はこねのおもいで

はこねのおもいで

箱根の山は天下の嶮だが、神奈川県である。

東京出身なので、箱根には何度か行ったことがある。とは言うものの、思い返してみても、旅行先として箱根に心を引かれた記憶はない。むしろ20年ほど横浜で働いており、わざわざ休日に神奈川県へ行く行為自体を避けていたのだ。

そもそも箱根とは難儀しながら通り抜ける場所ではないだろうか。つまり箱根は旅の手段であり、旅の目的ではない。手段が目的化することは少なからずあるが、箱根で何をすべきか分からない。

登山電車に乗って強羅へ行き、そこからケーブルカーとロープウェイで大涌谷に行き、更に芦ノ湖まで降りたら、あとはどうすれば良いのか。小田急グループの箱根ゴールデンコースに従って、芦ノ湖の遊覧船に乗った後、箱根湯本に戻るべきだろうか。それとも昔の人みたいに関所を通ってから、三島方面に向かうべきなのだろうか。

いずれにしても、現代の箱根には「混んでいる場所」というイメージしかない。箱根湯本まではロマンスカーが快走しているが、そこから先は瀧廉太郎の歌の通り、萬丈の山、千仞の谷が立ちはだかる。登山電車にしても、バスにしても、輸送力が需要に追い付いていないように思える。

いまやCOVID-19時代である。近場をエンジョイするのも大事だろう。神奈川県にあるという理由で、箱根を避けるのもどうかと思う。

混雑を避けるため、週末を少しずらし、日曜~月曜の日程で箱根に行ってみることにした。

日曜の午後、電車が箱根湯本駅に着くと、駅前には長蛇の列ができていた。箱根湯本の隣、塔ノ沢に泊まることにしていたのだが、塔ノ沢駅から遠い宿をとってしまったので、箱根湯本駅前からバスかタクシーに乗るしかない。登山電車で1駅半ほどの距離であり、さっさとタクシーで行ってしまいたい。駅から見えた行列がタクシー待ちの列と思い、絶望感を覚えた。やっぱり箱根には苦手意識しかない。

乗り場に行ってみると、どうやら長蛇の列はバス停の行列だったようで、幸いにも待たずにタクシー乗車。せっかく箱根に来たのに登山電車には乗れなかったが、混雑したであろうバスは回避できた。結果的に立地の選択としては正解なのではないかと思いつつ、宿には10分くらいで到着した。

一方、反対側の車線、上り方向は大渋滞だった。さすがに休日の午後である。塔ノ沢で僕を下したドライバーさんは、この渋滞の中を箱根湯本に戻るのか、すいている強羅方面に向かうと一勝負あるのか。興味はあったが、あまりにも申し訳なくて聞けずに終わった。

箱根は、萬丈の山を登山電車が登り、千仞の谷が幻想的な風景を創り出している地である。その自然の営みに目を向けると、雲は山を巡り、霧は谷を閉ざして幻想的な世界を織りなす。箱根湯本駅前の長蛇の列と、国道の渋滞さえ見なければ、まさに歌の通りの世界だ。

週末を1日ずらしたのが正解だったのか、名所などの観光を全てギブアップしたのが良かったのか、はたまた滞在した宿のマジックか、帰りのロマンスカーに乗るまでは別世界だった。箱根湯本でロマンスカーに乗って15分後、小田原駅で東海道線のJR車両を見て、現実に戻った。魔法が解けるのが早過ぎる。

やっぱり箱根の山は神奈川県である。

旅のしおり:箱根

計画の余地は極めて少ない、ほぼ単純往復。

1日目

横浜 >> 小田原 >> 箱根湯本

宿泊:金乃竹 塔ノ沢

1日目Tips
・昼食は小田原おでん。定番のタネは地元の練り物屋さん各社1品ずつ (?) のローカルブランドらしい。さすが蒲鉾の名産地である。
・敷地の入口から登山電車の鉄橋が見えるという理由で見付けた温泉宿。鉄橋も宿も素晴らしい。

2日目

箱根湯本 (ロマンスカー) >> 町田 >> 横浜

2日目Tips
・子供の頃に乗りたかったなぁと思って、発売日10時にロマンスカー1列目をゲット。

おいらせけいりゅうのおもいで

黄金崎不老ふ死温泉の後は、五能線に乗って青森に戻り、奥入瀬渓流に向かった。

宿泊は星野リゾートである。冬季は短時間ながら夜景のライトアップに連れて行ってもらえるらしい。昼間も似たような小ツアーがあるとのこと。ここ数年、まったく車の運転をしていない僕である。こういうサービスは素晴らしい。

青森駅前から奥入瀬まで、ホテルの無料送迎バスが運行されている。片道2時間ほどなので、どこぞの温泉旅館のハイエースで最寄り駅まで送迎してもらうのとは桁が違う。これに乗り遅れると、非常に悲しい運命になってしまう。ホテルからの帰りも、送迎バスが遅れて飛行機に乗り遅れると痛手が大きい。降雪などで列車やバスが遅延するリスクなどを考えて、ゆとりある乗り継ぎスケジュールにした。

結果的に青森駅で時間つぶしが2回。せっかちなオッサンだけに、ちょっとツライ時間である。喫茶店で時間を潰すということが、僕には苦行でしかないのだ。

初回の時間つぶしは青森駅前にある「ねぶたの家 ワ・ラッセ」に行った。人混みが苦手なので、普段は地元の祭りすら行ったことがない。ねぶた開催中に僕が青森へ行く可能性はゼロと思われる。ゆっくり見られるのは有難い。

