あんだるしあのおもいで

モロッコから脱出し、スペインのアンダルシア州に向かった。できればジブラルタル海峡を船で渡ってスペインに行きたかったのだが、諸々の日程を考えてギブアップ。

飛行機でグラナダへ向かい、夕刻、宿にチェックインした。フロントで地図を貰い、バルを求めて街へ出た。

最初はアルバイシン地区でバルを探した。古い下町エリアだが、最近は観光客も多いらしく、小奇麗に改装されている店が多い。

そんななか、1軒のバルが気になった。古くて暗い店内、壁はフラメンコのポスターばかりである。店の音楽もフラメンコだ。このバルは基本的にオバチャンばかりで運営されており、仕事の傍ら、オバチャンたちが曲に合わせて鼻歌を歌い、そして踊っている。

その店で少し飲み、さらに街へ出てみた。中心街には観光客向けの店が多い。少し探して渋いバルを見つけた。ベルモットなどは樽から売っている。そんなバルでフラメンコの赤いドレスを着た女性がビールを飲んでいた。どこかで舞台が終わった後だろうか。さっきのオバチャンたちとは大違いだ。

グラナダのバルは、タパスが無料なので有名である。飲み物を頼むと、もれなく小皿のタパスがついてくる。オリーブ程度の時もあるが、肉の煮込みとか、オムレツとか、しっかりしたものが出てくることも多い。どの店でも1杯目と2杯目では必ず違うタパスが出てきた。ある店で4杯目か5杯目を飲んでいるオッサンを見かけたが、全て違うタパスが出ていた。こんな調子なので、バルを数軒はしごしてダラダラと飲んでいると満腹になっている。

ところで事前に調べたところ、グラナダ市内には市場がある。外国へ行った時には市場を見に行くようにしており、グラナダでも市場は外せない。もっとも、スペインの場合、市場を見るだけではなく、市場で買い物もしたい。宿の部屋で飲むビールのつまみに、生ハムとオリーブを買うのだ。

翌朝、観光を始める前に市場へ向かった。

肉屋の店先には椅子があり、レジにはビールが置いてあった。朝10時。たぶん飲み始めるには良い頃合いである。生ハム100gとビールを頼んだ。飲みながら店を見ていると、家族連れがやってきた。どうやら1kgくらい生ハムを注文したらしく、肉屋の兄ちゃんは必死で生ハムを切っていた。切られた生ハムが包み紙に積み上がっていくが、横から子供の手が伸び、たまに肉が消えていく。

ひとしきり生ハムを食べた後、市場をブラブラする。オリーブを売っている惣菜屋の店先にも椅子があった。ここの客はオリーブを片手にベルモットを飲んでいる。僕もベルモットを頼み、もちろん僕のベルモットにもオリーブの小皿がついてきた。昨夜のバルの無料オリーブは味が濃かったが、ここのオリーブはマイルドに程よく漬かっている。これを買って帰ろう。

まだ昼前なのに2杯も飲んでしまった。生ハムとオリーブを買いに来たはずなのに、なぜか生ハムとオリーブを食べ、しかも軽く酔っている。

タジンとミントティーしか注文できなかったモロッコからは大きく変わり、朝からダラダラと快楽に流されている。

スペインは天国である。

すぺいんのおもいで

シャウエンで2泊してからタンジェへ戻り、飛行機でスペインに向かった。

モロッコ国内での移動時間も含め、約50時間のモロッコ滞在だった。せっかくアフリカ大陸まで来たのだから、もう少しモロッコを旅しても良かったのだが、どうもモロッコには苦手な要素がありそうで恐れていたのだ。

世界一周系のブログを読むと、たしかにインド好きは多いが、一般的に旅行先としてはインドが一番ヤバいらしい。しつこい挙句に騙されるようだ。そしてインドの次に来るのが、モロッコとエジプトとのことである。僕の場合はトルコですら、偽ガイドと絨毯売りにつきまとわれて閉口していた。それより激しいのには耐えられそうにない。

モロッコで騙されるとすればショッピングだろうが、しかし何を買ったらいいか分からない。シャウエンに向かう車中から外を眺めていると、路肩でタジンの鍋を売っている売店を何軒も見た。たしかにモロッコぽい買い物ではあるが、わざわざ重いタジン鍋を買って帰る必要はなさそうに思えた。手軽なものと言えばモロッコ風デザインの雑貨だが、ベトナム製だったりしそうだし、部屋にモノが増えるのも困る。結局、モロッコのショッピングはアルガンオイルくらいしか思いつかない。

シャウエンは小さな町であり、アルガンオイルの専門店は無いようだ。一部の土産物店でアルガンオイルを売っていた。そのなかでも品揃えの良い店に目を付け、乗り込んでみた。

店を見ているとオヤジに話しかけられる。アルガンオイルが欲しいというと、ざっくりと商品説明をされる。とはいえ、どのアルガンオイルも同じに見える。決めかねていると、プラスチックボトルに入ったものはチープであり、ガラス瓶に入ったものがハイクオリティーとのことである。

