ごのうせんのおもいで

僕は温泉が好きだが、混んでいる温泉は苦手である。昨年、松山に行った際も、道後温泉本館は外から写真を撮るにとどめた。

昨今の情勢を考える中で思いついたのが、日本海岸の露天風呂が有名な「黄金崎不老ふ死温泉」である。青森県南部、五能線の沿線にある。

絶景の露天風呂らしいが、行ったことがある数名によると、入浴客数に対して露天風呂が小さいとのこと。つまり僕は行く時期を入念に選ぶ必要がある。

冬の金曜日というのは、混んだ温泉が苦手なサラリーマンにとっては唯一の選択肢だろう。それでも例年であれば団体客がいる可能性はあるが、今年は問題ないに違いない。

ちょっと無理をしてでも行ってみよう。

全く使えていないJALマイルを使って青森へ。青森空港から弘前方面へ向かうバスに乗り、途中の浪岡駅からローカル線を3本乗り継ぐと、最速で黄金崎不老ふ死温泉に到着できるようだ。

昭和の青森駅は雪の中だったらしいが、令和の青森空港は雨だった。連絡船はなくなり、地球は温暖化しているのだろう。

青森空港から浪岡までは弘南バス。バスは浪岡に止まるのだが、それは浪岡駅前ではなかった。街の中央らしい場所で降ろされてしまう。道路標識で駅の方向は分かるが、電車に間に合うかは定かではない。寒い雨の中、心が折れて泣きそうになる。

結局、駅までは遠いような近いような微妙な距離だった。無駄に焦っただけ、損した気分である。奥羽線に乗って、五能線の乗り換え駅である川部へ。ここから途中の深浦までの列車に乗る。はずだった。

強風の影響で、この日の列車は鯵ヶ沢までの運転らしい。心が折れて泣きそうになる。

一時はタクシー長距離乗車を覚悟したものの、鯵ヶ沢から深浦までは代行バスが運行されていた。無駄に焦っただけ、損した気分である。

深浦から再び五能線の列車に乗り、宿には予定通りに着いた。

五能線に乗っているだけでも相当な田舎だが、黄金崎不老ふ死温泉まで来ると、ほとんど地の果てである。周囲には小さな漁港と灯台があるだけだ。そして冬の荒れた海。YouTubeで石川さゆりを聞き、サビをハモる。

しばらくすると奇跡的に晴れてきた。

いそいそと露天風呂に向かった。ポスターなどで良く使われている、海に近い露天風呂は使用中止とのこと。使用していないのであれば、露天風呂の写真を撮っても問題ないだろう。ある意味、一石二鳥である。

隣の露天風呂が混浴で利用可能だった。こちらは少し高い場所にあるが、それでも十分に海に近い。

露天風呂には、ビールを隠し持っている、お茶目な地元の兄ちゃんがいるだけだった。この兄ちゃんと二人、日没前に1時間くらい温泉につかっていた。

兄ちゃんによると、冬は人が少なくてベストとのこと。この日は18時頃が満潮らしく、波も見応えのある良いタイミングだそうだ。たしかに、たまに大波がやってくる。二人で仲良く波をかぶった。

日没時間帯になるにつれ、ふたたび曇りがちとなり、太陽が隠れてしまった。他の入浴客が増え始めたこともあり、海沿い露天風呂から撤退することにした。

短時間ながら、非常に楽しめた時間だった。何度か心が折れかかったが、このためだけでも来て良かったと思った。

あきたないりくせんのおもいで

秋田内陸線というローカル線がある。正式には、秋田内陸縦貫鉄道。渋い名前の鉄道会社である。

この路線に「阿仁マタギ」という、ちょっとすごい名前の駅がある。そこに打当温泉という温泉があって、行ってみたかったのだ。

秋田県の大館というだけでマイナーな地方都市だと思うのだが、その大館から数駅ほど西に進んだ、鷹巣という駅からの出発である。出発駅はマイナー過ぎるし、マタギと付く駅名もあるくらいなので、どんな山奥を走る路線なのかと思っていた。

列車は途中まで阿仁川に沿って走った。意外に谷は深くない、なんとも穏やかな風景である。

僕が乗った普通列車は途中の阿仁合という駅で乗り継ぎになった。ここからが本格的な山岳風景になるようだ。阿仁合駅を出て少し先の鉄橋上で、列車は徐行運転してくれた。かなりの絶景である。

