ねんがじょう

ここ数年、受け取る年賀状の枚数を基準として自分の価値を数値化し、最大化する取り組みを続けていた。それも限界を迎えつつあるのかもしれない。

基本的に年末年始は仕事になるのだが、今年は曜日の関係で4〜6日程度の休みが取れそうだった。長い休みを無駄にするのはもったいない。

休みは未確定だったが、1月1日出発でアモイ行きの航空券を取った。かなり確実な見込み、と言うやつである。確信犯とも言うが。

しかし世の中そんなに上手く行くはずもなく、航空券を取った翌週、12月に深圳出張の予定が入ってしまった。僕の手際が良すぎるのか、僕の会社の手際が悪すぎるのか。

世間で言われる通り、中国はキャッシュレス社会だ。

スマホのアプリでサクッと支払と受取ができる。深圳で会った中国人スタッフいわく、半年以上、現金を持ったことがないらしい。中国は偽札が多く、リスク回避の側面からも好ましいとのこと。

アプリは銀行口座とリンクしており、キャッシュレスを推進する政府の側でも、取引の可視化を進め、税金の取りはぐれを減らせるメリットがあるのだろう。

プライバシーに関わる懸念はあるが、便利さという意味では最強である。

一方、現金を維持する社会的なコストも削減できる筈だ。

原材料となる紙や金属の調達費用、偽造防止技術を取り入れた印刷などに関わる制作費用、物理的な移動やATMなどの流通費用、それに諸々の管理費用、最後に廃棄費用。現金そのものの価値は社会的・経済的に合意されているが、その合意の裏側では現金を維持するために膨大なコストがかかっている。

アナログな制度は金がかかる。

いまやIT社会なのだから、リスク分析をふまえた上で、現行制度を再検討する頃合いなのかもしれない。現時点で何も問題ないからと言って、現状維持で良いとは限らないのだ。常にプロセスを見直し、最適化していく必要がある。

僕の年賀状も同じではないだろうか。

年末になると郵便局はアルバイト募集をしているし、職員への過剰な販売ノルマ疑惑もある。日本郵便は本当に年賀状で儲かっているのだろうか。実質的には無意味とも言える一時的な高需要を満たすために、どれだけの経費を費やしているのか。輸送実績と売上を嵩上げする手段になってはいないだろうか。

年賀状はスマホのアプリでサクッと発送と受取ができれば良い。来年は年賀状をペーパーレス化する事を考えてみよう。

ただし葉書をペーパーレス化したら、それは単なる電子メールではないかという合理的な疑いは残るし、そもそも年賀状を出さなかった時代に逆戻りである。以前に指摘した通り、年賀状とはギブ・アンド・テイクであり、ペーパーレス化によって僕自身の価値を下げてしまう可能性が高い。

いかにペーパーレス化のリスクをヘッジするか。今年一年かけて、この問題を解決する必要がある。

たいのおもいで

毎年、年末年始は仕事になり、1月に代休を取って旅に出ている。

今年はベトナムのダナンに行こうと思った。マイルを貯めることを前提に航空会社を選ぶが、しっくりこないスケジュールになった。ダナン滞在だけを考えると効率の良い日程なのだが、移動中あちこちで数時間ずつ無駄な待ち時間が出てしまう。休みに余裕があったので、行きをホーチミンシティー経由、帰りをバンコク経由にして、帰りのバンコクで一泊することにした。人生の大半を非計画的に過ごしているが、休みと旅行に関しては極めて計画的であり、昨年の秋には航空券の予約も済ませていた。

思い起こせば、初めて海外へ一人旅に行った先がタイだった。水上マーケットを見に行ったのだ。いまから25年ほど前のことである。

ところで僕のブログではタイに関する記述は極めて少ない。中国語圏を除くと、アジアの訪問先としては、ベトナムマレーシアシンガポールスリランカくらいだろう。飛行機の乗り継ぎにしても、シンガポールか香港にしている。旅行には頻繁に出かけているが、今回が人生で二回目のタイである。実際のところ、僕は注意深くタイを避けてきたのだ。

