ほいあんのおもいで

ベトナム中部にホイアンという古都がある。300~400年前の古い街並みが残っている世界遺産の街である。数年前から行ってみたいと思っていたのだが、僕の中での優先順位は低く、ホイアンには行けずに終わっていた。

昨年の秋頃になって、今年の正月休み代休の検討を始めた。そろそろホイアンに行く頃合いだろう。土日プラス代休2日として合計4日間、かなり完璧な予定を立てた。早めにチケットを取り、古い家屋を利用したホテルを予約した。

しかし昨年12月から会社が急激に忙しくなった。1月になると状況は悪化するばかりである。やむなく直前にホイアン行きを挫折した。

しばらく馬車馬のように働かされていた。鞭で打たれ、変に気を回す毎日だった。

その後、状況は徐々に改善し、なんとか休めそうな気配になった。強引に休みを取り返すことにした。

羽田からの深夜便に乗ってホーチミンシティに到着。ここでベトナムに入国し、国内線に乗り換える。僕にとっては約7年ぶりのベトナムだ。

飛行機を降りて入国審査に向かう。共産圏の国の入国審査なので、同じ共産圏である中国パスポートの多い列を狙って並んでみた。後で分かったのだが、中国パスポートのベトナム入国にはビザが必須らしい。この朝も僕は気を回し過ぎだった。

それでも僕が並んだ列は結果的に早いペースで進んでいた。質問などは一切ないようだ。流れ作業のように処理して終わり。しかし、よく見ていると、半数くらいがパスポートに1ドル札を挟んでいる。

そんな準備の良い列に、何の準備もない日本パスポートが混ざると、流れが悪くなる。審査官も手が止まる。

「ビザもってる?」

本来は日本パスポートの短期滞在であれば、一定の条件は付くがビザは不要である。一方、ベトナムの入国審査は、たまに悪い評判を聞く。嫌なパターンではないだろうかと思いつつ、「ない」と答える。

ベトナムに米ドルなんて持って来ていないから、僕の持っている最低額の紙幣は千円札である。相場と思われる1ドルの約9倍だ。この手の一時金を硬貨で支払った話は聞かないし、おつりを貰った話も聞いたことがない。早朝から気が重くなった。

当たり障りのない数件の質問の後、帰りの航空券を見せたところ、無事に通過できた。航空券をプリントしておいて良かった。紙1枚といっても、千円札と航空券コピーでは大違いである。

審査終了後、隣の入国審査ブースを覗くと、ブースの中で審査官が寝ていた。

久々にユルい入国審査場だった。

その後、荷物をピックアップして、国内線ターミナルに向かった。国内線のチェックイン自体は簡単に終わったが、セキュリティ検査場に行って愕然とした。飛行機まで辿り着くのかと思うくらいの、モノスゴイ行列である。再び早朝から気が重くなった。

しかし意外にスムーズである。

行列の入口は1か所なのだが、列の途中から2列に分離されていた。行列も互い違いに折り返されている。検査場内の全体の人数は変わらないが、待ち時間は想定の半分になった。単なる印象の違いだが、そんな程度なのが人間の感覚なのだろう。

それにしてもスムーズである。

近くまで行って見ていると、かなり検査がユルい。荷物をサクッとレントゲン機械に通して終わりである。撮った画像を見直すという事をやっていないようだ。しかも、どうやら金属探知機もユルい。ポケットから鍵ケースを出し忘れたが、スルーだった。スムーズなわけである。

久々にユルいセキュリティー検査場だった。

どうやらベトナムはユルい。これでも制度として機能しているのであれば、それで十分なのではないか。

馬車馬のように働く必要はない。むしろユルい方が人間としては良い生き方なのかもしれない。早朝のホーチミンシティ空港で人生について考えた。

夏休み特別読み物:旅に出る

2年前のG/Wはロシアのウラジオストクに出かけた。成田からのS7航空である。

その年のG/Wは4連休が取れ、自宅でゴロゴロして時間を浪費するのも馬鹿らしかったので、なんとなく航空券が安そうな場所を選んだ。

今年のG/Wは中国の杭州に出かけた。成田からのANAである。

世間は10連休だった今年のG/Wだが、僕は4連休。どこへ行くにも異様な高値だったが、自宅でゴロゴロして時間を浪費するのも馬鹿らしかったので、かなり探して航空券が安い場所を見付けた。

以前、知り合いのオッサンから、僕が頻繁に旅行に行くのは「休みになったら旅に出ないといけない」という強迫観念のせいではないかと指摘を受けた。

そうかもしれない。しかし旅行以外に4連休もの休みを潰す術がないのも事実である。

そもそも僕の場合は旅行が趣味なのだ。厳密には旅行の過程が趣味である。

あまり意識することはないが、旅行は複数のプロセスから成り立っている。と思う。

1. 行き先を探す → 2. 計画を立てる → 3. 予約をする → 4. 荷造りをして空港に行く → 5. 飛行機に乗る → 6. 目的地で過ごす → 7. 写真を撮る → 8. 帰りの飛行機に乗る → 9. 写真を整理する → 10. ブログを書く

