半分ちょっと終わった感じだろう。

茶屋で一服し、朝食の代わりに力餅を食べる。ちょっと元気になったところで後半へ。

石段の上りも先が見えたので、ゆっくりと写真を撮りながら進む。市場など意図した被写体を除くと、僕の写真に人が映り込むことは少ない。ゆえに石段での撮影は人が途切れるまで待たなくてはならず、結果的にペースダウンしてしまう。そういえば前回はタクシーのおかげで随神門到着が1時間半くらい早かったせいか、人が少なかったように思う。あのタクシー代も無駄ではなかったのだろう。と思いたい。

調子の良いまま山頂の羽黒山神社に到着。なかなか清々しい心持ちである。今回は御札を返すだけにしようと思ったが、羽黒山に戻ってくる口実が欲しくなり、新たな御札をもらうことにした。前回は「厄除」という受け身な願望だったが、今回は「心願成就」と攻めの姿勢に転じた。

そのまま徒歩で下山することにした。たしかに肉体的には上りよりも楽なのだが、下りが予想外に厳しい。石段は等間隔ではないし、段の幅が狭かったり、急で怖かったりと、一歩一歩にコントロールが要求される分、足腰は下りの方がきつい。ストレッチ不足が如実に出てしまう。歩きだして5分後に後悔し始めたのは内緒である。

徒歩での下山は今回が初めてだったが、同じ石段道でも、上りとは違った景色が見えた。チャレンジすることによって、違う見方が出来るのである。

出羽三山の信仰は生まれ変わりがテーマである。こんなオッサンでも新たなチャレンジによって、生まれ変われるのだろう。ちょっと前向きな気持ちになって羽黒山を後にした。

旅の記録:羽黒山

記載の時刻等は訪問時のダイヤです。

1日目

羽田 0705 (ANA393) >> 庄内 0805

庄内空港 0815頃 (空港バス) >> 鶴岡 0845頃
鶴岡バスターミナル 0940 (路線バス) >> 随神門 1019

・羽黒山頂まで往復

随神門 1443 (路線バス) >> 鶴岡駅前 1520
鶴岡バスターミナル 1615 (空港バス) >> 庄内空港 1643

庄内 1745 (ANA400) >> 羽田 1850

1日目Tips
・随神門から羽黒山頂までは僕のペースで上り80分、下り60分。途中には茶屋が1軒あるだけで、休憩用のベンチなどはない。信仰の山なのである。
・2017年に利用した、羽黒山から湯殿山に向かう臨時バスは運行されないようだが、今年は高速バスと送迎サービスを組み合わせることで湯殿山へ向かえるらしい。
・この日は新潟駅の大規模工事で、特急「いなほ」が全列車運休。直前でもマイレージ利用の航空券が取れたので、帰りも庄内空港からANAを利用。本来であれば、帰りは夕方の特急に乗って日本海の夕陽を見ながら帰りたい。