ばんこくのおもいで

約25年ぶりにタイのバンコクに行った。25年といえば、四半世紀である。僕がタイ料理を苦手にしているのは、以前のブログに書いた通りだ。それが四半世紀にわたり、僕のタイに関する記憶の大半を占めていた。

その他の僅かな記憶の一つが、空港から乗ったボロい列車の終点だったバンコク中央駅である。中央駅の再開発が行われるという記事を読んだので、列車に乗る予定はなかったが、駅に行ってみることにした。

バンコク中央駅の構内をウロウロと歩いてみたが、バンコクの発展から取り残されたような一角だ。約25年前から大して進化していないのではないだろうか。

それでも駅は記憶とは印象が異なっていた。昭和の上野駅のような物悲しい雰囲気だと思っていたのだが、おおらかな明るさがあった。「マイペンライ」的なタイの明るさなのだろう。

いずれにしても昔の記憶はアテにならない。

バンコク中央駅では古いターミナル駅の雰囲気を撮りたかったのだが、ホーム中央にイベント会場が設営されており、撮影には出直しが必要だった。

バンコク中央駅に行った以外は、最近のバンコクの人気スポットらしい、インスタ映えしそうな寺院を訪問した。僕にしては珍しく、普通の観光地である。写真はきれいに撮れたし、ピンクの象 (といっても神様なのだが) の置物も買った。

しかし、思い入れのない観光地というのは、それ以上でも、それ以下でもなく、あまり記憶に残らない。

今回のバンコク滞在で一番の記憶はドライバーである。前回の訪問から四半世紀たって、バンコクには新たな空港ができているが、いまだに空港タクシーは悪名が高い。今回はスワンナプーム空港からGrabを使ってみた。東南アジア版のUberである。

Grabドライバーのオッサンが素晴らしかった。

事前に調べた限りでは、空港からバンコク市内に至る高速道路には、数箇所の料金所があるらしい。タクシーの場合、料金所を通る度に実費を支払うのが基本のようだ。Grabも同じだろう。

バケツをひっくり返したような雨の午後だったが、このオッサンは空港から市内まで、すべての料金所を回避した。しかも渋滞を見事にすり抜け、時間のロスは殆どない。そして路地奥にあるホテルの前まで車をつけてくれた。バンコクの空港タクシーには期待していなかった事態である。

タイ料理が苦手なことを再認識させられたので、僕が次にバンコクに行くのがいつになるか想像もつかない。次も四半世紀後だとしたら、オッサンを通り越して、爺さんになっている。

それまでの間、タイ料理が苦手なことが記憶の大半を占めるのだろう。その他は、素晴らしいドライバーに乗せられて空港から市内に向かったこと、バンコク中央駅で良い写真を撮りそこなったこと位しか覚えていないのだろう。

次にバンコクへ行く頃には、再開発で中央駅が無くなっている可能性が高い。老化で僕の記憶が無くなっている可能性もある。

そう考えると、記憶が有るうちにバンコク中央駅を再訪できたのは良かった。自分の記憶がアテにならない事も分かったし。

これで僕のバンコクのブログも終わりだ。先日のウィーンのブログくらい意味のない内容になってしまった。

今年は食わず嫌いの克服に取り組み、いままで避けていた国や都市に行ってみた。ブログの地理的なレパートリーは広がったのではないだろうか。

来年は、苦手な都市をブログのネタにすることのできる、文筆力と観察力をつけようと思う。三流ブロガーの取り組みとしては、本来こちらが取るべき道であるはずだから。

たいのおもいで

中途半端な日程で東南アジアに行く用事が重なり、これ幸いとタイとベトナム行きの日程をネジネジしてみた。

今年の旅のテーマは食わず嫌いの解消であり、僕の最大の食わず嫌いはタイである。ただし厳密な意味で食わず嫌いというわけではない。25年ほど前、タイに行っているのだ。

その時は成田からのユナイテッド航空でバンコクのドンムアン空港に向かった。夕方過ぎに到着し、空港に隣接する駅から、タイ国鉄でバンコク中央駅に向かった。暗くて古い客車と、中央駅付近のスラムのような住宅密集地が衝撃的だった。

タイと僕の不幸な関係は、この夜に始まった。

安宿に着いた後、夜食のため屋台村に向かった。屋台に行ってみて分かったのだが、僕はタイ料理が苦手だった。そもそも辛いものは得意ではないが、それ以上に酸っぱいものがキライである。行く前に分かっているべきだったのかもしれないが、まったく分からずにタイに行っていた。