タイを避けていたのには理由がある。

そもそもタイ料理が苦手である。辛いものは得意ではないし、酸味の強い味付けは嫌いだ。甘酸っぱいという感覚は、味覚にしても、恋にしても、青春の思い出にしても、理解できない (表記上も「甘酢」の後に小さい「っ」を入れるべきなのか分からない。やはり理解できない感覚である)。

タイ料理についての知識がないままタイに行ったので、約25年前のタイ訪問時には初日の屋台で挫折し、結局、タイでの食事の大半をケンタッキーとハードロックカフェで済ませていた。

ケンタッキーでは二回目の食事の後にトイレを詰まらせ、逃げるように店を出た。ハードロックカフェは三回くらい行っても失敗なかったが、ハンバーガーばかり食べていてはアジア旅行をしたと言えないと思い、最終日は別の店にチャーハンを食べに行った。あの頃は未成年であり、チャーハンやカレーにグローバルな多様性があると知る前だった。今から思えば無駄な努力である。結局、ナンプラーもパクチーもイヤだった思い出を最後に、タイを去った。

その約25年前、タイに行ったのは9月くらいだったのだが、タイに着いて分かったことは、タイには雨季というものがあり、雨季は水上マーケットが休みとのことだった。僕の非計画的な人生において、この失敗が計画性の重要さを認識する第一段階になった。その後、休みと旅行に関しては計画的なオッサンに成長したが、それ以外の分野には計画性は拡大しないままである。

その後、改めて調べたところ、水上マーケットはバンコクから遠いので早朝から出かける必要があり、交通が不便なせいもあって、苦手な現地ツアーに参加しなくてはいけないらしい。約25年前の水上マーケットはローカル感の残る観光地だったのかもしれないが、既に水上マーケットは完全に観光地化されてしまっていた。旅行先で地元の市場に行くのは好きだが、観光地になった市場は最悪である。

つまるところ、僕にとってのタイとは、料理は苦手で、見たい所も実質的に無くなってしまった国である。故に僕はタイを避け続けていた。

今回、ベトナムからはスワンナプーム国際空港に着く予定である。この空港は約25年前には存在していなかった。前回は、成田から以遠権を使って飛ばしていたユナイテッド航空に乗ってドンムアン空港に着いたのだ。ノースウエスト航空と並んで、当時の直行便の最安だった思う。今時ならアジア系のLCCに乗っている筈だが。

当時からバンコクのタクシーは悪名高く、そもそも旅行自体がバックパッカーだったので、空港脇からボロい国鉄に乗って、バンコク市内のフワランポーン駅 (バンコク中央駅) に行った。バンコクには地下鉄もスカイトレインも無い時代であり、フワランポーン駅から歩いて宿に向かったのだろうか。そのフワランポーン駅には廃止の話があるようなので、今のうちに僕のタイの原点を見ておきたい。

こうやって思い出してみると、やっぱりアジアの25年は変化が大きい。

そんなブログを書こうと思っていたのだが、去年の11月末あたりから会社が異様に忙しく、結局、代休ダナン計画を挫折することになってしまった。休みと旅行に関してだけ計画的なのも考えものである。そのまま休まないのも癪なので、半日休みを捻出して建国記念日と組み合わせ、3.5日間の休みを創出した。この日程では元々の予定のダナンとタイは厳しい。ダナンは春くらいに仕切りなおすことにして、今回は行き先をシンガポールに変更した。タイは・・・このまま挫折だろうか。

僕にとってタイへの道程は遠い。

ねんがじょう

キューバには二種類の通貨がある。キューバ人が使う人民ペソと、外国人用の兌換ペソである。

僕の場合は酒を例に取るしかないのだが、キューバの国営商店に行くと、アルコール34度くらいの国内向けのラムが1本 (= 700~750mlボトル) = 50〜70人民ペソくらいで売られている。国定価格なのだろう。公定レートが24人民ペソ = 1兌換ペソなので、ラム1本が2〜3兌換ペソということになる。ちなみに、1兌換ペソ = 1米ドル = 110円程度であり、すなわち1人民ペソ = 約4.5円である。