心の底から納得するには決め手に欠く説明だが、とくに反論するだけの材料もない。

しばらくすると「このアルガンオイルがいいぞ」とのことである。瓶に入っているからハイクオリティーだし、店主の親戚の農園とのことである。ベリーグッド。

利益率が高いものを売りたいだけなのではないか。

そんな疑惑が生まれたが、別の店に行くのも面倒くさいので、値段を聞いた。すると何本買いたいのか、との質問。質問に質問で返される店はキライだ。

ここから交渉が始まるが、そもそも値段を知らないので、落とし所が分からない。この手の交渉は苦手なので、たぶん高い代金を払わされたと思う。そしてレシートのない現金決済。

結局のところ、どういう買い物をしたのか定かではない。質は良いのか悪いのか、平均的な利ザヤから見て相当ボラれているのか一般的なボラれ方なのか。アルガンオイルを買ったと思っているが、実はオリーブオイルだったかもしれない。モロッコの税制については全く知識がないが、ちゃんと店の売り上げから消費税や所得税などの税金は支払われるのか。

面倒くさいし、なんとなく不透明感の残る取引形態である。値札のある店で買い物がしたい。クレジットカードで払いたい。

とはいえ、シャウエンは田舎なせいか、都市部に比べると交渉自体はマイルドらしい。

しかし僕には一軒で十分だった。街をブラブラと歩いていて、モロッコのスリッパであるバブーシュが欲しいと思ったが、別の店でバブーシュの価格交渉をする気力はなくなった。

前日、モロッコに着いた時には、オープンな気持ちでモロッコに滞在してみようと思った。しかし、どうやら僕は心理的な敷居の高さから逃れられないようだ。改心は一日しか持たなかった。

早々にモロッコから脱出し、スペインでスーパーに行こう。値札がついて明朗会計だし、POSレジでレシートも発行される。クレジットカードでも支払える。

僕は文明に毒されているのだろうか。

しゃうえんのおもいで

シャウエンはモロッコ北部の青い街である。理由は諸説あるようだが、文字通りの青い街で、旧市街の建物が青く塗られている。モロッコなんて行けないだろうと半ば諦めていたのだが、実はヨーロッパから意外と近い。

シャウエンの旧市街で、現地の家を小規模なホテルにしたリヤドと呼ばれる宿を取った。空港からタクシーで旧市街の城門に着き、車が乗り入れられない旧市街を徒歩で宿まで連れて行ってもらった。

宿に行く途中で旧市街を歩いたが、確かに街が青い。とはいえ、全てが青いわけではない。路地まで青く塗られているところもあるし、ビルの1階部分だけが青く塗られているところもある。青さも建物によってまちまちだ。なんとも不思議な光景である。

モロッコと言えばミントティー。宿に荷物を置いたら、とりあえずミントティーを飲みに行こう。

大きいモスクがある広場にはレストランが並んでいる。行ったのが週末だったせいか、レストランは観光客であふれていた。この手の観光地のレストランは苦手である。英語のメニューがあって便利ではあるが、ハズレが多そうだし、そもそも観光客しかいないのが嫌だ。

そう思いながら広場をブラブラ歩いていると、広場の外れに地元オッサンが集うカフェがあった。ほとんど観光客はいない。モロッコではカフェがオッサンの社交の場所と聞いていたが、そういう場所のようである。

外国でローカルなバーへ入る時に勇気を必要とすることが多いが、このカフェも同じだった。意を決してテラスに入り、空席を見つけて座った。

早速、ミントティーを頼む。周囲を見渡すと、なにやら議論をしているオッサン達がいたり、ガラベイヤを着て一人静かに過ごしているオッサンがいたりする。よくよく見ると、座っているだけのオッサンもおり、全員が厳密な意味での客ではないみたいだ。

地元オッサンの多くはカフェラテのようなものを飲んでいた。ミントティーを飲んでいる人は少ない。周囲を観察しながらボケっとミントティーを飲むが、やっぱり砂糖入りだと甘い。次回からは砂糖抜きにしてもらおう。

お茶の後、青い街の中を路地から路地へと歩く。メインストリートは観光地だが、路地裏には生活感がある。気付くと小さい商店があったり、子供が遊んでいたりしている。

夕方になると観光客が減り、街にはアザーンが響く。人の流れがモスクに向かう。街路に灯りがともり、街が輝く。

この街は夕刻が一番美しい。

歩き疲れた後、レストランに行った。冷たいビールを一杯と言いたいところだが、イスラム圏のローカルなレストランなので、ビールは諦めてミネラルウォーターとミントティーを頼んだ。モロッコ料理と言ってもタジンくらいしか知らないので、とりあえずタジンを頼む。

構想ほぼ3年、ついにモロッコのシャウエンにやってきた。構想期間の長さにも関わらず、モロッコに関する知識はミントティーとタジンだけである。シャウエンに着いたら、カフェで地元オッサンを観察し、路地を歩いているだけだ。

確かに不思議な青い街である。しかし、オッサンと路地なら、別にシャウエンでなくてもいいのではないだろうか。

最初の計画はバスクで美食三昧だったのだ。バスクにも路地はあり、オッサンもいる。予定を変更せず、バスクに行っても良かった。バスクであれば、空港で送迎タクシーのドライバーを見つけるのに苦労することもなかった。それに、正直、タジンは大して美味しくない。

なぜ僕はモロッコまで来たのか。わざわざ人生を複雑にしていないだろうか。そんな疑問が生まれてきた。

普段の旅行であれば疑問は酔いと共に立ち消えになるが、モロッコではそれもできない。