翌朝にはタイ料理を早々に諦め、それからはハードロックカフェとケンタッキーという無難なアメリカンコンビでタイ滞在を乗り切った。

その後の人生において、タイ旅行に全く興味がなかったわけではない。僕だって象に乗ってみたい。

しかしタイ料理が最大の難関になっていた。そして、約25年間、タイには一度も行っていない。これこそ食わず嫌いである。

今回は万全を期してタイに行こうと思った。

タイ料理を避ける。これにつきる。わざわざタクシーに乗ってまで、イタリア料理店などに行っていた。

そこまでしても、タイにいる限り、タイ料理の呪縛からは逃れられなかった。

世界で最も無難な食事のチョイスとしてマクドナルドに行ったのだが、敵はチキンマックナゲットに潜んでいた。マックナゲットといえば、バーベキューソースとマスタードソースという失敗なしの鉄板コンビと思いきや、出てきたのはチリソースと、緑色の甘酸っぱいソースだった。僕にはチリソースは辛すぎるし、甘酢っぱいという感覚は理解できない。

タイのマクドナルドにはフライドポテト用のケチャップが備え付けられており、チキンマックナゲットはケチャップで乗り切った。

食事問題はギリギリで回避したものの、思いがけないことに、まだ敵がいた。ホテルのアメニティが地元メーカーの製品だったのだ。

これ自体は素晴らしいことである。しかし、シャンプーもコンディショナーもボディソープも、ココナッツの香りが付いていた。

今まで気付かなかった事実だが、僕はココナッツの香りもキライらしい。

そういえば今回の旅行でタイ国内線に乗ったのだが、搭乗時にギャレーからの匂いでダメになりかけた。僕のタイ料理に対する苦手感の半分は嗅覚から来ているらしい。

約25年ぶりにタイに行ってみたが、タイ料理は予想以上にハードルが高かった。いまやタイ料理は食わず嫌いではなく、味覚的にも嗅覚的にもキライだと断言できる。

食わず嫌いのままの方が良かったのかもしれない。透明性を求める時代ではあるが、グレーゾーンでいた方が幸せなことも多いのだ。

どなうがわのおもいで

ブルガリア行きの航空券を取った後でウィーン市内観光について検討してみたが、どうにも国立図書館以外の選択肢は思い付かなかった。

色々と考えた挙句、ウィーンでの1日はドナウ川クルーズに出かけることにした。観光客向けのツアーは多数あるが、どうやらクルーズ自体は2社が同じルートを数往復しているだけのようだ。

自分で行けば気楽な旅になる。

調べてみると、オーストリア国鉄が往復の鉄道切符とクルーズ券をセットにして売っている。予約も要らないし、便利だ。

ホテルから地下鉄で国鉄駅に向かった。向かった先は近郊電車の始発駅である。始発駅と言っても、上野駅の常磐線ホームくらい味気ない。窓口でセット券を買って、折り返しの通勤電車に乗り込んだ。

終点でローカル線に乗り換え、最初の目的地であるデュルンシュタインに向かった。この街はウィーン近郊の宝石のような街という触れ込みで、そこには宝石のように美しい修道院があった。

ところで9月のウィーンはぶどうの収穫期であり、シュトルムのシーズンである。シュトルムとは、ワインになる前の微発泡の醸造酒だ。発酵途中ということもあり、定義上はワインの新酒ではないらしい。アルコール度数も低い。オーストリア人はアルコールにこだわりがないのか、せっかちなのか。

船に乗り込むと、まずはバーに行ってシュトルムを頼んだ。

デッキに上がってシュトルムを片手にドナウ川の景色を楽しむ。川沿いにブドウ畑が広がっている。ブドウ畑を見ながら、季節の葡萄酒を楽しむ。これ以上ない幸せである。

クルーズの終着地はメルクという街だった。この街にも豪華な修道院がある。

この日に見た修道院2箇所は、どちらも僕の修道院のイメージを覆す豪華さだった。

カトリックと正教会の違いだったり、オーストリア王家の寄付や庇護があったりするのだろうが、数日前までのブルガリア正教会の修道院とは違いすぎる。

これは良い悪いではない。実際、ブルガリアの修道院も、警備隊の一団を雇っていたほど羽振りが良かった時期があったらしい。

日本的な禅の価値観に慣れていると、質素でなければ修行できないと思いがちなのかもしれない。

いずれにしても、信仰や制度のあり方であり、他人が干渉するべきものではない。

そんなことを考えながら、超豪華な修道院を見て回った。

メルクの修道院から歩いて国鉄駅に向かう。修道院は街を見下ろす丘の上にあり、修道院から駅への道のりは、丘の上から把握していたつもりだった。

しかし途中で道に迷ってしまった。

30分に1本しかないウィーン方面行きの電車を目の前で乗り損なった。30分後にやってきた電車は途中駅で無駄に20分ほど止まり、結局、ウィーン到着時には1時間の無駄になった。

ウィーンの商店は閉まるのが早い。行こうと思っていたシャツ屋にはギリギリで間に合わず、ついつい入ってしまった地味な洋品店は地元の老舗だったらしい。値段を見ずに選んだところ、シャツ4枚で850ユーロほど。

出て行く金には淡白なのが江戸っ子の信仰であり、出て行く金にはケチをつけないのがクレジットカード制度である。

他人の信仰や制度のリスペクトという前に、自分自身をリスペクトしてツアーに参加していれば、こんなことにはならなかったかもしれない。