奥入瀬からの戻り、2回目の青森駅時間つぶしは「棟方志功記念館」に行ってみることにした。この日は吹雪だったので市内バスの利用は諦め、青森駅前からタクシーに乗った。

タクシードライバーは爺ちゃんだった。記念館に着く前に話しかけられたが、バリバリの津軽弁である。かなり手ごわい。

失礼にならないように聞き直したところ、記念館の後はどこに行くんだ、という質問だった。記念館のあたりにはタクシーがいないので、見学終了まで待っていてくれる、とのこと。だと思う。

意思疎通は出来ていたようで、30分ほど記念館の近くで待ってもらい、同じ爺ちゃんの車に乗って駅まで戻れた。

この爺ちゃんは昨今の客減少でヒマだったのか、そもそもノリがいいのか、帰り道は色々と話した。

苦労して聞いていると、僕の母親と1歳違いだそうである。津軽半島にある今別の出身だそうで、青森県外に住んだことは無いらしい。つまり70代半ばの完全なる津軽人ということになる。たぶん短期の観光客が遭遇する津軽弁としては最難関だろう。

15分くらい話していたと思うが、理解できた内容は半分ほどしかない。理解したとは言うものの、聞き取れた単語と文脈からの想像に頼っていた。残りの半分は、内容の大まかな予想を元に、差し障りのなさそうな返事を繰り返すしかない。

海外のタクシーでは起こりうる事態だが、こんな目に日本で遭うとは想定外である。

19歳くらいの夏休み、アメリカで最初に行った街はテキサス州ヒューストンだった。いわゆるテキサスなまりの本場である。数日のホームスティだったせいで大勢のテキサス人と話すことになったのだが、到着した当日から英語ヒアリング力のなさに絶望した。いわゆるカルチャーショックと言うやつだろう。ほぼ四半世紀たち、青森でも同じような心持ちになった。

オッサンになっても、旅先で文化的衝撃を受けられるのは素晴らしい。そうは言うものの、疲れ果ててタクシーを降りた。

ごのうせんのおもいで

僕は温泉が好きだが、混んでいる温泉は苦手である。昨年、松山に行った際も、道後温泉本館は外から写真を撮るにとどめた。

昨今の情勢を考える中で思いついたのが、日本海岸の露天風呂が有名な「黄金崎不老ふ死温泉」である。青森県南部、五能線の沿線にある。

絶景の露天風呂らしいが、行ったことがある数名によると、入浴客数に対して露天風呂が小さいとのこと。つまり僕は行く時期を入念に選ぶ必要がある。

冬の金曜日というのは、混んだ温泉が苦手なサラリーマンにとっては唯一の選択肢だろう。それでも例年であれば団体客がいる可能性はあるが、今年は問題ないに違いない。

ちょっと無理をしてでも行ってみよう。

全く使えていないJALマイルを使って青森へ。青森空港から弘前方面へ向かうバスに乗り、途中の浪岡駅からローカル線を3本乗り継ぐと、最速で黄金崎不老ふ死温泉に到着できるようだ。

昭和の青森駅は雪の中だったらしいが、令和の青森空港は雨だった。連絡船はなくなり、地球は温暖化しているのだろう。

青森空港から浪岡までは弘南バス。バスは浪岡に止まるのだが、それは浪岡駅前ではなかった。街の中央らしい場所で降ろされてしまう。道路標識で駅の方向は分かるが、電車に間に合うかは定かではない。寒い雨の中、心が折れて泣きそうになる。

結局、駅までは遠いような近いような微妙な距離だった。無駄に焦っただけ、損した気分である。奥羽線に乗って、五能線の乗り換え駅である川部へ。ここから途中の深浦までの列車に乗る。はずだった。

強風の影響で、この日の列車は鯵ヶ沢までの運転らしい。心が折れて泣きそうになる。

一時はタクシー長距離乗車を覚悟したものの、鯵ヶ沢から深浦までは代行バスが運行されていた。無駄に焦っただけ、損した気分である。

深浦から再び五能線の列車に乗り、宿には予定通りに着いた。

五能線に乗っているだけでも相当な田舎だが、黄金崎不老ふ死温泉まで来ると、ほとんど地の果てである。周囲には小さな漁港と灯台があるだけだ。そして冬の荒れた海。YouTubeで石川さゆりを聞き、サビをハモる。

しばらくすると奇跡的に晴れてきた。

いそいそと露天風呂に向かった。ポスターなどで良く使われている、海に近い露天風呂は使用中止とのこと。使用していないのであれば、露天風呂の写真を撮っても問題ないだろう。ある意味、一石二鳥である。

隣の露天風呂が混浴で利用可能だった。こちらは少し高い場所にあるが、それでも十分に海に近い。

露天風呂には、ビールを隠し持っている、お茶目な地元の兄ちゃんがいるだけだった。この兄ちゃんと二人、日没前に1時間くらい温泉につかっていた。

兄ちゃんによると、冬は人が少なくてベストとのこと。この日は18時頃が満潮らしく、波も見応えのある良いタイミングだそうだ。たしかに、たまに大波がやってくる。二人で仲良く波をかぶった。

日没時間帯になるにつれ、ふたたび曇りがちとなり、太陽が隠れてしまった。他の入浴客が増え始めたこともあり、海沿い露天風呂から撤退することにした。

短時間ながら、非常に楽しめた時間だった。何度か心が折れかかったが、このためだけでも来て良かったと思った。