にゅーよーくのおもいで

写真: エグゼクティブの街New York、空の旅 (イメージ)

キューバの帰りにニューヨークに立ち寄った。八百屋でキューリを買った帰り、ふらりと銭湯へ入浴に立ち寄る塩梅である。

入浴の後で東京に帰ってくるとなると、午後にNYを出て、翌日の夕方〜夜に東京に着く直行便が簡単な選択肢ということになる。時間的に一番遅いのがANAで18時発。これだと15時くらいにマンハッタンを出れば何とかなりそうである。

しかし僕のNY滞在はエグゼクティブなみに短い。金曜日の夕方にNYに着き、その翌日には帰らなくてはいけない。世の中にはNYに1泊もすれば、3つくらい企業を買収した上に、クールなパーティーでウハウハできるタフな人もいるのだろう。しかし、僕の場合、正味24時間のNY滞在で、夕食、飲酒の後、シャツやら靴やら地下鉄路線図の柄のコースターやらの買い物を3件もこなすほど、タフではない。

タフではなくても、エグゼクティブならプライベートジェットをチャーターということになるのだろうが、たぶん高くつくのだろうし、どうやって予約すればいいのかも分からない。結局のところ、僕はタフでもエグゼクティブでもない凡人なのである。

困った時は深夜便である。

NYを土曜日の21時に出発するアメリカン航空のサンフランシスコ行きに乗ると、サンフランシスコに日曜日の午前0時半に着く。それから日曜日午前2時サンフランシスコ発のJALに乗ると、月曜日午前4時半に羽田に着く。そして9時には余裕で会社に着ける。

神が書いたような筋書きではあるが、たぶん凡人には過酷な苦行である。神は神だからという理由で苦行を修行として行っていてもおかしくないし、神は神だからという理由でファーストクラスに乗っていてもおかしくない。どちらにしても凡人には理解できない領域でニューヨークからの深夜便で東京に向かっているはずである。

大陸横断の後に太平洋横断。深夜便ゆえに窓の外は真っ暗であり、深夜ゆえにサンフランシスコ空港の乗り継ぎも寂しい。無為な時間、そもそも神は神なのだから、プライベートジェットを持っているのではないか。そんな神学的命題について考えた。

かなだのおもいで

ハバナを朝8時のエア・カナダに乗ると、ほぼ定刻の11時半にトロント着。ここからNYに行ったのだが、トロント発15時の航空券を持っていて、あくまでも通過での入国なのに、かなりの犯罪者候補扱いである。

人生初、入国管理と税関で別室検査。たまにテレビの特番で顔にモザイクかかっているヤツである。スルドイ質問で犯罪者が暴かれているアレである。

なんでスヌーピーを持っているのか聞かれ、なんでキャットフードを持っているのか聞かれ、なんでNYに知り合いがいるのかを聞かれた。ハバナで何をしたのか日付順に聞かれ、デジカメの写真を全部見られ、スーツケースの内張の裏側まで調べられる。パスポートのスタンプも多いし、キューバ帰りだし、たぶんプロファイル的に怪しいということになっているのだろうが、絵日記を書き忘れた小学生相手みたいな質問ばかりでセンスがないし、アホっぽい。最後の方には未使用のSDカードを怪しまれたりと、三流スパイ並みの扱いである。

アメリカとイギリスあたりは比較的厳しいと言われているが、ここまでカナダで引っかかる日本人はいないのではないだろうか。カナダといえばサーモンとメープルシロップくらいしか想像できない素朴で平和な国だと思っていたが、冷戦時代の自由主義社会の砦のようなハードさ具合である。

不承不承、あるいは止むを得ず、入国を許可された。キューバからカナダ経由でアメリカまでの航空券を通しでは買えないので、こちらとしても不承不承、あるいは止むを得ず、カナダに入国するわけで、まったくもってlose-loseなディールである。

トロントからアメリカ行きに乗ると、トロントでアメリカの入国審査と税関検査も行われる。税関申告書でキューバの滞在を申告したものの、まだ経済制裁中にも関わらず、ほぼ無反応で入国手続きが終了。

そんなこんなあったものの、スタンバイで一本前のNY行きにギリギリで乗せてもらった。アホっぽい一面はあるものの、物事が効率的にできているカナダである。

はばなのおもいで

数年前にハバナに来た時にロビーのバーが気に入ったというだけでホテルを決めたところ、そこはヘミングウェイが定宿にしていたホテルだった。しかもヘミングウェイの3部屋くらい隣の部屋をあてがわれた。

しかし、このホテルは大作を書いたホテルとは思えない。

たしかにハバナ旧市街のクラシカルなホテルである。ヘミングウェイのせいか、彼の部屋のある5階は観光客であふれており、僕が部屋で窓を開け放してゴロゴロと裸で過ごしていると、廊下でうら若き日本女性の声がする。しかし僕の部屋を訪ねているわけではない。

部屋には、もちろんバスもトイレも付いているが、ヘミングウェイゆかりの宿にしては水圧が弱いし、そもそも国際的に湯と認められるような液体は蛇口から出てこない。時折、ハバナ基準で湯と呼ぶようなものが蛇口から出てくることもあるが、それも運次第である。

この原稿を書いているのは9月上旬の晴れた日、夕方18時過ぎであり、ホテルの窓を開け放しているのは、冷房の効きが悪いからである。実際のところ、いい年こいたオッサンであり、湯の出ない部屋とか、クーラーの効きの悪い部屋とかは正直しんどい。

こんな部屋だから、3部屋分の窓を移動した以外は1930年代のヘミングウェイと同等の条件であることは想像に難くない。僕自身は昼間から飲んでいるが、ヘミングウェイも昼間から飲んでいたのではあるまいか。

ハバナの、ほぼ同じ部屋で、やや酔っ払ってキーボードに向かっている我々 (別名: ヘミングウェイと僕) である。

しかし僕とヘミングウェイには大きな差がある。僕は小説というものを書いた事がない。小説にはプロットというものが必要らしいのだが、ハバナ旧市街の市場では売っていなかったのだ。

そもそもヘミングウェイは温かい湯とキンキンに冷えた客室を求めていたのだろうか。温かい湯を捨て、涼しい部屋を捨て、ハードホイルドを追求した先にこそ、文筆活動における成功点があるのではないか。

湯が出ないとか、エアコンの効きが悪いとか泣き言を言っている場合ではない。創作の厳しさを思い知ったハバナの夕刻である。