まれーしあのおもいで

基本的に年末年始は仕事になるので、1月に代休を取る。

無理をすれば5日あるとヨーロッパに行けるので、昨年はシチリアに行ってみたが、完全にオフシーズンだった。南イタリアといえば一年中あたたかいようなイメージがあったが、ヨーロッパの冬は寒いと相場が決まっていたのだった。イメージ先行の計画は完敗だった。

その反省も踏まえつつ、暖かいところを目指そうと思った。しかし腹の出たオッサンにビーチは似合わない。

そんなこんなでマレーシア。2013年10月に行ったばかりだが、あの時は暑かった。秋になって日本が涼しくなったと思ったのに、旅に出たら32〜33度あって懲りたのだ。旅行の計画を立てたのが夏前だったので、暑さは考慮の対象外だった。いつもながら、ほころびのある計画である。

そんなマレーシアも、冬なら適度な温度ではないか。無理して4日で行ってみようではないか。

そんな期待とともにシンガポール経由でペナン島のジョージタウン。マレーシア第二の都市といえども、わりとコンパクトな街なので3日ほどで十分である。

確かに冬のせいか、33度というわけではない。しかし適温ではない。暑い。連日30〜31度ある。冬でも夏でも大した違いはない。

しかも暑いだけならともかく、日差しが強い。日本と同じ太陽とは思えないほどである。急激に焼かれたせいか、ちょっと外に出ているだけで顔も腕も痛い。冬の太陽に慣れ親しんだせいか、日焼け止めという概念は全くなかった。

相変わらずツメの甘い人生である。

おしょうがつ

北半球の宿命とはいえ、年末年始は寒い。そして新年のカウントダウンは宿命的に夜である。

寒いのに深夜。

これがカウントダウンが嫌いな一因である。ほかにも人混みが嫌いだとか、ノリが悪いとか、人付き合いが悪いとか様々な要因があるが、結果的に12月31日の夜に出歩くことはない。

寒い中を人混みに出かけることは、日中であってもしないので、初詣もしない。正月は人気のない職場で適当に仕事をして、あとは家に籠っているのがいい。

今年は何故か1月2日が休みだった。もっとも休めるのと分かったのが12月30日。31日は会社へ行き、1月1日から無駄な4連休である。ゴロゴロと無駄に過ごすしかない。

年末にそんな予定を話すと、寝正月はカビが生えるから良くないとのこと。寝てばかりいないで、規則正しい生活リズムを維持し、散歩程度でもいいから街へ出るべきだとの指摘を受けた。

もっともである。

しかし、もっともな指摘を真に受けたことが人生であっただろうか。

ないわけではない。

間に受けたのは、役に立たない投資信託の話と、ホラ話と、悪い冗談くらいである。しかし、それでも、真に受けた時には、もっともだと思ったものだ。

反省するだけならサルでもできるというが、サルでも何度か失敗すれば学ぶ。さすがに僕も学ぶ。

当初もっともだと思った指摘は誤っている。もっともな指摘を真に受けてはいけないのである。学びから導き出された叡智である。

そんなこんなで寝正月を過ごした。2001年にさかのぼってデジカメの写真を整理し、あとはゴロゴロと無駄に過ごす。年末に飲み過ぎた分を取り繕うべく、12月31日から1月2日まで禁酒をしてみたが、酒を飲まないと昼夜逆転の生活を送るようになり、入浴のタイミングをのがす。年末から4日間ほど入浴しないでいると、出かけていないのに臭い。寝正月でカビが生えるのは事実だったかもしれないとの疑いを持つ。

そして1月5日に万難を振り払って会社に行った。デスクで座っていても集中力なく、午後には帰って寝たくなる。睡魔の彼方に、規則正しい生活リズムを維持すべきという指摘がよみがえる。

いずれも、もっともである。

うつむき気味に職場を出て、ストレッチ教室に行った。寝正月の間に体はガチガチになっていた。なんとかマイナス15cmに到達した前屈も、マイナス20cmに逆戻り。寝てばかりいるのは体に良くないとインストラクターの兄ちゃんに指摘される。

もっともである。

もっともだと思ったことは真に受けてはいけないと、人生から学んできたつもりだったが、学びから導き出された叡智は過りだった。

僕はサル以下かもしれない。そんな疑惑が芽生えた、年の初めの一日だった。

ねんがじょう

いつの頃からか年賀状の返事を出さなくなった。

基本的には虚礼廃止ということである。年に一枚のハガキだけが取り持つ人間関係。デジタルな時代、もうちょっと合理的にならないものかと思った。

しかし、つきつめて考えると、僕には謹賀新年の心がわからないのである。

年が変わったくらいで、なぜ祝うのか。そんなに新年めでたいのだろうか。そんなにハッピーなら、月が変わるごとに祝ってもいいではないか。日が変わることを祝って、毎日カウントダウン大宴会しよう。

良い年をお迎えくださいなどというが、良い年かどうかは終わってみるまでわからない。むしろ、良い年を終わることができますようにと、年末に挨拶するのがふさわしい。そうすると、今年はダメだったなぁと暗い気持ちになるから、そういう場合は酒場で一人さびしく飲むのがいい。

そんな後ろ向きの人生を過ごしていると、結果的に年賀状が7枚しか来なくなった。バーと旅館を除くと4枚。

ここに人間関係の本質を見た気がする。僕自身が礼を失したオッサンであるのは間違いないが、本質的に人間関係とはギブアンドテイクである。ギブしなければリストから抹消されてしまう。僕は、大多数の人にとって、返事をしなければ年にハガキ一枚程度の習慣性すらも維持してもらえないような、52円相当の価値もないオッサンなのである。

逆に言えば、2015年1月1日現在の僕自身の真の価値は208円 (税込) といえる。本体価格は193円だが、僕のために税金を払ってくれるのだから、税込価格が僕の価値と思っていいはずである。

208円程度の男。このままでは死んでも誰も葬式に来てくれなくなる可能性がある。非合理的でもいいから、虚礼でもいいから、アナログを再開しよう。謹賀新日のハガキを毎日だそう。そして一人あたり18,980円の価値のある男になろう。僕の価値もアベノミクスしてみよう。

これを来年の課題としたい。