一方、ハバナでキューバ人が集う地元バーに行くと、店には値段を記したボードがあり、これによると1杯 = 3兌換ペソである。定価表が兌換ペソでの表記なので、たぶん外貨ショップという扱いなのだろうが、外国人は全く見かけない。アル中気味のキューバ人による、アル中気味のキューバ人のための、ハードボイルドなバーである。

それはさておき、定価が3兌換ペソだから、公定レートでは72人民ペソの筈だか、店で行き交う人民ペソを見ていると、そんな額を払っている様子はない。そもそもラム1本が60人民ペソ程度なのだ。おそらく実勢価格としては、コップ1杯 (= ショットグラス2杯分) が10〜15人民ペソくらいではないだろうか。

実際、僕が3兌換ペソ払うと、最低1回おかわり無料で、しかもバーテンダーがニコニコ笑ってタダ酒を飲んでいる外国人用バスの二重価格を通り越した、いわば三重価格ではないだろうか。それでも表面上は定価であり、おかわりもついており、ボッタクリのような、そうでもないような、なんとも不思議な料金体系である。

今年の年賀状を見て、このバーの料金体系を思い出した。

去年は飲食店を除くと年賀状が4枚届き、その全てに返信した。去年は年賀状が1枚52円だったので、去年の僕の価値は208円である。

今年から年賀状が62円になっている。過去数年の分析から分かる通り、僕に年賀状を送ってくれる人々は極めて義理堅い人々である。去年は僕の方から返事を出していることもあり、郵便料金の値上げに関わらず、今年も届く筈である。しかも今年は新規の年賀状を受け取っており、年賀状が5枚届いたと考えて良い。

故に今年の僕の価値は62円 x 5枚 = 310円である。年賀状の枚数という価値基準では25%増であるが、貨幣価値にすると約5割増になる。

キューバのアル中バーのような貨幣価値のマジックである。あのバーでも1杯おかわり無料として還元してくれたのだ。僕がボッタクリではない以上、何らかの形で還元したい。

僕も1枚おかわり無料にしようかと思った。しかし唐突に同じ年賀状2枚を送りつけられても、単なる発送時の手違いとして処分される可能性が高い。還元方法としては分かりにくいのではないか。悩ましい。

分かりやすい形での還元として、今年は年賀状を封書にしようかとも思った。いわば年賀手紙である。しかし、新手のストーカーかと気味悪がられ、つなぎとめていた数少ない年賀状の枚数が減ってしまう可能性がある。悩ましい。

結局、個々の送り主への還元策は見つからなかった。バーのおかわり無料は喜ばしいが、どう考えても年賀状のおかわり無料は喜ばしくない。

経済学的な観点から、ステークホルダーに還元できない利益は、積極的に投資に回すのが、あるべき資本主義の姿だと思う。経済活動には波及効果があり、投資によって経済全体に好影響を及ぼせるからである。

しかし、新規の投資先がないのが悲しい現実である。一昨年、ニューディール政策のような年賀状の巨大投資を行っており、11枚もの年賀状を出しているのだ。おかげで年賀状2枚 (当時のレートで108円相当) というデフレ人生の脱却に成功したが、もはや既に脈がないと分かっている投資先しか残っていないのである。

最近、大手企業の内部留保の溜め込みが批判の対象となっている。結局、大手企業も僕と同じように、既にダメと分かっている投資先しか見えていないのではないだろうか。平成が終わるにあたり、新しい発想で投資を始める必要があるのではないか。

一瞬、極めてマトモなことを思ったものの、僕がキューバで学んだのは、そんなことではない。今年の僕は、三重価格制の影響で、二重の不労所得を得たのと同じである。キューバのバーテンダーのように、ニコニコ笑ってタダ酒を飲もう。笑う門には福が来るのだ。