2010/07/19 とるこのおもいで

今年の夏はイスタンブールに行った。こういう時代だからこそ、イスラム世界をのぞきに行こうと思ったのだ。

朝焼けと夕焼けは町を紅く染め、モスクには様式美があり、時を刻むがごとくエーザンが詠まれる。

しかし後悔した。

人生、いろいろ苦手なものがあるが、トルコには苦手なものが揃っている。トルコがEUに加盟すべきか否かは議論の余地があるが、ここがヨーロッパだとすると、ヨーロッパで苦手に思ったことのオンパレードである。

1. 夏、暑いのは嫌いだ >> トルコ、ギリシャ。
2. 客引きがうっとうしいのは嫌いだ >> トルコ、ギリシャ。
3. タクシーでぼられるのが当たり前なのは嫌いだ >> トルコ、ポルトガル。
4. 鉄道よりバスが発達しているところは嫌いだ >> トルコ、ポルトガル。

ギリシャとポルトガルには二度と行くまいと思っているが、トルコも「二度と行くまい」リストに加わってしまった。

目的を持って旅行先を決めるのはやめようと思った。

2010/07/19 どばいのおもいで

イスタンブールまでエミレーツ航空で行ったので、ついでにドバイの砂漠でラクダに乗ってきた。イラク上空も飛んでみた。中東デビューである。

ドバイってのは、暑いし、湿度も高いし、人間の住むところじゃない。もわーっとあつい。東京なんてカワイイもんである。暑がりのくせに、暑いのに更に暑いところに行くとは。なんてこったい。

車でちょっと走ると砂漠である。美しいけど、砂は多いし、日陰もない。ネバダじゃないからカジノもないし、アリゾナじゃないからサボテンもない。なんてこったい。

砂漠の余興はラクダとベリーダンスである。ラクダはドッグランみたいなところで乗るだけだ。もっとも砂漠をラクダで旅しろと言われても困るが。なぜ砂漠でベリーダンスなのかよく分からないが、それでも夕食にはベリーダンスがついてきた。冷静に見ていると、腹筋がクネクネ動いて、演芸の太鼓腹を見ているようである。なんてこったい。

それでも運河で渡し船に乗れば風は心地いいし (程度問題だけど)、モールで買い物をしていれば熱中症にはならないし (金は使ってしまうかもしれない)、市場では金も買える (たぶん、ぼられる)。

エミレーツ航空に乗らなければドバイを経験することもなかった。人生は経験と言うが、次回はエールフランスに乗ろうと思う。人生はパリ経由だ。

2010/01/31 にんげん

ヒトには限界というモノがある。

昼にラーメンと餃子とチャーハンを食べると、どんなに旨い店に行っても夜は大して食べられない。

夜、食事の時にワインを1本くらい飲むと、バーに行ってもウイスキーは少ししか飲めない。

意図的にチャレンジしているわけではないが、週の間に積もったモノを、週末の飲食で解決しようとすると、すぐ限界に達してしまう。

寂しい。虚しい。やり遂げられなかった感がある。自由な筈の週末さえも、思い通りにはならない。

人間、そんなモンなのか。つねに、なにかしら、限界のなかで生きて行かなくてはならない。

なぜ神は暴飲暴食の限界を作ったのか。それはデブにならせないためである。食糧問題解決のためでもある。要は種の保存である。食いたいだけ食わせていたら、土地は枯れ、食料は枯渇し、デブが横行し、人類は滅びる。

なぜ神は「週末を除く」という特例をつくらないのか。それは特例を認めると、特例だらけになるからである。要は規則に則った社会をつくるためであり、究極的には種の保存である。規則を無視すると、争いが始まり、社会は荒廃し、人類は滅びる。

故に、人間は本質的に自由ではない。週末だけの暴飲暴食もできないくらい自由ではない。限界のなかで生きていかなければならないのだ。

胃もたれで起きた朝は、とりあえず胃薬を飲む。胃薬を飲むか飲まないか程度の自由は、僕にもある。いまのところ。