あいづのおもいで

2月末にマウイから戻った後、しばらく弱っていた。マウイロスである。不調のため、3月末の無料航空券マカオ行きを断念したものの、4月になっても芳しくない。気分転換をしようと思った。

日本人ダメオッサンの気分転換というと、なんとなく温泉に行くことになる。ここ数年は秋田の山奥にある温泉が気に入っているが、知り合いのオッサンに声をかけると、秩父あたりで妥協しようという話になった。秩父鉄道のSLに乗って、長瀞の川下りである。

しかし秩父で気分転換になるのだろうか。

長瀞の川下りといえば聞こえはいいが、実際のところ荒川である。東京東部で育ったので、荒川と聞いてしまうと日常感から脱却できない。荒川といえば、夕日の河川敷を走る東武電車である。地味な下町に、ボロい電車。たまに武田鉄矢。

結局のところ、秩父というのは荒川の上流であり、気分転換というには近すぎる。いまいち決め手に欠くまま、なんとなく話はなくなった。

荒川と共に川下りに対する情熱は失われたが、SLに対する情熱は残った。SLには小学校の頃に静岡で乗ったきりである。SLに乗って温泉に行こう。

調べてみると、新潟から会津若松までSLが走っていた。阿賀野川沿いである。荒川より良いのではないだろうか。この列車は運転区間が長く、グリーン車もついている。日本酒を片手にウダウダとSLに乗っているのがいい。

そういえば知り合いが毎年のように会津の温泉に行っているのであった。SLのチケットさえ取れれば、あれこれ悩む必要はない。
すぐにでも行きたい気分だったが、SLのグリーン券が取りづらく、しかもゴールデンウィークが立ちはだかっていた。

弱りながらもゴールデンウィークは職場で過ごし、5月中旬に新潟経由で会津に旅立った。

まかお

写真: 記憶の片隅にあるマカオ (イメージ)

昨年11月に有効期限をむかえたANAのマイルがあった。特に何をしたいというのはないが、しかしマイルを使わなくてはいけないので、なんとなく今年5月の香港往復チケットを取った。たいしてマイルがないので、東南アジアへ行くには不足で、韓国・中国あたりまでしか行けない。ソウルでも北京でも台北でも良かったのだが、なんとなく香港である。フライトも多いし。香港で過ごすもよし、フェリーでマカオに行くという手もあるし、電車で広州に行くこともできる。タダなのである。自由に過ごせばいい。

しばらく考えた末、マカオに行こうと思った。マカオには数年前に一日だけ行ったことがある。ローカルな市場、ボロいドッグレース場、そしてレトロな飲茶屋。香港と比べると、かなり地味ではあるものの、いい雰囲気の町である。ような記憶がある。

年末年始の休み中、あれやこれや考えていると、5月のマカオは雨季との事である。せっかく日本が梅雨入り前の気候が良い時期なのに、何故、敢えて雨季の場所に行くのか。よくよく考えると数年前のマカオも5月だった。日中はムシ暑かったし、夜は雨の中をタクシーを求めて彷徨い歩いたのだった。苦い思い出は忘れやすい。

調べてみると、どうも3月までが乾季ということらしい。ならば乾季のうちに行こうと思った。特典航空券だけに、土日に空いているフライトは見つけにくいが、3月最後の週末、日曜深夜に香港を出て、月曜朝に羽田に着くフライトに空席を見つけた。タダであるから妥協が肝心である。

そうこうしていると、2月末に常夏の島ハワイに出かけた。極寒の日本に帰ってくると、気温差と花粉症で弱ってしまっていた。時差ボケにもなった。その3週間後にマカオは厳しい。深夜便での帰国はさらに厳しい。タダのものをキャンセルしてもタダなので、悩んでいるうちに面倒くさくなってキャンセルしてしまった。税金相当額は戻ってくるし、ホテル代を払わなくて済む。

無料航空券で行くマカオも、普通の航空券で行くマカオも、同じ飛行機であり、同じマカオである。しかし無料航空券のマカオはあっさりとキャンセルしてしまった。判断の根源にあるものは、タダだからいいというよりも、タダだからどうでもいいという価値観である。タダより安いものはないはずであるが、タダのものには価値を見出しにくい。

結局のところ、僕の価値観はカネに縛られている。醜いオッサンである。

あっぷかんとりーのおもいで

地上で最も魅力的な場所は蒸留所である。山よりもビーチよりも、正直、蒸留所がいい。

マイクロ・ブルワリーのブームの後、いまやマイクロ・ディスティラリーがブームらしい。そのせいか、マウイ島にも蒸留所があった。数軒が見学可能だったが、そのなかの一軒がラムを作っていたので、最終日の帰国前に行くことにした。

蒸留所はアップカントリーとよばれるエリアにあった。ハレアカラ山の麓のエリアである。よくよく考えたら、毎朝、ハレアカラに行っていたのである。ハレアカラの帰りに立ち寄ればよかった。もう最終日なので後悔はできない。

蒸留所はサトウキビ畑の真ん中にあった。蒸留所というよりも、むしろ倉庫の様である。ツアーに参加すると、酒造工程はHey, dudeとか言いそうな兄ちゃんが担当していた。見学の途中でマネージャーを紹介された。こちらはHey, mateとか言いそうなオッサンだった。どちらも短パン長髪である。

マウイで短パン長髪な酒造りの人生もあったかと思うと、いままでの人生は何だったのだろうかと思う。マウイに生まれていたら、いまごろは短パン長髪が似合っていたかもしれない。幼児のころに酒を覚えていたら、いまごろは酒造を生業としていたかもしれない。大人になって酒を覚えていなかったら、サーファーになっていたかもしれない。もうオッサンなので後悔しかできない。

人生に対する諦めの念を抱きつつ、マウイを去った。