鷹巣から1時間半ちょっとで、阿仁マタギ駅に着いた。いわゆる秘境駅の類かと思ったが、道路もあるし、それなりに平地もある。それでも十分に山奥だけど。

予約しておいた送迎車が駅前に来てくれており、それに乗って温泉へ向かった。日帰り入浴でも迎えに来てくれるのは、大変ありがたい。

日曜だったが、風呂場には地元の爺ちゃんが数人いるくらいである。のんびりと露天風呂に入っていると、徐々に天候が悪化、吹雪になってきた。風情はあるのだが、帰りが心配になり始める。

温泉入浴の後、阿仁マタギ駅から更に秋田内陸線を進み、角館まで出ることにしていた。ANAの無料航空券を取っていたので、角館駅 > 秋田駅 > 秋田空港 > 羽田空港というアホみたいなルートで東京に戻る予定にしていた。どこかで遅延が生じると秋田県内でスタックするし、翌日も荒天のようなので、この予定は挫折。角館から東京行きの秋田新幹線に乗ることにした。

温泉のロビーで送迎車を待ちつつ、JR東日本サイトから新幹線チケットを予約。運行情報を見ると、どうやら当日は運行するようだが、翌朝は早々に運休が決まっていた。こういう時は1本でも早い新幹線で帰る方がベターなのだろうが、角館で夜の武家屋敷を見に行く時間を取った。転んでもタダでは起きたくない。

送迎車で阿仁マタギ駅に戻ると、2時間ほど前に列車を降りた時とは異なる風景になっていた。角館に向けて、吹雪の夕闇をディーゼル列車が走る。こういう夜は、力強い走行音が頼もしい。

地方鉄道の経営は厳しいと思うが、なんとか走り続けてほしい路線である。

えひめのおもいで

僕の愛媛に関する知識は、夏目漱石の「坊ちゃん」くらいしかなかった。文学をたしなむ習慣はないので、国語の教材で少し読んだ程度なのだが。

旅行前に愛媛について調べてみたところ、城下町や宿場町などの古い街が意外に多いようだ。内子が有名だが、伊予大洲や卯之町にも古い街並みが残っている。ちょうど松山・宇和島間の予讃線でカバーできるので、立ち寄ってみることにした。たまたま紅葉の時期だったせいもあり、伊予大洲の臥龍山荘が予想外に良かった。

しかし愛媛といえば、一般的には古い街よりも「みかん」だろう。蛇口式みかんジュース販売が有名だったりするが、それだけではなかった。ちょっとオシャレな店に行くと、みかんの品種ごとにジュースを売り分けている。店によっては、かなり種類が多い。

これが全く分からない。

ワインだとブドウの品種などで違いが出るのだろうが、みかんジュースも同じなのだろうか。メニューには品種ごとに味の解説が付いており、甘いだとか酸っぱいだとかは分かるようになっている。しかし、ワインラベルの解説と同じく、いまいちピンと来ない。僕はボンクラなのだろうか。

今まで僕は40年以上にわたり、みかんはみかん、として生きてきた。みかんもミカンも蜜柑も同じである。それが今になって、みかんの種類が違うと言われても困ってしまう。しかも品種によって値段が違うのである。

よくよく考えると、鯛めしも「宇和島方式」と「松山方式」の二種類あるし、愛媛は難しそうな場所である。

みかんジュースをモルトウイスキーだと考えれば、僕にも分かりやすいのかもしれない。モルトウイスキーは、精麦方法、蒸留器の形、蒸留回数、樽の種類、アルコール度数、熟成年数など製造工程の違いにより、異なる味の液体が生み出される。そのような品質の違いが、値段の違いでもある。

それこそが「こだわり」というやつである。語り出すとキリがないが、かなり鬱陶しい。

こだわるのはウイスキーだけにしようと思った。みかんはミカンで蜜柑が丁度いい。

それでも一度だけ、みかんにこだわってみたい。松山空港には、みかんジュース専門店がある。そこで「みきゃん」というキャラクターの付いた高級みかんジュースを買って飲んだ。ボンクラな僕は、飛行機に乗った頃には既に品種名を忘れてしまっていたのだが。

夏目漱石の名作といえば「吾輩は猫である」だが、みきゃんは犬である。愛媛と「吾輩は猫である」は関係ないらしい。

ボンクラな僕には愛媛も文学も難しい。