
Silk Road View from Uzbekistan Railways

Dawn on Silk Road from Uzbekistan Railways

Midnight Express at Samarqand Station

Enjoy the Ride
僕は旅慣れたフリをしているが、実は寝台列車が苦手である。
小学生の頃に広島から東京までブルートレインに乗って以来、大人になってアムトラックに乗るまで、寝台列車を利用する機会はなかった。アムトラックではシアトルからサンフランシスコまで個室を利用したものの、延々と狭い部屋に乗っているのがイマイチだった。水回り設備も共用だったし。その後の長距離移動に際しては、昼行列車が使えない限り、全力で航空券を探すようになった。寝台列車としては、オリエント急行に乗車したのが唯一の例外だが、あれは歴史的な体験であって、移動手段ではないだろう。
僕は不眠症かつ若干の閉所恐怖症気味である。しかもイビキが酷いし、寝相も悪い。そんな僕には狭い個室はおろか、諸外国で一般的な二段ベッドの4人部屋も不可能に思われた。もちろん三段ベッドの6人部屋は論外である。
しかし、ついに避けられない時が来てしまった。サマルカンドから、もう一つの世界遺産であるヒヴァに行くには、ウズベキスタン国鉄が運行する列車に乗るのがベストである。首都であるタシュケントから、サマルカンドとブハラを経由して、ヒヴァまで向かう列車が一日に数本あるのだが、これらが全て夜行列車だったのだ。シルクロードを辿る列車旅と言えば聞こえは良いが、むしろ他に選択の余地がないのが事実である。苦手意識の強い寝台列車なので、万全の体制で乗車したい。
色々なサイトを読むと、ウズベキスタン鉄道に乗る難しさについては言及が多い。例えば、大きな駅でも発着番線の表示がなく、駅の案内放送もウズベク語のみなど。それに遅延の可能性が高く、途中駅からの乗車だと正確な発車時間が不明である。それでも昨年のウズベキスタン旅行では何とかなった。チケットさえ万全に取っておけば、今年も何とかなるだろう。
サマルカンドの最終日は、朝からシャフリサブスに行った。その後、レギスタン広場の日没、シャーヒ・ズィンダ廟群の夜景、再びレギスタン広場に戻ってライトショーと夜景を見るまで、結構タイトな1日を過ごした。そして午前1時前にホテルをチェックアウトして駅へ向かった。
サマルカンド駅に着くと、プラットフォームに列車が止まっていた。改札の係員に確認してみたところ、一本前のヒヴァ行き列車との事。なんとなく深夜の駅の風景を撮影して過ごした。
サマルカンド駅は深夜にも関わらず、待合室には人が多い。夜行列車が多いせいだろうか。あとは人の流れを見て動けば良いだろう。コーヒーとホットドッグを買って、乗るべき列車が来るまでの時間つぶしをした。
タシュケント行き列車に乗る人が動いて以降、静かな時が続いた。先程コーヒーを飲んだにも関わらず、眠くてウトウトしてきた。この日は長い一日だったのだ。
暇を持て余し、眠気覚ましがてら午前2時くらいにホームへ行くと、列車が止まっていた。ボーッとしながら見送った後、その列車がヒヴァ方面に走っていった事に気付いた。
慌てて改札の係員の元へ行ったところ、たった今、乗る予定だった列車が定時で出発したとの事。もう絶望しかない。代替策を考えようとしたが、ちょうどウズベキスタン国鉄のサイトがメンテナンス時間で使えなくなっていた。いずれにしても翌晩の列車まで待つのは時間の無駄なので、とりあえずタシュケントまで行って、国内線の航空便に乗るのが良いだろうか。
文字通り頭を抱えていると、さっきの駅員さんが手を振っていた。アプリ越しで会話したところ、午前3時にヒヴァ行きがあるらしい。
そのまま切符売り場に連れていかれ、まずは乗り過ごした列車のチケットを払い戻し手続きが始まった。それよりも次の列車のチケットが欲しいのだが。カードへの返金が終わって、やっと調べて貰うと、午前3時の列車にはヒヴァまでのチケットが1枚しか残っていないらしい。
またまた文字通り頭を抱えるしかない。選択肢は二つしかないように思われた。僕だけヒヴァ行き列車に乗り、リモートで航空券と送迎の手配をして、妻をタシュケント経由にするのが良いだろうか。それとも一蓮托生で二人ともタシュケント経由でヒヴァに向かう方がマシかもしれない。まずはナローボディ機のボーイング737で1日2〜3便しか運航されていない筈である、タシュケントからヒヴァへ行く国内線のスケジュールと残席を確認したい。
そう思っていると、駅員さんが車掌さんと交渉してくれるとの事である。予想しなかった、3番目の選択肢だ。ここまで来れば荷物室でも文句は言えない。機関車に乗せてくれるなら、むしろ言い値で良い。出発直前までホームで待たされた後、妻とは別部屋ながら一等寝台に空きを見つけてくれた。
正規のチケットは購入していないので、運賃は車内で清算だと言われていた。部屋に案内された後、デッキに呼び出された。世界共通の指サインで現金を求められ、事前に駅員さんに聞いていた金額を渡す。定価の端数を切り上げたような良心的な金額だが、いわゆるテーブル下の取引だろう。
ようやく移動手段と寝る場所を確保したが、上段なので落下が怖い。日本の寝台列車には落下防止のロープがあったと思うのだが、ウズベキスタン国鉄の寝台列車には低めの柵がある程度である。しかも妻は同条件で若い女性旅行者3人と同室だったらしいが、こちらはウズベキスタンのオッサンだらけの部屋である。今から思えば、妻を犠牲にしてでも部屋を変えてもらうべきだったかもしれないが、そんな心の余裕はなかった。
世界中どこでも、オッサンはオッサンである。雑居房のような部屋は、ただでさえオッサンだらけで暑苦しいのに、熱気が上層にこもりがちで寝付けない。コーヒーにも勝っていた眠気は吹き飛び、乗車するまでに頭を使いすぎて、寝るどころではなかったが。
しょうがないので暗がりでMacBook Airを立ち上げ、Adobe Lightroomで写真の整理をして過ごした。ふと暗室でのフィルム現像とプリントを思い出した。ようやく精神的に落ち着いてきたのだろう。できれば夜行列車からの朝焼けが見たいと思えるようになった。
夜明けと共に列車はブハラに到着した。そうすると先程とは別の車掌さんがやってきた。荷物を持ってこいとの事らしい。妻の部屋に連れていかれ、ブハラから先は空室なので、自由に使って良いとジェスチャーで教えてくれた。みんな優しすぎる。
ブハラからヒヴァまでは更に5時間くらいの乗車になる。ここから先は下段なので安心して睡眠できた。僕が寝たり起きたりを繰り返しているうち、列車はシルクロードを更に進んでいった。眠るのが勿体ないほど、見慣れない光景である。車窓からのシルクロードを撮影して過ごした。
やはり僕が旅慣れているのは、フリだけだった。