ねんがじょう

何年も年賀状を出さず、返信すらしない状況が続いていたところ、年賀状を受け取る枚数が減り続けた。2015年の正月で4枚だった。

2016年の正月には年賀状を出そうとは思ったものの、2015年中は実行力のないまま、気付くと元日になっていた。受け取った年賀状は4枚から更に減って2枚になってしまった (ブログを書いた後で1枚届いたのだ)。

いまや104円の価値しかないオッサンである。このままでいいのだろうか。

昨年で40歳になった。よくよく思い出してみると、最後に年賀状を出したのは20歳の時である。20年目の節目の年。

2017年こそは年賀状を出そう。

固い決意のもと、郵便局に行って年賀状を購入した。そして日本郵便のサイトから年賀状ソフトをダウンロードした。準備万端である。

年賀状を作るにあたり、改めて住所録を見た。基本的に社交性のない性格をしているため、そもそも住所録に記載されている人数が少ないが、住所を知っている人は更に少ない。

現住所が正しいか心もとない人を含めて、こちらから出せる年賀状の枚数は11枚しかない。こんなことなら、出そうと思わなかった方が良かったのではないか。

とは言うものの、既に年賀状を購入しており、年賀状を出す行為自体が大事であると自分に言い聞かせる。

本文を書き、写真を選び、いよいよプリントである。普通に印刷すれば何とかなると思っていたが、何度やっても宛名の印刷位置がズレる。郵便番号枠のせいである。11枚しか出さないのに、4枚も無駄にしてしまった。なんとも不効率なオッサンである。

どこかで見た統計によると、男性の平均寿命は80.75歳とのことである。統計的には人生の半分が終わってしまった。

子供の頃、「不言実行」が男の美徳であると言われ続けていた。裏を返せば「有言不実行」な子供だったのである。そのままオッサンになってしまった。

後半の人生、不効率でもいいから、せめて「有言実行」を目指そうと思った。

きかんしゃのおもいで

夏に日帰りで人吉へSLに乗りに行った。

いくら飛行機での往復とはいえ、やっぱり九州は遠い。日帰りでは、焼酎蔵を巡り、温泉に入ることはできなかったのである。しかも、行きのSLでは朝食の弁当が売り切れており、氷を買いそびれたせいで帰りのSL車内では焼酎を飲めずに終わってしまった。

やや後悔の残る旅だった。

人生に後悔はつきものであり、失われた時間は取り返せない。しかし後悔だけで終わらせて良いものだろうか。

10月に再び人吉へ出かけた。

朝一番のJALの熊本行きに乗り、SLを目指す。前回も同じ朝一番のフライトだったので高を括っていたら、いつの間にかフライトのスケジュールが20分ほど遅くなっていた。これでは空港からバスではSLに間に合わない。諦めて空港からタクシーに乗った。

熊本という街は、空港も駅も街の中心から離れており、しかも空港と駅とは街を挟んで反対側といってもいいような場所にある。そんなことは全く知らなかったのだが、朝の熊本は渋滞しており、タクシーの中でイライラしながら何度もGoogle Mapを見たのだ。もともとバスで間に合わないような時間なのに、しかしタクシーに乗っても渋滞している。人生は困難に満ちている。

9時45分発のSLにもかかわらず、駅に着いたのは9時35分だった。それから指定席販売機でチケットを引き取り、走ってSLのホームに向かう。こういう時に限って指定席販売機を使いこなせないオッサンがおり、しかもホームが実に遠い。それでも、なんとか9時43分頃に乗車できた。挫折寸前ではあったが、人生なんとかなるものである。

最初こそハラハラしたが、その後は計画通りに事が運んだ。行きの列車では弁当を購入でき、帰りの列車では氷を持ち込んで焼酎を飲んだ。諦めなければ、人生やり直しがきくものだ。

今年で40歳のオッサンである。そろそろ人生の折り返し地点ということになるだろう。「まだ半分もある」のか「もう半分しかない」のかは微妙なところであるが、残り半分は少し前向きに生きていこうと思った。

ひとよしのおもいで

毎年、友達オッサンと旅行に出かけている。しかし、昨年、キューバに行ったところで燃え尽きたようで、今年はイマイチ盛り上がらなかった。

よくよく考えると、そのオッサンと旅に出始めたのは、バーで酔っ払った勢いで、キューバに行こうという話になったせいである。

その翌年、なぜかサンフランシスコに行き、その後は香港マレーシア台湾と、アジア方面でお茶を濁していた。そんな幾星霜を経て、ついにキューバに到達したのである。

キューバ行きでオッサン達のミッションは完了だったのではないか。そもそも酒場での話は実現しないものと相場が決まっているが、それにも関わらず実現したのだ。

そこで終わるのが美しい。

とはいうものの、習慣というものは継続性が重要である。習慣を継続するうち、それは文化へと昇華する。

文化を築き、そして後世に残すべく、盛り上がりに欠くなかでも継続性を維持しようと思い、今年は日本国内に出かけることにした。

行先は人吉である。温泉があり、SLも走っている。球磨焼酎もあるし、球磨川で川下りができる。オッサン達には遊園地のような場所ではないだろうか。ビールと焼酎を買い込んでSLに乗り、焼酎蔵を訪ね、温泉宿で更に焼酎を飲みながらグダグダしていた。

オッサン二人が座敷でグダグダしている様からは、文化が生まれそうな気配は感じられない。悪習という文字が頭をよぎる。悪臭も仄かに匂う。

たしかに文化創造への道のりは長いが、しかし、それを目指して継続してみよう。このまま燃え尽きても、カスしか残らないので。