一般的に旅行とは旅行先のアレコレを楽しむものである。すなわち6と7がメインのイベントだろう。

世の中には飛行機好きも一定数いるので、飛行機に乗っていること自体が好きなケースもありうる。僕の場合、数年前にギックリ腰になって以来、飛行機は苦行でしかない。5と8は無い方がいい。

僕が好きなのは、実は1から4である。

特に2と3、つまり計画と予約が好きだ。普通の観光地では満足できないので、ちょっと変わった場所を探したい。写真とブログを考えると旅行先の晴天率は気になるし、どこかを訪問するにしても、写真撮影を重視して時間帯を選びたい。全ての要素を妥協なく日程に落とし込み、なるべく現地ツアーに頼らず移動したい。

旅行の計画自体が趣味なのだとすると、たしかに知人オッサンの指摘通り、物理的な外出は強迫観念によるものかも知れない。

そんな僕の旅行気分のピークは空港に向かう途中である。せっかちなせいもあるが、空港往復には無駄に金をかけることが多い。成田空港であればスカイライナーに乗りたい。

計画だけで満足できるのであれば、予約直前で止めても良いのではないか。高揚感を得るためであれば、スカイライナーに乗るだけで良いのではないか。

究極のところ、全ての予約を入れ、スカイライナーで成田空港まで行けば、趣味的には十分である。スカイライナーに乗り、予約をキャンセルしながら成田空港まで往復すれば良いだろう。どう考えても迷惑な行為ではあるが。

非常識とか迷惑はさておいても、旅行の予約を入れて成田空港に行くだけでは、やっぱり人生の楽しみからは遠い。人生には無駄が必要であり、そのためにも物理的な旅行をしたい。旅に出るとは、人生に必要な無駄ということになる。

バカボンのパパのように「それでいいのだ」と納得してスカイライナーに乗った。今年のG/Wのピークだった。

とやまのおもいで

黒部峡谷の見学の後、富山市に向かった。途中の区間を北陸新幹線でショートカットする方法もあったが、地元経済に対して根拠のない貢献をしようと思い、地元の私鉄である富山地鉄に乗った。よく揺れる2両編成の特急電車で1時間ちょっとの旅である。

富山市でやりたいことは特にない。帰りを飛行機にしたので、そのために行ったようなものである。飛行機までの数時間どうしようか。

富山といえば富山湾だ。魚が美味いに違いない。寿司屋に行こう。

よくよく考えると、富山市出身の友人がいる。空港に行きやすく、日曜日の17時からやっている寿司屋を教えてもらうことにした。

すぐに返事がきたが、おすすめの寿司屋は回転寿司とのこと。富山の回転寿司は相当なレベルらしい。実家が行きつけだった寿司屋が廃業した後は、もっぱら回転寿司だそうである。

そうはいっても回転寿司は回転している。富山まで行くのだから、回転しない寿司屋がいい。しつこく友人に聞いたところ、総曲輪という繁華街にある老舗の寿司屋を教えてもらった。

予約の電話を入れるべく店のサイトを見た所、予約なし、アルコールなし、クレジットカードなし、だそうである。

アルコールなし!!??

そんなことが許されるのだろうか。

昔、高校生に「免許を取らせない」「バイクを買わせない」「バイクを運転させない」という「3ない運動」というのがあったらしい。何もなければ問題ないという、事なかれ主義的な非行防止の暴走族対策である。たぶん。

この店のルールも同じくらい取りつく島がない。いまや暴走族は減っているし、こっちはオッサンである。「3ない運動」みたいなのは昭和ぽい。関わりの中に問題解決を求める令和の時代には似合わないのではないか。オッサンには妥協の余地という物が必要である。

再度、友人に問い合わせたところ、その店で酒が飲めないのは昔からだそうである。やっぱり昭和的な気配が漂う。酔うと味覚が変わるという事らしいが。

ただし、この老舗には支店が2軒あり、そこでは酒が飲めるとのこと。予約ができ、カードも使えるらしい。支店は駅と空港の間にあり、地理的にも都合がいい。ここまで来ると、日本的な妥協というよりも、トランプ政権的なビッグディールではないだろうか。

当日は駅前からタクシーで寿司屋へ向かった。17時過ぎに着いて、空港に向かう19時前まで約100分。あまり混んでいなかったせいか、驚異のスピードで飛ばした。おつまみも寿司も結構な量を食べた。うまい。ビール1本、日本酒3合。粘っていたところ、最後に勝駒を出してもらった。富山は素晴らしい。

お店でタクシーを呼んでもらい、空港へ向かった。ちょっと早く着いたので空港ロビーで時間をつぶすが、あきらかに酔っぱらっていた。ここまで来て寝込んでいる場合ではないので、意味もなく歩き回る。搭乗までは無事に済んだものの、飛行機が動き出して30秒後には羽田に着地していた。そこから先、自宅までの道のりも相当に怪しい。

平成生まれの暴走族は減っているかもしれないが、昭和生まれの酔っぱらいは減っていない。昭和生まれのオッサンには「3ない運動」の精神が必要だと思った。